アイスコーヒー。
ちらちらと、虫が辺りを舞うようになった。
季節は間違いなく、当たり前に移り変わろうとしていて、桜だってあっという間に咲いては枯れてしまったし、空模様も冬のそれとはすっかり違う色彩や形を見せている。
僕はお店の、エントランス部分にあたる空間の奥の方に仕舞われていた蚊取り線香を取り出し、100円ライターで火をつけた。半年近くひっそりと仕舞われていたそれは折れたり湿気ったりもしておらず、すぐに白い煙が立ち昇った。まるでその半年なんていう時間はなかったかのように。
この蚊取り線香を買ったであろう去年の夏。若しくは夏の終わり。
父もこうして渦巻香に火をつけ、その独特の香りを嗅いでいたのだろう、という事を思い出す。あるいは、想像する。
父がこの世を去った日から、どんどん毎日が過ぎ去っていく。
この三ヶ月弱の間に変わってしまったもの、それは決して季節だけではなく、遺された人間の中にもある。
僕はよく「父ならどうしているだろう」とか「父ならなんて言うだろう」という事を考えるようになった。「いないということは、どうしようもなくいるということ」だと前回のNoteで書いた通り、どうしようもなくこの胸の、頭の、身体の中に父がいて、時にはそんな面影にそっと耳を傾けたり、何気ない会話をしたりしている。そうしていつも、ぼんやりと呟くように「会いたいな」とひとりごつ。
お店の駐車場にコカ・コーラ社の自動販売機が設置されている。お店を始める前からそこにあり続ける自動販売機だ。僕や父がよくそこでいろんな飲み物を買っていた。
中でも夏季限定で自販機に入れられるGEORGIAのアイスコーヒーが父のお好みで、仕事が一段落するとおもむろに僕に小銭を渡し「アイスコーヒーば買うてきて」とよく頼んだものだった。
そのアイスコーヒーが、今年も自動販売機に補充されていた。当たり前のように。季節が変わるのと同じように。
僕は余りがちな10円玉を13枚集め、販売機の中に一枚一枚ゆっくりと挿入する。一枚ずつ、カランと音を立てて内部のコインカウンターに飲み込まれていく。液晶の数字が10の倍数を重ねていく。
時間は、重なっていく倍数と同じ様に、手に取るように素早く過ぎていく。
あっという間に一ヶ月。
あっという間に四十九日。
あっという間にーーー。
出てきたアイスコーヒーを取り出し、プルタブを起こし、すぐにごくりと飲み込む。
すっきりとした甘さの液体が喉を駆け抜け、食道を冷たくする。缶コーヒー特有の甘ったるさや不快な苦味が少ないそれは、今年も同じ味で渇いていた僕の喉を潤した。
「こらぁ、うんまかもんね(これは美味しいもんね)」と言い、このアイスコーヒーをたくさん飲んでいた父の残像が瞼の裏に焼き付いている。
こうして、季節が変わるごとに色んな思い出がフラッシュバックするのだと思う。
ねぇ、今年も、あのアイスコーヒーが自動販売機に入ったよ。
買ってこようか?
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