幸せになる方法
こんなタイトルのキーワードで検索すると、アフィリエイトありきの薄っぺらい記事が氾濫している。
僕は昔からメンタルを壊しやすいのだけど、これらの記事を見て幸せになれた記憶は一度も無い。
それでも模索し続けて、自分の中での幸せの定義がまとまったので参考にしてもらえたら嬉しい。
食事や運動、睡眠を整えるのは大事なことだけど、ここでは割愛させてもらう。
結論から先に言うと、幸せになる方法を探すのではなく、気づくことが大事なんだと思う。
好きな人と恋人になれたら幸せになれるはず。
コロナが収まれば、旅行ができて幸せになれるはず。
有名になれば、毎日楽しく暮らせて幸せになれるはず。
たらればで幸せを願っている時点で、不幸な状態だと自己暗示に掛かってしまうのが大きな落とし穴になっている。
僕も「恋人がいないから」とか「友達がいないから」とか「お金がないから」とか、そういったネガティブな考えが頭の中をぐるぐるまわり、不幸だと決めつけていた。
願えば願うほど「幸せ」は輝きを増していった。
極論を言うと、幸せは幻想だと思う。
有りもしない幻想を追いかけ続けていると、どんどん心が摩耗した結果、不幸になってしまうのだろう。
ではどうすれば良いか?
必要以上に幸せを願わず、平和な日常に目を向けるよう意識することで不幸から脱却することが良いと僕は思う。
今必要以上に願っている幸せがあるとしたら、まずはそれを抑えることから始めるのが良いかもしれない。
好きな人と恋人になれたら幸せになれるはず。
↓
いざ付き合ったらきっと面倒なんだろうな…。
コロナが収まれば、旅行ができて幸せになれるはず。
↓
今はお金貯まるしそれで良いかな。
有名になれば、毎日楽しく暮らせて幸せになれるはず。
↓
炎上とかして叩かれる可能性があるし、街中を自由に歩けなくなるな。
その上で、なんでもない日常の中の出来事に目を向けて、生活をする。
お昼に食べたレトルトカレーは美味しくなかったけど、今食べてるニンニクの芽牛丼はやっぱり美味しいなあとか。
せっかくの休みの日なのに何もしなかったなあとか。
楽しいことなかったなあとか。
こんなつまらない日常に対して「それで良しとする」のが大事なんだと思う。
幸せを願っている人は、四六時中幸せでありたいと願っていて、しかもその幸せは極上なものだと思いこんでいるのではないかと思う。
そしてつまらない日常に劇的な変化が欲しいと思っている。
(僕がそうだった)
幸せを諦めろと言っているのではなく、こんな日常でも「良し」とした上で、好きな人に振り向いてもらうために努力したり、いつか行ける旅行のために英語を勉強してみたり、そういった努力をする日常をそこそこ楽しみながら生活していけば良いんじゃないかと思う。
つまらない日常の中でも楽しかった時や嬉しかった時はあるはずで、それらは紛れもなく「幸せ」だったけど、そういった記憶は忘れてしまいがちだ。
幸せは日常の中に既に存在していて、願うものではなく、何気ない日常の平和を愛することが幸せなんだと思う。
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