3DO記事 あとがき

難産でした。

いろいろと書き上げている最中も資料を取り寄せて訂正していったのですが、その資料も肝心要の松下の狙いが抜け落ちていて何をどうすればええねん的状況に陥り、得意技である「一番もっともらしいストーリーライン」に作り込むことに専念して3DO記事は生まれました。想定以上の反響があって驚きました。ありがとうございます。毎度のごとく、脚色部分と事実とは違う箇所の解説を致します。また、本編に入りきれなかった小ネタも紹介します。

loderunさんからご指摘がありました箇所は「ゲームオーバー」からの引用なのですが、これはおそらくloderunさんの指摘のほうが正しいと思います(ゲームオーバー以外に当時のアメリカのプログラマー事情が書かれた書籍をもっていないので……)。


また、同等にゲームオーバーからの引用では「EAはGENESISの解析に成功しており、それを元にセガを揺さぶりかけて、優遇措置を獲得した」という歴史が語られていますが、元セガ社長佐藤秀樹氏は「実際にEAと裁判を行い、しかもセガが勝った」という歴史を語っています。そうなるとEAに優遇措置を与える理由はセガはもっていないわけになるわけで……?? ここらの詳細がわからないので、旧史観のままの記述です。申し訳ない。

イマジニアがハードの自主開発に身を乗り出していた、というのは「セガvs任天堂 新市場で勝つのはどっちだ!?」にて、小玉氏自身が語っていることなのですが、これはちょっと、偽の歴史なのじゃないかな? と思っています。イマジニアに焦点をあてた本はいくつかあるのですが、そのときに「いずれゲームハードを出したいですよね」みたいな内容は見つかりませんでした。
これは小玉氏が3DOの設計が優れているのだと言いたいがための、広告用の偽の歴史なのではないかなぁ、というのが私の印象です。


松下の値段設計のくだりはかなりの部分を私の想像で補っています。ただしこの頃、パソコンもまだ何十万の世界で、10万円代のパソコンを用意した「コンパックショック」が1992年ですし、家電の3DOを8万円で、というのは松下目線ではおかしくないのだろうな、という具合です。

松下系列の販売員が3DOの取扱に苦慮した記述は「売られた喧嘩、買ってます」を参考にしました。同書によると3DOは「夏期のメイン商材であるエアコンを売るための添え物」だったそうです。そこから膨らませて全力で脚色しました。
松下がソフトの流通の、具体的な発注や在庫、リピートについて語ったことがない(!)ので、思惑云々は100%私の想像です。語ったことがないということはそこを重視したことがないということですし、SCEが実現した流通革命を、松下が先んじて成功させた……というifは成立できないんじゃないかな、と思います。


三洋が具体的にいつ撤退したか、松下流通へ一本化したのはいつか、という具体的な日時がわかりません。ので、あまりそこに踏み込んだ記述でなくなっています。申し訳ない。もともと三洋ルートで飯野賢治はDの食卓を作り上げていますが、2の制作にあたって松下の協力へと切り替わっています。そもそも飯野賢治は松下の誘いを受けて3DOに参加した経緯があるのですが、Dの食卓をつくるにあたっては松下に不信感を抱いており、三洋に切り替えた流れが存在します。このあたりはゲーム夜話さんの飯野賢治特集にて詳しく解説されていますので、動画にてご視聴ください。

また、メタルギア3が開発中止になったくだりがありますが、これによってメタルギアソリッドが生まれた……というわけではなさそうです。


メタルギア3はマルチタイトルであって、3DO、PS1両方に出る予定であったようです。ですので、もしあの震災がなかったら、神戸に開発事務所がなかったら、としても3DO独占でメタルギアが発売されていた、ということは起こりえず、それによって売上が伸びる……というifも存在しえないようです。

いずれにせよ3DOが行き詰まるのは明白であった、ということであのような締めの言葉となりました。少しあっさりしすぎた落ちかな、とも思いますが、3DOというプラットフォームがあっさりした撤退をしているので、まぁいいかなと思います。

次の記事は未定です。相変わらず地獄のような仕事量なので。落ち着くまでもう少しかかるので。落ち着いたあとに再度考えます。FE裁判や中古裁判あたりに手を伸ばそうかなぁとも思ってはいます。

それではまた。

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