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仏教コーチングビジネスのジレンマ1+1を量子論で語ってるようなもん?

僕………なぜ今仏教なのか?ロバートライト著についての書評漫画の台本を、

期待と妄想編、と何故無益なものに快を感じるのか?編と、無我編まで執筆しましたが、それ以降は書かない気持ち濃厚です。

無我編ダイジェスト四コマ↓

何故か?!と申しますとこの様な一文を見たからです。
ロバートライト氏はこの本を書くことを瞑想のコーチに反対されたそうです。

実践ありきのメソッドを、こういう本のお陰で分かりずらくされる!とコーチから反対されたそうです。

同感です。なるほど!僕も読みながら思ってた。

仏教は1+1=2

みなさーん1+1はなんですかーー?

にいいーーーーーーーーーーー

 と言う声が聞こえてきそうです。仏教の教えは…シンプルです…1+1は2です。簡単です。

しかしこれを難しくしてしまうジレンマがあります。

 私もうすうす思っていました、世の中には簡単な事を難しくしてしまってる勢力とそのジレンマのパワーがあるな?と言う。

それはビジネスだ、仏教ビジネス。

 1+1=2と言う単純な数式について一斉に坊主たちが講義するとします、更にここでビジネスが絡み数字を争うと…この1+1を壮大に面白く語らなくてはいけません。

1+1?これは2と言えるのか?昔ピタゴラスと言う~中略~こうして超ひも理論に照らし合わせると1+1=2と言えるとも言えないともいえる…

と簡単なことを難しくしてしまう…。じゃないと人々は興味持って聞いてくれません。正しい回答の一として曹洞宗の禅僧ばりに1+1はただの2じゃ!終わり!と言い出したら、これは仏教的にはかなり穿った回答ですが誰も喜びませんね。

仏教YouTuberにみんなで一斉に諸行無常についての動画をあげようぜって取り決めして、菊谷先生は大乗仏教の知恵でたんたんと、大愚和尚はパーっと息を吸うしゃべり方で、僕は漫画で、各々に説明し始める中、一人の禅僧が諸行無常は諸行無常じゃ!いいから座れ!のひとことで終わらせたら?サムネも黒一色で、これではせっかく強力な仏教的正解の一つなのに誰も見てくれませんね。

僕もそのジレンマの片棒を担っちゃうかも?

もうすでにこの記事がそうですね(笑)

 反応しない練習の草薙龍瞬先生のブログを見ると、もっとわかりやすい仏教を!とか古い仏教のイメージから自由になろう!というメッセージがみられます。

だから

じゃあ僕はもっともっとわかりやすい仏教をと意気込んでいますが。ならばもう発信をやめたほうがいいですね笑。反応しない練習シリーズでもう、最高の納得への答え、出ています。

それを、悟りの科学なんて本…1+1を哲学する行為…。
ロバート氏のコーチの言うことはよくわかります。

仏教研究者の仏教本は宗教SF

個人が個人が苦しみを抜けて健やかに暮らす道と言う仏教コンセプトは忘れないでほしい。

悟りって言葉はもう使わないほうがいいのかもしれない、後世のあとつけでどこか宗教臭いスペシャルパワーになってしまったのかもしれない。求めないほうがいいのかもしれない。

もし読者さんが更に更に仏教を勉強したい向上心があるならば、個人が個人が苦しみを抜けて健やかに暮らす道と言う仏教コンセプトを忘れなければ本選びに失敗しないかもしれない。

 いや失敗ではないよ、例えば苫米地英人さんのような仏教研究者の本を読んでも。ただ、こう言うのは1+1をわざわざ科学してエンタメとして楽しむために脚色した宗教SFだと思って読むと言い。ホーキング博士さんみたいなもんです、物理をSF的に面白おかしく語る先生。これはね、やはりいつも言うように批判じゃないです。批判じゃないんです。

勉強じゃなくて確認

たまに仏教は勉強じゃなくて確認だなあとツイートする。
この理解はいいのかもしれない。

中国経由の仏教はたったの4文字で集約してくれてるじゃないか。

諸行無常 諸法無我 四苦八苦 生老病死 怨憎会苦 愛別離苦 五陰盛苦 求不得苦 涅槃寂静 色即是空 空即是色 等など(書くの疲れた)

四文字熟語と言う便利な言葉に集約された中国経由の仏教、シンプルで有難い、縁起に感謝。

これってただ、人っていつか死んじゃうよね、変化しないものはないよね、とか病気ってつきものだよねとか、当たり前の事しか言ってない。

ついハッピーな毎日だと忘れてしまう真実を“確認”するだけ。無常を感ずるは菩提心の始まりなり。生まれたばかりの可愛い赤ちゃんを眺めながら不謹慎に思うかもしれないけど、死もあり必ず変化するものと、リアルに見つめることは心の習慣としてはいいのかもしれない。幼い子供を亡くし、身も心もボロボロになる人も確かにいる。仏教にはこの赤ちゃんも、腹の中には腸が詰まってて、そこには糞が詰まっていて、死ねば腐り…などと言う死随観と言う瞑想があるにはあるが。リアルを見つめる習慣も時にはいいのかもしれない。

プレイする宗教?

仏教は思想だけで出来ていない、メッソドもある。

だから
宗教は、俺〇〇教信じてるんだー、となるけど。
ボク仏教信じてるんだーとかあまり言わないし、マインドフルネス信じてるなんて完全に言わない。
サッカー部の子はサッカー信じてるとは言わない。ボク、サッカーやってるんだと言う。仏教も、仏教やってる。わたしマインドフルネスやってんだ、この表現がしっくりくる。

仏教はプレイするもの。

日々デフォルトモードネットワークを受け入れて、気づいたら五感にフォーカスして、自分に納得して生きていければそれでいいのだ。

これでいいのだ!超絶シンプルです。


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