正夢に。
眉村卓先生の「妻に捧げた1778話」という小説に、「非日常を日常と思うようにする」というような言葉があった。
奥様の闘病と、それを支える毎日は言うなれば「非日常」である。
病気が治り、健康になることが「日常」で、だからその日常と非日常を意識の中で行ったり来たりするのはとても精神に疲労を感じることである。
だからこそ、非日常を日常と思えばいいのではないか、という発想。
そうすることが出来れば、その新しい「日常」に活力が沸くのではないか、と。(僕はそういう風に読んだけれど、もしかしたら先生の意と反しているかも…)
もちろん、簡単なことではない。そう思いついたからといってすぐに切り替えられるものでもない。
ゆっくりと時間をかけて意識し続け、心身を慣らしていく。
この文章を書くようにしてから、頭の中が随分スッキリしていた。
自分が考えていることをまとめること、その為に文章を綴るという行為を行うことで心が落ち着いていったのだと思う。それでも書きながら泣いているんだけど。
こうして文章を書いていて、「もっとこういう表現がいいな」とか「こういう話を書こう」とか考えていることはどこか不気味だ、と思う。
でも、父が非常に危ない状況の今、どうして理性を保っていられるのだろう。
おかしくて、不気味で、辻褄が合わなくて、同じ話を繰り返したりしても何ら不思議ではない。
だって僕は、僕ら家族は今「非日常」の真っ只中にいるのだから。
でも「非日常」の中にいることを自覚できたということは、もしかしたらそれを「日常」と思えていることに近いかもしれないな、と思う。
姉は昨日から目を腫らしっぱなしだし、母はずっと息が苦しいと言う。
そうなって、全然おかしくない。そうなるのは普通なんだよ。
なんの慰めにもならないけれど、辛くて、苦しくて、切なくて、悔しくて当たり前なんだよ。
でも、まだ諦めたくない。
あの人なら、ここから、この状況から奇跡的な回復を見せてくれる。あの時の涙返してよ!って言いたくなるくらいに。そう信じてる。そう信じないと自分を保てられないんだよ。
昨夜寝る前と、ふと起きた夜中に頭の中をある言葉で埋め尽くした。
襲ってくる恐怖や不安や悲しさを振り払うように。
「父さんは大丈夫。父さんは大丈夫。父さんは大丈夫…」
何度も何度も繰り返して、心と身体を落ち着かせ、やがて夢を見た。
家族と、長崎市内にある映画館へ行く夢だ。
夢の中の父はまだ全快ではなかったけれど、確かにそこに居た。
正夢になりますように。正夢に。
2018.2.28
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