手を上げろ!さもなくば
睨み合う二人の男。空気清浄機の音だけが狭い室内を漂う。
「手を上げろ!」男の剣幕には切れ味があった。
「嫌だと言ったら?」対する男には余裕がある。
「上げたほうが身のためだぜ?」男の指に力がこもる。
「違うね。お前のためだろ?」男の表情には涼しげさすらある。
「後悔するぞ!」男はほとんど叫んでいた。
「さあ、どうだかな」口元に微笑をたたえたまま男は自分の足元を見つめている。
力強く握られた拳を解いて、観念したように男は背を向けた。
「本当に後悔しても知らねえぞ。そいつは手を上げることでしか学習できないんだ。痛み以外の感覚も、感情も、ない。お前はいつの日か手を上げるだろう。そのときにはもう俺はいない。助ける者はない。一人でどうにかするんだな」男はそれだけ言うと扉の向こうへと去っていった。
男には直感でわかった。もう彼と会うことはないだろうと。
「大丈夫だ。俺は何があってもお前に手を上げたりはしない。そのために例え10年、20年、30年が費やされようともそれは本望なんだよ。愛した女のために捧げる時間なんだから」
男は物言わぬ女を包むように抱きしめた。
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