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受胎告知の絵画

ルカによる福音書

有名な受胎告知の絵画のモデル

マタイによる福音書では天使の声を聞いたのはヨセフである。夢のお告げであった。

しかしルカによる福音書ではマリアの前に天使が現れ、マリア自身が天使の声を聞いている。
名画として有名な受胎告知の絵画は、多くのモデルはこちらの方である。

同じ出来事を伝えているのに、微妙に食い違っているところが面白いところだ。
こうした微妙な違いは、日本でも見られる。
平家物語のように、『口承文学』として『語り継がれた物語』というのは、どうしても語り手の『誇張』が入ってしまうものだ。
なぜならば、『話しているから』である。
目の前の聞き手を喜ばせようと、どうしても語り手のサービス精神が作用してしまうのが原因ではないかと私は思う。

強引に辻褄を合わせに行くと、まず先に天使がマリアの元に現れ、聖霊によって身籠っていると知らされる。
その噂が部分的に広まり、許婚であったヨセフの耳に入った。
ヨセフは『聖霊によって身籠った』ことが信じられず、静かに婚約解消をしようとした。
その晩、夢に聖霊が出てきて、ヨセフもお告げを聞いた。

こうした時系列ならば、信じられる話となって、辻褄が合ってくる。

洗礼者ヨハネ

エリサベト(エリザベツ)はマリアの親戚筋の女性で、マリアの姉さん株といった役割になる。
エリサベトも長く子宝に恵まれなかったが、ある日、夫のザカリヤが聖所で香を焚き、神への祈りを捧げていると天使が現れ、
「ザカリヤよ、お前の願いは聞き入れられた。あなたの妻は男の子を生む。ヨハネと名付けるがよい。その子は母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、大切な神への役割を果たすであろう」
と告げられます。

このエリサベトの子、ヨハネは、イエス・キリストに洗礼をおこない、イエスの水先案内人ともいうべき役割を全うする、あの洗礼者ヨハネとなる。


新約聖書では多くは語られていないが、マリアの両親も子宝に恵まれていない。
この当時、子宝に恵まれていないことは、多かったのだろうか。
子宝に恵まれていない家庭にばかり、天使が現れて、偉大な人間となる人物を生ませていく。
これは、何を表しているのだろうか。
子宝に恵まれない事と、神の子やその取り巻きの人物を誕生させることの因果関係は、今後の課題としたい。
わかり次第、順次、ブログにて書いていこうと思う。

マリアがキリストを生んだ状況と、エリサベトがヨハネを生んだ状況の酷似についても、次回以降で触れていこうと思う。

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