悪気はない。広辞苑が厚かったのだ。

 たまたま目についた広辞苑で頭をぶん殴った。重力相まって振り下ろされたそれは、泣かされた小学生がよく先生に訴える「叩く」なんてもんじゃなく、完全に「殴る」だった。
 広辞苑で殴られたそいつは蛙みたいに小さく鳴いて地べたへ倒れ込んだ。
 凶器の広辞苑を手にした当初は、叩かれた頭がズンと沈んで、かわりに「いってーよ。ばーか」なんて優しい抗議が返ってくるものとばかり思っていたから、その点は少々驚いた。実際は、殴られた勢いそのままに首が折れるようにひん曲がった。曲がったというか伸びきった。それが原因であいつはあっけなく死んでしまった。

 スポーツに勤しんだことのない中肉中背の同級生に冗談の末殺されたことと、広辞苑で頭をしばかれたためにあっさり亡くなったこと。この場合、はたしてどちらが悲しいのだろう。どっちに関して人々は哀れめばいいのだろう。まあ実際そんなことはどうでもいいか。気にするだけ時間の無駄だ。だって当の本人は死んでいるんだもの。
 そんなことより、なにか大切なことを見落としている気がする。そもそもスポットを当てるべきはそこではない。灯台下暗し。木を隠すなら森の中。恨みは三代先まで晴らせ。おっと。これは関係ない。
 そうだ。たかが本の一冊で叩いたごときで仮に死罪にされてしまっては、こちらとてたまったものではない。判決を下したそいつも求刑したあいつも広辞苑で叩く(心情的には本当は殴ってやりたいがそれでは死んでしまうことがわかったので)しかなくなる。こうなると、余罪が増える。なんと、ウロボロスではないか。この身はどう足掻いても犯罪者足り得てしまうのか。
 む。そろそろ公判の時間か。いっそギネスに載せる方向で話をまとめてみようか。大切な友を失ってみな悲しんでいるはずだ。明るい話題の一つもしてやらねば、死んでいったあいつもきっと浮かばれまい。

 ドアがノックされた。その音があいつの相槌みたいで背を押された気がした。うん、そうしよう。

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