個性の磨き方
大勢の人が個性的でありたいと願っていると思う。
最近その個性の正体がなんなのか、その磨き方について、なんとなく僕の中でこうなんじゃないか?という答えが出たのでそれをまとめてみる。
最初に断っておくと、僕は日本に住むただのサラリーマンで、特別な個性などは持ち合わせていないので話半分で聞いてほしい。
まずは偽物の個性の話をすると、みんなに興味を持ってもらいたい一心で奇をてらったことをして目立とうとしたり、変わってる人に見られたいがために自分を作ったり、ピンクが好きなのに黄色が好きと言ってみたり。
こういったものは個性と言えないと誰もが分かると思う。
なぜなら本心ではなく、人から特別に見られたいという外の視点を軸に考えて計算しているから。
個性的でありたいと思えば思うほど、逆に無個性になるように思う。
じゃあどうすれば個性的でいられるのか?
個性を磨くにはどうすれば良いのか?
それは「本音で生きる」ことなんじゃないかと思う。
そもそも、みんながみんな個性を持っていると僕は思う。
つまり無個性な人間は存在しないと思っている。
みんなの見解と自分の見解が食い違っている場面は多々あると思う。
例えば何人かの友達と遊んでいて、ランチをどこで食べるかの話になり、今日は暑くてさっぱりしたものが食べたいから「お寿司」にしようとみんなが言ったとする。
自分は「ラーメン」が食べたいのだけど、周りがそう言うから結局ランチはお寿司で食べることになったり。
例えば会議で自分が思っている意見があるけど、挙手して意見を言うのが恥ずかしいから何も言わずに結局会議が終わってしまったり。
そういったうちに秘めている考えが、個性の正体なのではないかと思う。
上の例で言うと「私はラーメンの気分だな」とか「私の考えですが…」とかで切り出した瞬間にみんなに認知される。
これは小さな例えだけど、その積み重ねが個性になるのだと思う。
僕の実体験で強く印象に残っているものがある。
今朝のニュースで殺人事件が取り上げられていて、ランチの時に会社の人とその話になった時だった。
「被害者が可愛そうだ」とか「加害者はどうしようもないクズだ」とか、そういった内容をみんなが口々に話していたけど、僕は「そこまで追い詰められるような人生を送ってきた加害者の人可愛そうだな…」と思っていた。
さすがにその時は自分の意見が言えなかったけど、今でもそういうニュースを見ると、加害者に同情することも多くある。
僕以外にも当然同じような考えを持っている人もいっぱい居るはずだし、その考え自体が個性と言いたいわけではなく、流れに逆らって自分を出すことが難しい状況で、それを出せる勇気があれば「人と違う」と認知され「個性」になるのではないかと思う。
大げさではなく、人と違う部分を殺してしまうか生かすかで、おそらく人生も変わってしまう。
だからこそ「本音で生きる」ことは個性を磨くことであり、自分らしく生きていける強固な信念にもなると思う。
個性を磨くために、先ずは声を上げることから始めると良いかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?