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エデンの園

善悪の知識の実

神と同じになってしまう恐怖

神である主は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き込まれた。
人はこうして生きる者となった。

神である主は、東の方のエデンに園を設け、形づくった人をそこに置かれた。
神である主は、見るからに好ましく、食べるのに良さそうなあらゆる木を地から生えさせ、園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えさせた。


神である主が造られたあらゆる野の獣の中で、最も賢いのは蛇であった。
蛇は女に言った。
「神は本当に、園のどの木からも取って食べてはいけないといったのか。」
女は蛇に言った。
「私たちは園の木の実を食べることはできます。ただ、園の中央にある木の実は、取って食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないからと、神は言われたのです。」
蛇は女に言った。
「いや、決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っているのだ。」

聖書 聖書協会共同訳 引照・注付き 大型 SIO53 単行本 – スペシャル・エディション, 2022/4/28
日本聖書協会 (著, 編集, 監修, 翻訳, 企画・原案)
より一部抜粋


こうして『禁断の木の実』を食べてしまうのです。
この木の実を食べると、神様と同じような善悪や知識が身につくと言われています。その木の実を、食べてしまうのです。
神様に絶対に食べてはいけないと言われていたのに食べてしまう、これが、人類最初の『罪悪』と言われています。

食べてしまったことに対して、神様は激怒します。
約束事として言いつけてあったのに、その約束を守らなかった男女の名前は、妻を『エバ』、夫を『アダム』というのです。

エバは「蛇が騙したから食べたのです」と主張します。
そのエバから受け取って食べた、アダムも「あなたが私と一緒にいるようにと与えてくださった妻が、木から取ってくれたから食べたのです」と主張します。

そこで神である主は、以下のように罰を与えます。

  1. 蛇に対して、「あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中でもっとも呪われる存在となり、生涯にわたって這いずり回って塵を食べろ」と命じます。

  2. エバには「身ごもりの苦しみを大いに増し、子を産むときは苦しんで生むことになる。そして妻は夫を求め、夫は妻を治めよ」と命じます。

  3. アダムには「生涯にわたり、苦しんで食べ物を得ることになる。土に還るその時まで、額に汗して糧を得よ。元は塵なので、チリに帰るのだ」と命じます。


神様は、我々人間が、神と同じになることを恐れて、エデンの園からアダムとエバを追放します。

これ以上、エデンの園に住まわせると、『命の木の実』を食べてしまうことを恐れていた為です。
『命の木の実』を食べると、永遠の命が手に入ります。つまり、人間と神の境界線が無くなり、人間が神と同じになってしまうためです。


人間の強欲さがにじみ出る

これらのやり取りを見ると、人間の強欲さが初めから見て取れる場面となっていると感じます。

エバは、悪びれもなく「蛇に騙された」と言い放ちます。
しかし、蛇は、「その実を食べても死なない。目が開かれるのだ」と、事実を伝えているだけで、決して騙してはいません。
それにもかかわらず、エバは蛇を悪者にします。

アダムも、神様のせいにします。
神様が、一緒になるようにと与えた『エバが勧めてきたのだから、神様が悪い』と言い放ちます。
これは、アダムの言い訳が一番苦しいと思いますが、神様のせいにするあたり、かなりの挑戦者であることは間違いありません。

蛇は一番の犠牲者と映ります。
言い訳もさせてもらえていません。
それなのに、一番辛い処分を下されています。
生涯、這いずり回れ。
生涯、塵を食べろ。
生涯、全獣の中で一番呪われろ。
かなりのものです。

蛇に関しては、聖書によっては、『悪魔』と書かれているものもあり、『悪魔』=『蛇』という構図が出来上がります。
これは、蛇は太古の昔から、『呪われた存在』であるということの証と共に、『嫌われる獣』の代表格であったと推測します。

蛇がそそのかしたような描写で書かれていますが、実は人間ほど罪深いものは居ないという『事実』をストレートに書くのはためらわれたために、その事実をオブラートに包むための、蛇は『カモフラージュ』であるように、私は思えてなりません。


このように、『人間が神と同じになる恐怖』をもった神の様子は、まるでAIを作り出した人間が、『AIが人間と同じになる恐怖』を持った様子とよく似ていると感じました。

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