神のものは神にカエサルのものはカエサルに
納税についての問答
私の好きなドラマの一文
こう聞かれた。イエスは彼らの下心を見抜いて次のように仰せになった。
「どうして私を試みるのか、デナリオン銀貨を持って来て見せなさい」
彼らが持ってきたので、イエスは次のように言う。
「これは誰の肖像か、また誰の銘か」
「皇帝のです」
「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」
これはマルコにある福音書の『納税についての問答』の一部である。
私は滝藤賢一という俳優が好きなのであるが、その滝藤賢一が主演のドラマ『探偵が早すぎる』の中で同じセリフがあった。
「神のものは神にカエサルのものはカエサルに」
この文章がどのような意味を表しているのか、私にはよくわからなかったが、今回新約聖書を読むにあたり、この納税についての問答を読んだ時にここから来ているということがわかった。
カエサルというのは当然皇帝のことである。
このユリウスカエサルについての記述が載っている書籍も読んでみた。
ユリウス・カエサル ルビコン以前──ローマ人の物語[電子版]IV
【書籍紹介】
前人未到の偉業と底知れぬ人間的魅力で、古代から現代まで人々を魅了してやまない英雄ユリウス・カエサル。ローマの共和政に幕を引き、偉大なる世界帝国への道筋をつけた天才はいかにして生まれ、長じたのか。ポンペイウス、クラッススとの三頭政治を経て執政官へ。さらなる野望を抱き、ガリアへと旅立つカエサルが見た夢とは何か。
ガイウス・ユリウス・カエサル
紀元前100 〜 紀元前44(56歳没)
古代共和政ローマ末期の政治家・軍人。文才にも秀で、ラテン語の名文として名高い『ガリア戦記』などを著す。
ガイウス・ユリウス・カエサル。シェークスピアの『ジュリアス・シーザー』の登場人物としてご存知の人も多いだろう。
紀元前100年7月、カエサルはローマに生まれた。
彼のユリウス家を辿れば、ローマ有数の古い名門に連なる。紀元前700年代にローマを建国したロムルスは、ローマよりもっと内陸にあったアルバ王国の王家の者であった。ユリウス家はそのアルバ王国の有力者だったのである。
確かにカエサルの家は最古に等しい名門に連なる一族ではあったが、実情は格式だけで資産もなく「有力貴族」には程遠かった。
しかし伯母ユリアが当時の執政官で大有力政治家のマリウスの妻になる。この縁故でついにユリウス家にも栄華の道が用意されるかと思えばそれも束の間、却ってこのことが仇になってしまうのである。
マリウスとその元部下であったスッラがローマを奪い合う「ローマ内戦」が勃発し、スッラ政権下で仇敵マリウス派に属すると目された18歳のカエサルも死刑リストに載ってしまう。
マリウス派の後継者であったキンナの娘コルネリアと結婚していたカエサルであったが、スッラはキンナの娘との離婚を条件に命を赦そうとする。
しかし、カエサルはこれを拒否。
ローマから亡命することになり、お尋ね者の逃亡生活を余儀なくされる。
カエサルは、マイナスをプラスに変える力を持っていた。
スッラが病死してカエサルは再びローマに還るが、スッラ派の影響力はまだローマに強く、政界にカエサルの席などなかった。
彼はローマの下町に住み、弁護士を開業する。
この当時、属州総督による属州民に対する脅迫、賄賂、搾取などが頻発しており、社会問題になっていた。カエサルは次々とこの属州総督らを告発していく。
そしてさらにこの時のローマの最高権力者・執政官ドラベッラに対しても容赦無く告発するが、これに失敗。ドラベッラの暗殺者から逃れるために再びローマを脱出し、留学という形でエーゲ海のロードス島へと旅立ったのだった。
その当時、ローマの地中海覇権が伸長する一方で東方諸国の勢力は下火になり、結果として東方にあるエーゲ海は海賊がひしめく無法地域になっていた。ロードス島へ向かうカエサルは、ファルマクッサ島(現・南トルコ)周辺海域で海賊船に拿捕されてしまう。
海賊たちは当初カエサル解放と引き換えにタラント銀貨20枚(約6億〜12億円)もの金額を支払うように要求するつもりであった。
ただでさえ高額な身代金であったが、カエサルはその金額に対して「自分の価値はそんなものではない」と言い放つ。
逆にカエサルは自らの身代金を20タラントから倍額以上の50タラント(約30億〜60億円)につり上げたのだった。
『英雄伝』を書いた伝記作家プルタルコスによれば、この海賊は殺すことをも厭わぬ血の気の荒い連中であった。
他の貴族とそう変わらない金額ならば、一人ぐらい腹立ちまぎれに殺しても構わない。次の貴族をさらってくればいいだけの話である。代わりはいるのだ。
カエサルは、自らの命の重みを倍額にすることで誘拐者にとって、代わりのいない貴重な存在、になったのである。
かといって金が集まらずに殺されてしまっては仕方がない。集められる現実的な額を読みきってこの金額の値上げをしたのだろう。他の者を身代金の金策に走らせている間、カエサルは38日間、海賊たちと彼らの根城で「楽しく」過ごす。
若きカエサルは海賊たちと寝食を共にし、運動や鍛錬で海賊たちと汗を流す。カエサルは自分の作った詩や文を海賊たちに向かって読み上げ、これを称賛しない者やよそ見をする海賊に「無教養の野蛮人めが」「縛り首にしてやるぞ」と罵ったりもした。
到底、人質の生活とは思えない。しかし相手が60億円相当の価値ともなれば、海賊たちも大人しく従うしかなかったのだ。
海賊たちはさながら、若きカエサルの護衛のようであったという。
さて、問題の身代金である。名ばかりで財産のない亡命中の「旧名門貴族」の若者に金は集まるのだろうか。
これも50タラントが功を奏した。
海賊たちが60億円もの金額を提示してくるローマの名門貴族の若者とは相当な人物に違いない、と人は考えたのだ。
ローマとの有益なコネになりそうなこの若者に恩を着せたい属州諸都市から続々と金は集まり、カエサルは解放されることとなる。
カエサルはこの時、海賊に身ぐるみ剥がされた一文無しの、公職から追放されたローマ人に過ぎない。
普通は「命が助かっただけでもよかった」と泣き寝入りをするところだが、この男は我々の想像を超えた手に打って出る。
解放されたカエサルは、自分に一番多額の身代金を用意してくれたミレトス市に赴き、人々を説得して多数の軍船と乗組員をかき集めた。
準備が整うとすぐさま38日間海賊と過ごしたフォルマクッサへ直行して海賊たちを急襲。不意をつかれた海賊は一瞬で壊滅する。
戦利品として海賊の略奪品の財宝や金を獲得し、その中から50タラントの身代金を返済したのだった。
カエサルはその後、財務官などの職につき、元老院議員に選出される。
しかしローマ時代は財務官や執政官などの政治職はあくまでも名誉職であって、給与の出ないものであった。これに付随して金が出ていくことがあっても、職そのもので利益は出ない。
カエサルは35歳で上級按察官(アエディリス・クルリス)に就任。
この官職は、祭祀や公共事業を取り仕切る職務であった。
ローマ時代には、政治家たちが自腹を切って公共事業を行なっていた。
現在もローマに残る建物群は、そうした政治家個人がローマ市民のために作った遺産である。
もちろん、カエサルにそんな財産があるはずもない。
ところがカエサルは、フォルム・ユリウムなどの公共建築物を建て続け、アッピア街道の大規模修復を全て自腹で行った。
一体、カエサルのどこにそんなお金があったのだろう。出どころは、借金である。
彼の借金の総額は1300タラント。日本円にすると約720億円。
この金額は、11万の兵士を1年間養うことのできる金額であった。
共和政ローマの国家予算10%に相当する「借金」をカエサル個人が抱えていたのである。
カエサルが、「わざと」借金をしていたことはローマ史家たちの指摘するところである。
しかもカエサルは、尋常な額は借りない。
海賊事件の時のように、相手にとってギリギリの金額を借りる。
少額ならば相手は借金ごと自分を切り捨てることがあるだろう。金の切れ目が縁の切れ目とはこういうことをいうのである。
しかしカエサルは、金の切れ目が縁の切れ目であるのならば、金に切れ目ができないほどに莫大に借りた。
相手が潰れてはウチが破産してしまうという危機感を持つほどに借りるのだ。
そうすれば政敵でさえ自分を倒すことはできず、味方になるしかない。
当時ローマ市民の一番人気は、オリエント征服の武勲をあげた名将の誉れ高きポンペイウスであった。
後にカエサルはポンペイウスと戦い、勝利することになるのだが、この当時のカエサルは「それなり」に民衆からの人気はあったものの英雄ポンペイウスには比べ物にもならなかった。しかもカエサルには、まだ何も実績がなかった。幾ら借金で公共事業を行おうとも、それは実績には数えられない。
彼は現況から頭ひとつ抜ける必要があった。
そこで彼は借金を使い、ブレイクスルーを画策するのである。
借金は、悪にあらず
カエサルは、金を目的に借金をしていない。
借りる相手をよくよく選んでいる。
カエサルは膨大な借金の依頼を、ある人物のところへ持っていった。
マルクス・リキニウス・クラッスス。
後にポンペイウス、クラッスス、カエサルとでローマの三頭政治(トリウンヴィラートス)の一角を担う人物である。
このクラッススは、ローマの国家予算の半分の財産を私有していた大資産家であり、ローマ財界のトップに君臨する男であった。
アメリカの『フォーブス』誌が選んだ「歴史上の富豪」ランキングにおいても総資産額1,698億ドルで堂々の第8位に輝いている。
ちなみに2017年まで24年連続で保有資産1位、現在も上位にあり続けるビル・ゲイツの資産が、変動はあるにせよ1,000億ドル(約11兆円)前後である。
トランプ大統領の総資産でさえだいたい30億ドルであるから、1,698億ドルのクラッススがどれほどの破格の資産家であったかが判る。ローマ財界の王・クラッススはカエサルの提案を受け入れ、彼に莫大な金を貸した。クラッススはカエサルの最大債権者となり、また彼の借金の保証人にもなった。
巨万の富の持ち主ではあったものの、クラッススの性格は吝嗇家の傾向にあった。カエサルには潰れて貰っては困る、とクラッススもまた他の債権者と同じことを考えたのだ。
一方、カエサルはクラッススを最大債権者にすることで、ローマ財界を味方にすることに成功した。
相手に金を貸して言いなりにできるのは、少額のときだけである。注ぎ込めば注ぎ込むほど、その人間に入れ込まざるを得なくなる。
こうして莫大な借金でカエサルは、また債権者を自分の言いなりにさせてしまう。
こうしてカエサルが仲立ちとなって、不仲であったクラッススとポンペイウスを和解させ、総力をあげてローマの内政改革を斡旋することに成功する。これが三頭政治といわれるものである。そしてカエサル自らも三頭の一角に座ることに成功したのだ。
カエサルはこの後にガリア(現フランス)の地へ遠征することになる。
そこでもカエサルは借金をする。現地の部族長たちからも借金をした。
さらにはカエサル麾下の士官・隊長達からも金を借りる。この当時、ローマでは利子をとる借金は禁じられていたが、部下の隊長たちには利子つきでの返済を約束した。
一体何に使うのかというと、働きをした兵士たちへの報奨金として大盤振る舞いにこの借金を用いた。カエサルは、一貫して自らの富や贅沢のために借金をしなかった。だからこそ、人はカエサルに金を貸し続けたのだろう。
族長たちは金を返して貰わなければ大損害を蒙るので、とことんローマ軍に味方せざるを得なくなった。
配下の隊長達は、カエサル率いるローマ軍が勝たなくては金が返されないため死ぬ気で尽くす。
兵士たちは報奨金の気前の良さに士気を上げた。
カエサルにとっての借金とは、金自体が目的ではなく、金という万人が大事にせざるを得ないものを通しての「双方向コミュニケーションツール」であった。
事実、カエサルが最高位の終身独裁官に就任する頃には属州での蓄財で借金は全て返済している。位人臣を極めたカエサルには、もはや借金は必要なくなったのだ。
歴史にIfは禁物だとはいうが、カエサルが借金を完済していなければ、カエサルは暗殺されなかったかもしれない。
借金は、カエサルだけにメリットがあったのではない。
債権者たちも、借金を通してカエサルと繋がることができる紐帯だったのだ。
しかしカエサルがこれだけの借金をすることができたのは、彼に信用があったからである。
納税という制度を作り上げたのも、お金との関係性が強かったユリウスカエサルならではの、政策と言えるのかも知れませんね。
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