エンプティ①

職場の裏にある狭い路地を歩いていた。

その日は生憎雨が降っていて、傘を忘れた僕はスーツの上着を脱ぎ、それを頭に被って小走りをしていた。

「雨なら雨って言えよ馬鹿野郎が…」

イライラしていた。

先刻上司に言われた理不尽な言葉や、朝出社する際でもベッドで眠りこけている妻の葉子や、シャツの外れかかったボタンや、SNSに投稿されている友だちたちの自慢にも思える日記や、昔付き合っていた女が結婚するらしいという噂や、日々の支払いの多さや、買ってはすぐに枯らしてしまう観葉植物や、突然の雨や。

僕を苛つかせる材料は無限にあった。

今ならこの雨が止んでも「止んでんじゃねえよ」と怒る事が出来るだろう。

精神が破綻している、とここ数日感じていた。

それでも不思議と仕事は出来て、その辺も破綻しているなあと妙に冷静な頭で思っていた。

雨は止む気配なく、だけど降りすぎることもなく強かに街を濡らしている。

路地はまもなく出口に差し掛かっていて、それを抜け左に曲がれば地下鉄の入り口だ。

嫌気がさした。

地下鉄に乗る理由が上手く説明できない自分がいるのだ。

もちろん、地下鉄に乗るのは家に帰るためだ。

で?帰ってどうする?

何度言っても上げてくれない温度のぬるい風呂に入り、別段美味くもない手料理と350mlの発泡酒を煽り、時々思い出したように葉子を抱く。

そしてまどろむ暇もないまま眠り、また家を出る。

不毛だ。どうしようもなく不毛だ。

いっそ葉子が浮気でもして、それを僕がどこかで嗅ぎつけ、自分は悪く無いと言い聞かせながら離婚をし、同情を集めれば気分は、この焦燥に満ちた胸の内は晴れるだろうか。

瞬間、右肩に大きな衝撃を受け、僕は尻もちをついてしまった。

何が何だか分からなかった。

僕は幅10メートルはあるこの路地の"真ん中"を歩いていたのだから。

お尻から冷たい感触が侵食してきている。

右肩の痛みはもう引いていて、"真ん中"を歩いていたのに受けた"衝撃"という事実だけが僕の頭を支配していた。

「え…?」

そう口にだすのがやっとだった。

10秒くらい、だろうか(体感ではもっと長く感じたが)、ぼうっとしていた僕に声が聞こえた。

「ごめんごめん」

僕は完全に混乱していた。

周りを見渡しても誰もいなかったからだ。


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