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子供の後天的な意欲格差(インセンティブ・ディバイド)が日本の膠着化した階層化社会を生んでいる

【オックスフォード理論】

令和元年(2019年度)、日本の世帯平均年収は552.3万円でした。また、東大生の親御さんの平均年収は1,000万円を越えていると言われています。

お金持ちがお金持ちを大量生産するのはズルい、不公平だとある人は言います。だって、お金持ちの子供は教育費にたくさんのお金をかけることができているのだから、お金で学歴を買っている、そう非難する人たちがいます。


☆☆☆


マンキュー経済学の統計データによると、勉強時間とテストの成績には正の相関関係があることが分かっています。

論理展開させると

  • 沢山の勉強時間=テストで高得点

  • テストで高得点=高偏差値

  • 高偏差値=高学歴

  • 高学歴=大企業に内定

  • 大企業に内定=高収入

となるため、たくさんの勉強時間を確保した子供が高位のジョブに就職し高収入を得るモデルは実際に起きている事象です(*注釈1)。

日本もそうだけど、先進国は学歴社会です。

だけどこのモデルはたくさんの学費ではなく、たくさんの勉強時間こそが直接的な所得と結びついている変数であると言えます。


中学高校で勉強した微分積分や2次間数、古文は社会に出て何の役にも立ちません。しかしながら、意味のない勉強を我慢してやってきた子供のほうが高位のジョブに就く。

ここで社会科学者が行った実証試験を寓話でみていきます。ある学校でお金持ちの子供グループと、貧乏人の子供グループを作りました。

そして、その2つのグループに国語と数学の問題を出題しました。


テストの結果はどうなったのかというと、お金持ちのグループの子供たちのほうが高い点数を獲得することができました。

貧乏人の子供さんグループの親御さんはこのテスト結果に対してモーレツに批判しました。

なぜなら、お金持ちの子供のほうが教育費にたくさんのお金をかけることができているのだから、高得点になるのは当然だ、と。うちは貧乏なのだから、子供の教育にかけられるお金が少なく、このようなテストで子供の可能性を判断するのは不公平だ。そう非難したのです。


ある意味この非難は当然のことだと思ったため、社会科学者たちは考えました。そして、教育費では買うことのできない子供の表現力でもう一度試験を受けてもらうことにしたのです。

記憶力ではなく、創意工夫や表現力での試験。読書感想文での試験です。

その結果どうなったと思いますか?


結果は今回もまたお金持ちの子供のほうが優れた表現力と語彙潤沢なる読書感想文を書くことができてしまったのです。

オリンピック選手の子供にオリンピック選手が多いのはなぜなのか。芸術家の子供に芸術家が多いのは、なぜなのでしょうか。

子供は親を見て育ちます。


物心つく前から両親が昼食時に国際経済学やマクロ経済学の会話をしていたら、子供はどんな風に育つでしょうか。

両親が文学好きで、意識してないのに日々の会話のなかでゲーテやドストエフスキー、三島由紀夫や宮沢賢治、芥川龍之介の話をしていたら、どんな風に子供は育つでしょうか。

能力が高いのに不平不満を言わない。誠実に生きる。そういう社員を日本の企業は高く評価します。


遅くまで一生懸命に働く。そんな人達が日本の中間管理職の人たちです。

彼らは真面目です。朝から晩まで一生懸命に家族のためにそして自分のために、正しいことを正しいままに、それを当たり前だと思って一生懸命に働きます。中には過労死する人もいます。それほどに不平不満もこぼさず、ほんとうに誠実に、懸命に働くんです。

絶えず正しくあろうとする。当たり前にそれを、長時間労働やサービス残業を厭(いと)わず、義務として履行し、受け入れる。責任感を持って社会に出る。立身出世する。全責任を負う。そんな魅力的な人たちです。


日本の中間管理職、高所得者は基本的にこのタイプの人たちです。彼らは真面目です。すごくすごく真面目です。だからこそ、それが評価されて上司に出世したんです。

そういう人たちと0歳から18歳までずっと一緒の家で暮らしてきたら、どんな子供に育つのでしょうか。

難しい仕事であっても絶対にあきらめない父親の姿は、その精神性は、子供にも無意識のうちに引き継がれ、子供が難解な数学の問題を解くときにも、お金持ちの子供は父親と同じようにどんなに難しくたってあきらめないという父親の精神性を受け継いで行きます(*注釈2)。


だってそれが当たり前だから。努力するなんて当たり前だろ!と父親の背中は語ってきたのだから。父は常に努力し懸命に生きてきた人だから。そんな人たちが管理職まで出世して企業内でリーダーとなり、日本経済を支えてくださっています。

親戚のみんなが医者や企業取締役や経営者で、その人たちは子供の頃から意味のない勉強をしてきた。

微分も積分も医者や経営者になったあとまったく役に立たなかった。でも、それでも一生懸命に勉強してきた。


お金持ちの家の子供は、意味のない勉強のその先に、たくさんの勉強のその先に、輝かしい未来が待っていることを知っているんです。

なぜなら、周りの大人たちはみんな成功者でありお金持ちだから。

父や母、親戚の叔父や叔母がどうやってその地位まで上り詰めてきたのかを子供の頃から知っているんです。お金持ちがお金持ちになったその成功体験を子供の頃から知ってしまっているんです。


彼らはみんな努力をしてきた。子供の頃、皆が意味のない勉強を途中であきらめずにやってきたからこそ、医者や取締役や経営者になれたという事実を知っている。

意味のない勉強はほんとうは無意味じゃなかった。その先に輝かしい未来が待っていた。これをお金持ちの子供たちだけが知っている。

成功者が周りにたくさんいることで、努力を途中で止めない子供が育ちます。だってそれは一見意味のない勉強のように見えても、実は意味があったから。


医者になるのに古文も微積分も全く必要ないけど、医学部に合格するのにその学問は、とても意味のあるものだということを当たり前の様に知っている。

逆に生活保護者や低所得者の子供は、親に成功体験がありません。

身近に成功者がいません。また、ご両親が努力しても上手くいかなかった事実(挫折体験)を身を持って知っています。


社会において努力して成功するのは一握りだけど、努力しないで成功する確率は0%なのに、自分の両親が努力しても結果が出なかったことを、それを見て貧乏人の子供は育つのです。

貧乏人の父親と母親は成功体験がありません。だからその意味のない勉強の先に輝かしい未来が待っていることを彼らは知りません。子供が勉強をしてもそんなの止めちまえよと言うのはそのためです。

お金があるかないかは結果でしかない。努力をあきらめないで続けること。たとえ意味のない勉強であっても、社会に従順に従い、努力を続けていくこと。


お金持ちの子供と貧乏人の子供の差はそれを「知っているかどうか」、つまり「努力は報われる(ことがある)」ことを知っているか知らないかの差でしかない。

貧乏人の子供ほど勉強なんて無意味だ。僕は冒険家になる。プロスポーツ選手になる、ユーチューバーになる。

と無謀なことを言い、夢を見ることで、格好をつけて勉強を途中であきらめ挫折する理由ばかり作ろうとするのは、そのためです。身近に成功体験を持った親が居ないためです。


だから、どのような所得の子供であっても、意味のない勉強を続けてほしい。断言する。その勉強は社会に出て絶対役に立たない。

だけど、まったく役には立たないけど、高学歴になり高位のジョブに就くためには、とても役に立つということを知っておいてほしい。

周りに成功者が一人もいなくても意味のない勉強をするという努力は「絶対に報われる」ということを親から受け継がなくても、それを知っておいてほしい。


学校での意味のない勉強をするという努力は職業選択の自由度を広げるという意味において絶対に報われる。

そして新たに追加される職業は、すべて高賃金だということを覚えておいてほしい。

高卒ではSONYも任天堂もトヨタ自動車もキヤノンも医者も弁護士もパイロットも宇宙飛行士も科学者も物理学者にも、すべてなれない。これら全て高卒では求人すら存在しない。だから応募できない。応募する資格すらない。職業選択の自由度とは選択肢が増えるということではない。


高卒と大卒で生涯平均年収に1億円の差があるというのは、大卒で新たに追加された職業、つまり大卒でないと応募できない職業はすべて高所得の求人であるということを覚えておいてほしい。

そして、テストの成績と直接の関係を持つのは勉強時間であり、お金持ちの子供は単純に貧乏人の子供たちより当たり前のように勉強時間が圧倒的に多い。ただそれだけなのだから、格闘家になりたいとか冒険家になりたいとか、貧乏人の子供だけが格好を付けて勉強をしない理由を、勉強を途中で投げ出す理由を探さないでほしい。

意味のない勉強はほんとうは意味のない勉強なんかじゃないということを知っておいてほしい。難しい問題があってもあきらめないで勉強を続ける。それがその子の将来の職業選択の自由度を広げることになるのだから。


これが努力の後天的な遺伝、「オックスフォード理論」です。オックスフォード理論の恐ろしいところは、社会学者による膨大な量のサンプルデータから社会階層ごとに子供の「努力できる容量」には生まれながらの格差があることを示唆していることです。

先進国では、生まれ育った家庭環境によって子供の努力できる量が既に決まっている。

階層化が進んでいる。貧乏人の子供が貧乏人になるのはそのためである。変数は貨幣の容量(お金持ちかどうか)ではなく情報量(成功体験があるかどうか)なのである。


努力するのは当たり前という成功者に囲まれて育った子供と、俺の人生はたくさん努力しても上手くいかなかったという成功経験のない、または少ない大人に囲まれて育つのとでは、子供の努力できる総容量にそもそもの格差があるため自己責任論は絶対に誤りである。そこに子供の過失は一切ない。という論理性を秘めています。

だからこそ、その論理性を知る必要があると私は考えています。階層化を抜け出すのに必要なのは、貨幣の量ではなく情報量です。

社会科学(社会に存在する科学)、この論理性を知るべきです。


苅谷剛彦さんの論文に書かれていたインセンティブ・ディバイド(子供の意欲格差社会)の感想をここに記します。

皆さんの行動論理を変革できたなら、皆さんに知性を授けることができたのなら、こんなにうれしいことはありません。

このエントリーは、インターネットによる私から皆さんへの贈り物です。


(*注釈1):ちなみに、相関関係ではなく直接的な因果関係としては、子供の学力に与える影響は、遺伝が35%、家庭環境が34%。残り31%が学校や地域社会などである。

優秀な恩師(先生)が子供の学力を開花させてしまうということもあるのだ。しかしこれら遺伝、家庭環境、学校の先生や地域の人たちという子供の学力に直接影響を与えている因子は、すべて運であり、子供の学力向上において個人の努力というものは一切介在していない。

また、子供の将来の所得に与える影響は遺伝が30%、家庭環境が41%であり、遺伝よりも所得と直接結びつくのは家庭環境なのである。貧乏か金持ちかなどは一切関係がない。小さい頃から子供を自主的に机に向かわせ勉強させる習慣、(これが子供の勉強時間を飛躍的に増加させる)を作れたかどうかが、その子の生涯年収に直結していたのである。

遺伝は約3割のためそれなりに大きい。しかし、それ以上に家族(特に親の知力)も重要だというのが教育経済学の研究結果である。これらの研究論文はすべて中室牧子著者、「学力の経済学」のなかに執筆されている知見である。

最新の教育経済学の研究データに依ると子供の(私たちの)学力は遺伝、家庭環境、地域社会と、全て運で決まっていたのである。


(注釈2*):統計データに依ると、厳密には父親ではなく子供と一番接する時間の多い母親の学歴と子供の学歴に相関があることが分かっている。

因果関係ではなく相関である。相関である以上(原因と結果の関係ではなく、データの動きが類似している)である以上、因果関係は親の持っている情報格差であるため、意味のない勉強のその先に輝かしい未来が待っていることを貧乏人の親御さんが子供に教えれば、階層化社会を脱することは可能なのだ。

重要なことはお金ではなく情報であり、親の持っている知力である。その知力を明示させているのが学歴に過ぎない(学歴はないが優秀な親。頭の良い親、教育熱心で子供を能動的に机に向かわせるのが上手い親というカテゴリーも存在する)。

お金持ちがお金持ちを再生産するのは、彼女たちは高学歴であり、情報を持っている(意味のない勉強はほんとうは意味がなくない、意味があるんだ)ということを知っているためであり、それを知っていれば所得の低い家の子供さんも、いつだって富裕層になれるということを、この社会において不平等の再生産を絶てるということを、私は他者に伝えたいのである。要は富の多寡より親の知力なのである。

関連エントリー:なぜ、学歴社会が無残で規則正しい社会と呼ばれるのか?


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