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2020年の終わり。

写真作家の才田です。
気がついたら2020年が終わろうとしています。

本当に色々あった1年。私の制作も大きく軌道修正せざるを得ず、また経験したことによって作品も変化していくだろうと思います。

私にとっての2020年は「疫病と死」「交通事故」でした。

疫病と死

私は「命の質感」というテーマで10年近く制作を行ってきました。「私達は生きていて、いつか死ぬ」ということ。当たり前の事ですが日々を過ごしているうちにいつの間にか忘れてしまっている感触・輪郭・紋様。それらを写真で可視化することで「命」をほんのすこし身近なものにすることで、作品に触れた方の人生を少しでも豊かにできればと思って制作を続けてきました。

自粛の流れが少し落ち着いてきた時、私は展覧会やイベント会場で作品を発表して人を集めるべきかどうか、とても悩みました。

「アーティストなんだから自粛なんて気にするな」
「みんな自粛してるから今はチャンスの時だ」
「感染対策をしていれば大丈夫」

相談した方々にはそう言われました。私はそれらの考えに賛同できませんでした。

「命」や「死」をテーマに扱ってきた作家として、作品を観にきてくださる方々や作家仲間、そのご家族に「死」のリスクを負わせることは私の死生観や作品のコンセプトとは全く異なるものだと判断し、当分の展覧会などでの活動は全て止めました。

「死」は突然やってくるのです。
2008年に兄を不慮の事故で亡くしました。
2013年には親戚が殺人事件に巻き込まれて命を奪われました。

死は不条理であり、逃れようがなく、ただ一瞬で全てを終わらせるのです。今は立ち止まり、歩み方を変える時だと判断しました。

そのかわり、オンラインギャラリーやECサイトなどweb上での発表方法に絞ろうと思い、今は制作と並行してスキルアップ(web/DTP/etc...)や予算集めに努めています。

「また今までのような展示ができるようになればいいな」
「時代は変わった。これからの時代を考えよう」

この両端で揺れながら、2021年をゆっくりじっくりと歩んでいこうと思います。


交通事故

前回記事を書いた5月10日から数日後、仕事現場へ歩いて向かっている途中にミニバンに跳ねられて重傷を負いました。

跳ねられた瞬間、

「あ、とうとう私の番が来たか」

そう思いました。人は死の危機が迫ると時間の流れがスローに感じると聞いたことがあります。あれ、本当です。ゆっくりとアスファルトに叩きつけられながら、私は死ぬのだと感じました。

しかし、

「家族を残して死ぬわけにはいかない」
「まだやり残したことがある」

と、瞬時に覚醒して、体の動くパーツをフル活用して安全な場所まで転がって移動していました。車に跳ね飛ばされてからほんの数秒だったと思います。「火事場の馬鹿力」っていうのでしょうかね。人間って凄い。

ミニバンの運転手と同乗者の方がすぐに対応してくれたのは本当に助かりました。救急車に乗り込んでしばらくして家族が駆けつけてくれました。自宅から事故現場まで2kmの距離を走ってきたらしいです。「火事場の馬鹿力」っていうのでしょうかね。人間って本当に凄い。

それから今に至るまで社会復帰の為に週3ペースでリハビリを受けながら過ごしています。事故当初は左半身がほぼ動かず、寝たきりの生活でしたが数ヶ月後には足が動くようになり、徐々に上半身も回復してゆきました。

今もヘルニアによる痛みや痺れなどの後遺症はありますが、日常生活を問題なく過ごせるようになりました。

「疫病と死」でも書きましたが、私は突然の死によって家族を失いました。その体験が作家の道を歩む大きなきっかけになりました。今回は私自身が「死」のゆびさきに触れる出来事でした。去年腫瘍の摘出手術を受けたのですが、それとはまた違う「死」の体験でした。


終わりに

今、私達の周りには死の気配が漂っていて、どこかそれを忘れようとして、でも不安で押し潰されそうになって、辛い思いをしている人に手を差し伸べて、目立つ行動をした人を言葉の暴力で痛めつけてこの状況を生きています。

誰が悪いわけでもない。「死」が不条理なだけです。それがウイルスによって輪郭が濃くなって社会は大きく変わりましたが、人間そのものはやはり変わらない。

でも、どこかで「人間って凄い」と思いたい自分がいます。

私にとって「疫病と死」「交通事故」の2020年。

来年は少しでも穏やかであればいいなと願うばかりです。

それでは良いお年を。来年もよろしくお願いします。

202008撮影015










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