葬式と俳句とカルピスウォーター

 祖父が亡くなった。

 98歳の大往生だった。年末から「もう危ない」を3回ほど繰り返して、バレンタインデーの朝に眠るように亡くなった。

 危篤の知らせが入るたびにわたしは早帰りをさせてもらっていたのだが、4回目の「もう危ない」の知らせを受けたときは「これじゃ死ぬ死ぬ詐欺ですよ」とぼやいて学年主任を苦笑させた。

 祖父は大正生まれで、昭和、平成、令和と4つの時代を生きたこととなる。いやはや、戦争を生き抜いた人間の生命力の強さよ。感嘆せずにはいられない。

 実は、祖父の死には不思議なエピソードがある。

 先週の木曜日の夜、父から「今夜がヤマだ」と連絡が入った。生きて会いたいなら今夜のうちだ、と。

 しかし、わたしはその時はこう思った。

「いや、今夜は死なない。日曜日か月曜日だろう」と。

 そして、その通りになった。月曜日の放課後に父に電話すると「実は今日の朝に亡くなった」と告げられた。わたしは、やっぱりな、としか思わなかった。

 あの不思議な確信はなんだったのだろう。

 神田沙也加ちゃんが亡くなった時、友人が「人の死は人智が及ばないスピリチュアルな何かが働いていると思う」と言っていたが、本当にそうかもしれない。

 祖父の葬儀の日は、遠くに見える山並みが綺麗な朝だった。荒い岩壁にうっすらと雪がかぶり、まるで絵画のようだった。

 読経が終わり、棺を囲んで花入れをしている時、父が夏井いつき先生の本を棺に入れたいと言い出した。祖父は俳句が趣味だったのだ。

 その瞬間、わたしは急激に悲しみに襲われた。 

 なんでも冷静ぶろうとする癖があるわたしは、祖父の死もカッコつけて冷静でいようとした。

 でも、夏井先生の俳句の本といつ至って日常的なアイテムが、急にわたしと祖父の死を結びつけた。そして、すっかり死体の顔をなってしまった祖父を覗き込んで、誰にも見えないように泣いた。

 祖父は一時間ほどでお骨になった。火葬場の炎は蒼く、この世のものとは思えなかった。

 そういえば、火葬している間に親戚と会食をしたのだが、火葬場の職員が」故人さまの好きだった飲み物を供えたい」と声をかけてくれた。

 父はカルピスウォーターを、と答えた。火葬場にあるわけがない(笑)結局は地酒を備えたが、祖父がカルピスウォーターが好きだとは知らなかった。

 早朝から始まった葬式は昼には終わった。一人暮らしの自分の家に帰ってくると、だんだん泣けてきた。

 覚悟できていたはずなのに、幼少期の大事な物がもぎ取られたように辛かった。

 いつもいつも、自分はそうだ。

 大事な場面の時には泣けない。

 一人になって、まるで自分を傷つけるように泣く。

 祖父が初めて危篤だと聞いた時も、老人ホームを出て一人になった瞬間から涙が止まらなかった。

 これだけ悲しいのも、愛された証拠なのだろう。後悔はないが、ただ悲しみと喪失感で疲れ果てた。

 人が本当に悲しいと思うのは、きっと思い出が溢れかえる時なのだと思う。

 楽しいだけの時間がいかに尊く、儚いものであったか。それと悲しみの大きさは比例する。

 もしかしたらそれは幸せなことかもしれない。悲しいと幸せは表裏一体だ。

 身も心も疲れ果てて、わたしは帰りがけに買ったカルピスウォーターを一気に半分くらいまで飲み干した。

 うん、美味しい。

 祖父との思い出の最後のページに、カルピスウォーターが追加された。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?