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基本的には、よい人間ではないと思う。

良い人間というのをどのように定義するかによるけれども。
良心と愛情と称されるモノから生み出される、人を良い方向へと導く行動がある。漫画とかでよく見る。『GTO』の鬼塚さんとか『ONE PIECE』のルフィーさんとか、そんな感じ。あれにはホント憧れる。感動するよね。裏表も打算もなく、やっちゃうのかよ。救っちゃうのかよ。「マジかっけー」である。気持ちが大事って、最後には気持が成否を左右するのかなって思ってしまう。作家さんの力なのか、主人公のHERO具合なのかは不明ですが。
しかし、表裏と打算無くして、私という人間は成り立たない。そういうところに、10代のころは、後ろ暗い感じがして嫌気がさす時もあった。
だが、人間、慣れというものは確実に存在するのである。
諦めが肝心という言葉もある。
自分の感性とか感情とか本能とかいわれるようなもので他人と交流した場合、大部分バイオレンスな感じとか女王様か何かのごとき様相を呈しており、自分で言うのもなんだが、子供だから許されていたのだと思う。自分では許されていたと感じているが、事実は不明だ。周りが見えるようであれば子供ではない。
わたくしの場合、本能的なもので、他人と交流すると、たいてい碌なことには成らないのだ。フム、亀の甲より年の功という言葉もありますね。
ちょいとばかり成長して、周囲が見られるようになると、さすがにこれじゃダメだって気がしてくる。そして擬態した。

そして、現在子育て真っ最中である。
自分が碌でもない人間であることは知っていたつもりであるが、何故か、子供を産んだばかりから最近までの時分は、忘れていたようでもある。色ボケだろうか。

やはり、擬態は大事だということに遅ればせながら気づいた昨今。


預金とお金の使い方学習のために。
ひいては、我が家銀行のますますの振興のために。
社会の仕組み、貢献と報酬の仕組み学習のために。
グループにおける貢献のもたらす地位の向上学習のために。

ちびっ子たちには、お手伝いをして稼いでいただくようにしている。
「ゲームをしたければ、家事手伝いをおやりなさい」という課題を出すのだ。この点、まったく教育していない。この問題点は、ゲームとお手伝いの間に論理的なつながりがないところだ。「お出掛けをしたければ、お風呂に入ってきれいになりなさい」には論理的なつながりがある。ちびは「お出掛けしたい」私は「風呂に入らせたい」というそれぞれの希望が見事にマリアージュした好例である。
相手を動かしたければ、相手の望むことを差し出す必要がある。
ただし、それを教育と結びつけるならば、注意がいる。
パブロフ化することが、望ましいと感じられなければならない。
『出かける前には身綺麗にする』のは身に着けてほしい所作である。私の「掃除してほしい」という願い、に対応するようなちびの願いは「友達を家に呼びたい」とかだろう。あるいは「健康でいたい」(←まず、無い)。いやむしろ、「キレイなところで暮らしたい」という安全に対する欲求だよ。「キレイ」が報酬です。

まぁ、それは置いておいて。

本日はちびっ子末っ子に、洗濯物を干すお手伝いをしてもらいました。
初っ端から、ちびっ子から、「ママ、怒ったら、絶対しないからね。途中でも止めるからね」というでっかい杭を刺されました。
これまでの、わたくしの扱いが知れようというものです。
ごめんね、ちびっ子。
まぁそれは置いておく。
洗濯物を洗濯ばさみ(ピンチ)に挟んで干すのと、ハンガーにかけて干すのとどちらが難易度が高いかというと、ハンガー。ハンガーです。
まず、干すものの種類が違います。
ピンチ=タオル、ハンカチ、靴下、下着
上記のモノ達は、シワやヨレが少々あったところで大して気にならない。
ハンガー=主に上着。スカートやズボンやTシャツ、Yシャツ
シワもヨレも気になる。むしろ、濡れているうちにしっかり伸ばしておきたいシロモノ達ばかりである。加えて、脱ぎ方が半端なので、シャツの袖が片方隠れていたり、ズボンの片足が完全にひっくり返っていたりするのだ。完全に裏返っているものは良い、何の問題もない。ひっくり返す苦労があるということではない。うちではもうひっくり返さずに、そのままに干しているので、そこは問題ではない。何が問題って、中途半端に裏返っている洗濯物は、干している時によく落下するので、干すのが難しいのだ。

ということで、ちびっ子には、洗濯ばさみをお願いしました。

拒否されました。
ハンガーにかける方がいい。洗濯物を、ハンガーものとピンチものに選り分けるのがしたいと。
ふむふむ。
マジか。
わたくしのよこしまな思考が伝わってしまったのだろうか。
ブツクサいうのも嫌だ。←いつもこういうので物別れになる。「こうしてくれ」というお願いが強めになって、強制っぽく接してしまう。
折角ちびが干した洗濯物なのに、ちびに気づかれないようにハンガーに肩の位置を合わせたり、パンパン引っ張ってシワを伸ばしたりと横やりを入れてしまう。

仕方ない。やる気が一番だ。

ハンガーを任せた。選り分けは私がやった。
ピンチに干しつつ、ちびの選んだハンガーに合う洗濯物を渡す。
そして、あと一枚でピンチが終わるというところで事件は起きた。
ちびが、「ママ洗濯物とって」というのに、「あと少しで終わるから待ってー」と言っている間に、ちびは独断で洗濯物を選び干したのである。

ズボンかけハンガーのピンチ付きのやつに、綿100%のヨレ易いTシャツ、しかもちびっ子兄のシャツを干していたのである。ちびっ子末っ子のシャツであれば、何も言わなかったかもしれない。いや何も言わない(←この言うときと言わないときの変化がわかりにくいところも良くないのだろう。良いことを薦めるという意志が弱いんだろう。きっと)

あああああああああああぁぁぁぁ・・・・

ヨレルヨレルヨレル。ヨーレイホイッヒー。
ここは意を決して、進言する。
「ちびっ子末っ子、してくれて有り難いんだけど、これはイカン。お兄ちゃんのだし、ちゃんとこっちのハンガーにかけてくれ。」
この後、ちびっ子末っ子はプンスカして退場してしまった。
きっとちびっ子の心の中では、「ワイがママに洗濯物取ってと言った時には反応せんでおってからに、何をいまさら注文つけとんのんじゃー!遅いわボケー」くらいの口撃を噛まされていたかもしれません。

えー、わたくしは怒っているつもりも何もなかったのですが、ががががが。

いつもだったら瞬間湯沸かし器並みの反応で、報復行為を考えます。
「なんで注意しただけなのにすぐむくれるのか」と怒るとか、「そういう態度良くないよ」とイライラした態度を見せるとか、洗濯ほしの報酬半分の半分とか。

しかし、ここでイライラしてしまっては負けです。

洗濯には良い印象を与えたいのです。良い印象を与えたいのです。これからも末永く続けてほしいのです。それであれば、イライラと怒るのは最低最悪の一手と言えるでしょう。だから、できたところを見直し、「ありがとう、助かったよ。またよろしくね。」と笑顔で言うのです。刃具して言うのです。刃具ではありません。ハグです。むぎゅーです。
うちのパソコンはなぜこんな殺伐とした変換をしおおせるのでしょうか。ハグを刃具とは。恐ろしい子!!

ということで、完全なる打算から、”ありがとう”と”むぎゅー”を行いました。私は、これでよいのです。完全野生だと、ちびっ子相手に報復を考えてしまうような少女が私の中には潜んでいるのです。潜んでないけど。

成長するための某かにに使わせていただきます。