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写真家と寄席芸人と思い出と

−見るものすべてが写真になる

これは、ニューヨークを中心に活動していた写真家ソール・ライターの言葉である。

まずは僕の好きな写真家について書く。
ソール・ライターが脚光を浴びたのは83歳という遅さなのだが、彼の写真の特徴は色彩であり構図だ。

始めチラシをみて、かっちょいいと思いソール・ライター展へ行き、やっぱりかっちょいいとなったのだ。

雨粒に包まれた窓の方が、私にとっては有名人の写真よりも面白い

かっちょいい‥。

しかし、一般的には写真は作品としてではなく、思い出としての役割を担うことの方が多い。我々寄席芸人もそうだ。
寄席の楽屋は入れ替わり立ち替わり様々な芸人たちが楽屋を利用する。そしてそこにいる人によって雰囲気は変わるため楽屋というのは様々なことが起き、楽しいのである。楽屋で戯れる写真を何度も見たことがある。

だが、その日の楽屋は異様だった。

なんの偶然か分からないが、楽屋にいる4人の師匠それぞれ全員が仲が悪いのだ。
1日のわずか30分足らずだが、いつも楽屋でお喋りな人たちが一切口を聞かないのだ。

みな、出番前に集中している‥フリをしている。

実際は、

「早く帰りたい」

みな、こう思っている。仲は悪いが気持ちは同じだ。一体過去に何があったんだ。しかもそれが1日ならいいが、それが10日間続くのだ。

前座で当時入っていたが、もう一緒の空間にいるだけで辛い。きっと当人たちはもっと辛い。

そんなある日、救いの神が舞い降りた。

それは1枚の写真であった。

前日、とある師匠がその写真を置いていった。その写真は、その世代の師匠方が若い頃一同に介したものだった。

その日、いつも通り空気の重い楽屋。ただ一つ違う点は一枚の写真。
仲の悪い4人は、その写真を遠目で見ている。すごく気になっている。ちらちら見てる。
しかし、楽屋の空気は最悪。話すわけにはいかない。
でも気になる!見たい!なんだあの写真は!
一人の師匠が根負けし、言葉を発した。

「あれ、なんだこの写真は?」

嘘つけ!気付いてたろ!
と言いそうになったのをグッと僕は堪えた。しかもなんだ、この棒読みの台詞は。

すると他の師匠も**
「なになに、どうした?」**

さらに棒読みの台詞。なにかの劇でも始まったのか?
そこからは大盛り上がりだ。
「死んだ◯◯も写ってるぞ」
「え、どこ、いねえよ」
「ほら、右上にいるだろ」
「あ、いたいたいた!」
「な!懐かしいだろ」
決して目は合わせない。だがこの4人が笑って会話をしているではないか。


しばらくすると写真は置かれて、先ほどの会話が嘘みたいに静まり返った。

その時に学んだ。人は作品よりも何よりも、
『思い出』には勝てないのである。


ここに1枚の写真がある。

今年二つ目になった仲間と撮った写真である。
今はただの写真だ。だが、20年後30年後、この写真がセピア色に変わる頃、また違った価値が生まれるだろう。

ほら、耳を澄ませば、

「◯◯師匠の売れる前こんな感じだったんだ」
「死んだ◯◯が写ってる!懐かしい!」
「昔はみんな仲良かったんだけどね」

様々な声が聞こえてくる、聞こえてくる、、、


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