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書くこと

『春のこわいもの』の雑感を書いてみて、自分にとって何かを文章にすることというのはどういうことなのだろう、と思った。
どういうこと、というか、文章を書くことで自分にどういう意味、効果があるのだろうという疑問。

なんで書くのか、ということをまず考えた方がいいような気もする。
何かしらを書き始めたのは小学五年生の頃で、日記というのを毎日書いてる人はかっこいい、と思った。そこから毎日ではないが、三日に一度は何かしらを書くというのをちまちまと、ただずっと続けてきたように思う。
単純に今日こんなことがありました、という報告系のものから、なんでこんな事言われたんや!という怒り系のものまで多種多様である。
昔のものを振り返るのは非常に恥ずかしいが、あー、この頃は小さな世界の中で一生懸命に、怒って、笑って、幸せと感じようとして、いたのだなあと思う。
振り返り症をたびたび発症する私にとって、日記を書いておくのはよい材料である。

これはきっと文章にしなくても、口で発表すればええやんということまで書く。
前回の続きではないが、私は人に自分の考えを発表するのが怖いというか苦手だからです。


何かに文字で残るよりも怖い。発するのは一瞬なのに、人の心に永遠に残る言葉がある。
そういう言葉をたぶんたくさん使ったやろうし、使われた。その言葉がポジティブなものであろうとネガティブなものであろうと関係なく、人の心に言葉を残すのは怖い。
だから人にいう前に書くようになった、のだな。

書く効果、という風に書き始めたが、そうじゃないな。
めちゃくちゃ自分本位で、自分のために書いている。自衛?わからんがそういうものでしょう。

なんかねでも、書く時、私はこの記事の表紙の写真のような場所から、ちょっとずつ、自分の使いたい言葉を選んで、取って、戻して、してるような気がするのですよ。


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