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落語家の出囃子

落語家にとって出囃子は大事なものである。

落語家一人ひとりに出囃子があり、高座に上がる時に自分の気持ちを高めてくれたり、また背中を押してくれるものだ。

前座という修業期間を終え、二ツ目という身分に昇進すると自分の出囃子を持つことが許される。前座の修行中にはあの出囃子かっこいいよね、二ツ目になったら何で上がりたい?こんな会話をよくしていた。

お客さんも出囃子好きな人は多い。落語通のひとであれば出囃子を聞くだけでどの師匠なのかがだいたい分かる。自分もそうだった。

寄席は生三味線でこれがまたいい。出囃子が流れ、めくりが変わる。売れてる師匠であればその時点で客席の雰囲気は変わり、僕もしっかりと座りなおし、聞く態勢になったものだ。
僕の師匠、春風亭昇太の出囃子は「デイビー・クロケット」という陽気な曲で、流れた瞬間に寄席の雰囲気が明るくなっていた。曲と同じように師匠が拍手のなか軽快に表れるのだった。

そんな僕の出囃子は花笠音頭だ。

僕は山形出身で、花笠音頭は山形で夏に行われる花笠まつりで使われる超ポピュラーソングだ。どのくらいポピュラーかというと、飲み会終わりの三本締めはこの花笠音頭が使われる。やっしょうまかしょ、シャンシャンシャン。このシャンシャンシャンの歌詞に合わせて三本たたくのだ。

山形ではきっとMISIAの「Everything」より有名だ。
僕にとっては花笠音頭はポピュラーすぎて好きでも嫌いでもなかったのだが、前座修行の後半にさしかかったころ、江利チエミの唄う花笠音頭を聞いた。江利チエミとは美空ひばりと三羽烏と言われていた人だが、モダンでおしゃれで、一瞬にして好きになったのだ。

自分が前座時代に求めていた出囃子で上がれるのはとても嬉しかった。高座に上がる時に気分は上がるし、地元の山形の方々も喜んでくれる。

それに、思わぬありがたいこともあった。

僕がこの出囃子を使う前は、同じ山形出身の桂南治師匠が使われていた。南治師匠は2001年に亡くなっており、もちろんお会いしたこともないし、失礼ながらこの世界に入るまで名前も知らなかった。だが、この南治師匠は芸人にとても愛されていた師匠だったのだ。古今亭志ん朝師匠、立川談志師匠に、はまっていたそうで安いギャラでも、南治さんのためならいいよ、と快く引き受けてくれたそうだ。

ある時、僕の高座終わりに南治師匠と同じ一門の小南師匠が話しかけてくれた。
「南治兄さんの出囃子使ってんだね。」
師匠は僕に南治師匠の思い出を語ってくれた。その時話してくれた話が南治師匠の人柄を表しているようでとても好きなので紹介したい。
ある落語会の打ち上げ、ゲストに来ていた談志師匠が酔っていたこともあったのだろう。突然怒りだした。

「おい南治、お前の師匠の小南(先代)は京都弁という訛りを武器にした。お前はその山形弁を武器にできてんのか!!」

打ち上げ会場が凍りつく。みな、南治師匠のほうへ視線がいく。
すると南治師匠が山形弁でこう言った。

「いいんですよ~、くえりゃあ。」


それを聞いた談志師匠はニンマリと笑って

「じゃあ、しょうがねえ。」

そう答えたそうだ。


南治師匠は芸人に愛されていただけあって、師匠方に話を聞くと、それぞれ違うエピソードがるのだ。これがみな面白い。
南治師匠のおかげで、大ベテランの師匠方と話すきっかけを作ることができたのだ。人見知りの僕としてはとてもありがたく、まさか、会ったこともない南治師匠に感謝することになるとは思わなかった。


落語というのは口伝で伝わってきたものだが、落語以外にも伝わっていくものがある。それらは落語と同じくらい大事なものなのかもしれない。
多くの師匠に、南治師匠の小さな楽屋話をたくさん聞かせていただいた。


それから花笠音頭は、前以上に背中を押してくれる出囃子になったのはいうまでもない。



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