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パラパラめくる〈第4話〉

 私は改めて、このパラパラ漫画の作者は誰なのかを考え始めた。作者はやっぱり私が思い描いた理想で、実際にパラパラ漫画を描いたのは学生がただ暇つぶしで根気よく描いたものかもしれない。また「ジ-14」がクレームをつけたいがためにやった自作自演なのかもしれない。それは結局分からない。
 過去ニ作の本はどうやら、私だけではなく他の職員もあまり知られていないようなあまり人気のない本であるようだ。そしてどちらも一年以上貸し出しをされていない。ということは、本を借りて家で描いている可能性は低い。全ての本には磁気テープが貼ってあり、出口のセンサーで引っかかってしまうため、カウンターを通さずに家に持って帰ったという可能性も低いだろう。
 つまり、この図書館で描いているのではないだろうか。だから、わざと人気のない、あまり人が手にとらないような本を選んでいるのではないか。パラパラ漫画を完成させるためには、それなりの時間が必要である。そういう理由があるのではないかと私は考えた。
 ということは、この図書館内に作者がいるということになる。先生が私と同じ空間にいたのか。そう思うだけで、この図書館がまた別の場所かのように思えてくる。知らず知らずのうちに、会っているのではないか。一番確率の高いのは、自習席で調べ物をしているフリをしてパラパラ漫画を描いているということ。 
 だが、そう考えているのは、私だけではない。他の職員だって、なんとなく図書館で描いているのではないかと疑っているものも多い。こんな落書きを描くやつを早く見つけ出したいと正義をふりかざす人も何人かいるわけで、その人達よりも早く先生を見つけなければならない。
 そこから私は、先生の捜索活動が始まった。自習席の周りをようもなく歩いたり、本を棚に返却しながら、ノートを書いている人たちを覗いたりしたのだが、なかなか見つからない。
 そうしている間に、新しいパラパラ漫画が見つかった。どうしてだろう。根本的にまちがっているのだろうか。いや、そんなはずはない。大前提として、見つけたのが三冊目なだけで実際には何作目なのかは分からない。見つかっていないだけで、他にも何冊かこの図書館の本棚に眠っているのかもしれない。三冊目に見つかったその本も充分にパラパラめくって楽しんだ後に、私は1ページ1ページ消していった。

 その日は、春の季節のわりにはムシムシして暑かった。他の施設であれば、エアコンをつけても良さそうなところなのだが、利用者はお年寄りも多いため、送風だけつけていたのだと思う。私は暑くないのだが、男性からすれば暑かったのかもしれない。自習席の窓際に座っていた背の高い男性が窓を開けたのだ。
 その瞬間に突風が吹き、その風が図書館にも吹き込んできた。
 私はたまたま自習席の横を通り過ぎ、前髪がふわっと風で吹かれたその時である。目の前に座っていた女性の本が風によって、パラパラパラとめくれていく。 
 その風に合わせて、リズム良くあの棒人間が走り出したのだ。走りだし、飛んではねて、それから何もないページへと戻っていく。一瞬の出来事であったが、私はその瞬間を見逃さなかった。 
 その本の前にいたのは、どこにでもいそうな40前後の小太りのおばさんであった。長い髪を束ねているその女性は、見るからに地味なおばさんで、人生に疲れているような感じがした。その女性を見ても、誰も気にも止めないような人だと他の人は言うだろう。
 だが、私からすれば彼女は光り輝いていた。この人があのパラパラ漫画を描いた作者なのだ。私と同じ気持ちかもしれない共感できる人なのだ。ご本人登場である。
 体が熱くなる。「話しかけたい」というその欲を私は必死に抑えた。先生は本をパッとおさえ、周りをキョロキョロ見回し、誰かに見られていないか確認している。先生に気を使わせてはいけない。私は気づかないフリをして、足早にその場から去った。
 先生はとても注意深く、それからは何ごともなかったかのように、本とは別に開いていたノートになにか書き込んでいる。おそらく、それはフェイクであろう。本を棚に返しながら遠目から見ていたが、それから先生が新しく本に漫画を描いている様子はなかった。さらに私がそこから離れて、周りに職員や他の利用者がいない瞬間に本に描いているように見える。
 なるほど、用心深い。
 図書館で描くという、これだけ大胆なことをやりながらも気づかれないというのは、単純に周りに人がいる時は描かないという、この用心深さによってであった。

「渡辺さん。」

急に名前を呼ばれ驚いた。振り返ると、そこにいたのは木村さんであった。木村さんは私とは真逆で明るく、私よりも齢が一つ上だが、三年前に入ってきた同じ非正規の女性職員である。
「見ましたよね?」
興奮した状態で話しかけてくる。
 まさか、彼女も見たのか?
「見なかったですか?風が吹いてパラパラ漫画の落書きが見えたんです。ほら、あそこに座っている女性ですよ。」
「いや、見てないです。なにかの間違いじゃないですか?」
「そんなことないですよ。私はっきり見ましたもん。どうしましょう?」
「で、でもですね。彼女がパラパラ漫画を描いている人がどうかまだ確定ではありませんし。もしかしたら、落書きされた本をたまたま持っているだけかもしれませんよ。」
「あ、そうか。確かにそうかもしれませんね。でも一応、今後のためにも他の人にも共有しておきましょう。」
そう言って彼女は、カウンターの方へ歩いていく。

 まずい、まずい、まずい。

 ここでバレてしまったら先生の作品は未完成のまま終わってしまう。そしておそらく、二度と、この図書館に来ることはなくなるだろう。止めなければ。でも、どうやって?ただでさえ会話が苦手な私が、彼女の足取りを止める気の利いた言葉が言えるというのか。
 そうだ、私は自己啓発本を読んでいたではないか。「読む」というよりもほぼ「見る」に近かったが。だが、なにか書いていたはずだ。こういう状況でどうするべきか。いや、こんな特殊な状況の対処法なんて、書いていやしない。でも、なんとかしなければ。
「あの。」
思いの外、大きい声を出してしまった。図書館で声が響いてしまい、何人かがこちらを振り向く。私は彼女に近寄り、いつものように小さな声で彼女に伝えた。
「あの‥わざわざ報告しなくてもいいんじゃないですか。」
「いや、でも‥。」
「それに、いけないことですけど、そこまで悪いことをしてるわけじゃないですよ。みんなに言ったら、変におおごとになったらかわいそうだなって。」
「まあ、そうかもしれないですけど。でも、渡辺さんだって、毎回落書きを消して大変じゃないですか?」
「落書きじゃないです。」
「え?」
「いや、なんでもないです。ごめんなさい。」
会話は成り立っているようで、成り立っていない気がする。だったら素直に伝えてみようかしらと、なんでそんなことを思ったのだろう。
「私、好きなんですよ。」
「好き?何がですか?」
「あのパラパラ漫画。」
言ってしまった。言ってしまったあとに、なんで素直に伝えようと思ったのだろうと一瞬で後悔した。というか、言いながらにして後悔していた。だが、もういい。
「え、ごめんなさい。どういうことですか?」
「あの、私は、あの方が描くパラパラ漫画が好きで、それで今描いてある作品も見てみたいんです。」
「‥‥。」
木村さんの表情が戸惑っている。その複雑な表情を見ていると、ああ、人間の顔も棒人間の◯だったら表情が読みとれず楽なのに。人間の表情は豊かすぎて、相手が今どう思っているのか、必要以上に考えてしまう。まあ、その複雑な表情の原因は私なのだから仕方がない。私自身も自分で何を言っているんだろうなあと思う。だが、彼女が口をひらくと、次に戸惑うのは私の番であった。
「確かにそうですね。」
 え?彼女は「確かにそうですね」と確かに言った。
「確かにそうですね、ということは木村さんもパラパラ漫画の作品を見てみたいということですか?」
「んー、なんと言うか、見てみたいという感情に今までなったことないし、作品なんて思ったことはないんですけど。渡辺さんが、見たいって言っているのを聞いて、確かにそうだなって思っちゃいました。ていうか、あの人が落書きしていた本ですけど、600ページくらいあるですよ。だから、今までの本の倍以上の長さがあるんで、長大作だと思うんです。そのまま書かせたら、おもしろそうだなって。」
不思議な人である。私の熱量とはまるで違うが、それでも私の気持ちに同意してくれている。
「あんなのに、わざわざこんな時間をかけて、パラパラ漫画を描くなんて、相当面白い人ですよね。安月給のたんたんとした毎日より、もう少し観察してたほうが楽しいし。本を破って、それで貼り絵の超大作をやり始めたら止めればいいですし。わかりました。黙ってましょう。」
木村さんの理屈は分かりそうで、分からなかったが、理解してくれたので良かった。
 そこから私たち二人は秘密を共有した。肉親以外でこんなに人と喋ったのも久しぶりだし、秘密を共有するのももちろん初めてである。まだ、ドキドキしている。

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