日記をつけるという習慣 其の2
読書習慣と日記の融合
読書ノートを日記と絡める
私は中学から日記をつけ始めた。
初めは好きな子のことを存分に書いていただけだった。
その日の思い出を記録すると、その日の出来事がフラッシュバックしてくる。何度も何度もその光景が浮かび、彼女とその都度都度、すれ違えるし、同じ会話を何度もできるし、何度だって笑顔を見ることができた。
そんな日記生活は、私の心の支えになり、生きがいともなっていくのだった。
「今日は日記に何を書こうか」
そんな事ばかりを考えて毎日を過ごすようになっていった。
すると当然のように、彼女との出来事が何もなく、何の進展もない日、という日が訪れる。
そんな日は、「何を書こうか?」と考えても浮かばず、仕方なくその日に読んだ本のことを書くようになった。
こんな具合に、日記とも、読書感想文ともとれるような内容の、読書ノートを付けるようになっていった。
この読書感想文寄りの読書ノートから、日記寄りの読書ノートに変わっていくのに時間はかからなかった。
日記は、普段の生活をしたためたもの。一方読書ノートは、本を読んだ感想。その二つを掛け合わせると、このようなものが出来上がるのだ。
自分の日記と、本の内容を結び付けて考えることにより、本の内容も頭に入る上に、日記としての内省も進む。
このような読書ノートを付けていくようになって、私の読書ノートは、いつしか好きな彼女のことよりも、読書ノートの比率の方が断然多くなっていく、という変化を遂げていく。
本の内容と、私生活を結び付けると、一冊の本のちょっとした文節でも、今日の出来事とつなげることができたことが、読書日記が続いた秘訣の一つであったと推察できた。
つまり、そんなにガッツリと本を読んでいなくても、『気になる一節』さえ抜き出すことができたら、その日の読書日記は出来たも同然だったのだ。
毎日、読書日記を書くことが、楽しくて仕方なくなっていったのは、言うまでもない。
かくして私は、日記という『好きな女の子の記録』から、読書ノートと日記の融合である『読書日記』へと進化を遂げた、私自身の生きがいを育んで今に至っている。
この読書日記は、今でも日々進化しており、現在はモレスキンのラージサイズの手帳に、毎朝書くルーティンを守っている。
今や、書かなくては気持ち悪くなってしまった。
明日の朝は、何の本について書こうかしら。
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