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ボクは「古参」も「にわか」も嫌いだ

ボクは「古参」が嫌いだ。そして「にわか」も嫌いだ。

でも、誤解しないで欲しい。嫌いなのは「古参」と言う単語であり、「にわか」と言う誤った解釈を生んでいる言葉である。(「にわか」とはファン歴が短いひとを指す言葉ではない)


ボクは1995-96シーズンからユベントスを見ていて、そして幾らかの時間をイタリアから離れたけど、それでもトータルで言えば優に15年近くはユベントスを見続けているのかもしれない。不思議ではない、今年46歳にもなるオッサンなのだから。生きている時間が長いのだから。

ボクの事を指して「古参」と表現するひとがいて、時にそれは長くユベントスを応援している事を表してくれる意味が含まれているが、しかしボクはその言葉に何の喜びを感じないし、むしろ違和感しか覚えない。

ロナウドの移籍をきっかけにユベントスを応援し始めたファンを指して「にわか」と表現するひとがいて、それは、ユベントスを応援した時間が短く「ミーハー」だと揶揄している事が多い。そしてボクはその言葉に嫌悪感を覚える。

「古参」だから「にわか」だから、なんだと言うのだろうか。年を多く重ねていれば応援している時間が長いのは不思議ではないし、ロナウドの個人的なファンであれば、ユーベのファン歴が短い事は当たり前である。そんな事は小学生だって説明できる。


ボクは「古参」と言う言葉が嫌いだ。そして「にわか」と言う言葉も嫌いだ。

ユベントスを応援する気持ちに「長い」も「短い」も関係はないだろう。それこそスタジアムに行けば、80歳を超えるおばあちゃんが白と黒のユニフォームをまとい大声を張り上げ、まだ小学生に上がる前のチビっ子がチャントを口にしている。ユベントスを応援する気持ちを持つもの全てが「ファン」であり、そこに年齢も性別も応援している時間も一切関係ない。大切な事は「チームを後押しする気持ち」であり、そして「チームを応援する自分に誇りを感じること」だ。

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ボクの周りには17歳の高校生ファンがいるが、彼は応援2年目ながらもその想いは深く、チームへの愛を育んでいる。ボクの飲み仲間には59歳のベテランユベンティーノがいるが、その先輩は話していても一切偉ぶる事はなく、年齢関係なく「仲間」としてユベントス談議に花を咲かせている。昔からの知人は今では育児に追われて試合結果を見る事もままならないが、それでも「育児が終わったらまたユベントスに戻る」と口にしている。そしてボクは7年間ユベントスから離れていたけれど、今では素知らぬ顔でファンサイトを運営している。


もし自分の事を「古参」だと優越感を持っている方はいれば、その奢った気持ちを改めてみませんか。もし自分の事を「にわか」だと思っている方がいれば、その控えめな気持ちを取っ払ってみませんか。

応援して50年目だろうが1年目だろうが1ヶ月だろうが、ボクたちはユベンティーニであり、そしてボクたちは同じチームを応援する仲間である。

月刊ユベントスは、そんな「ファン」が集まる場所を作りたいと思っています。


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