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ピーター・ドイグと落語家

皆さんはピーター・ドイグを知ってるだろうか?

美術全く分からないという人のために、端的に説明すると
『めっちゃ売れてる画家』である。

「好きな画家だれ?」と聞かれたら、
「結局〜、ピーター・ドイグよね〜」
そう言ってればおそらく問題ない。

僕もそこまで詳しくないが、こんなご時世で時間はある。

「ピーター・ドイグと落語家」

こんなタイトルで落語家ならではの視点で、ちょっと背伸びして絵画の感想でも書いちゃおう!そんな感じである。

そう思い、3000円もする画集を買ってしまった。

画集には展示されている作品、そして解説。いろんな人がピーター・ドイグについて感想を述べている。参考にと思い、読んでみた。
まずはリチャード・シフという人の文章を抜粋しよう。

「制作過程におけるさまざまな発見の契機を維持するために、画家たちは自身の実践を方向づける概念的かつ技術的な慣習に影響を及ぼす思考と手の動きとによる偶然性を許容する。目的と発見とのあいだの‥」


なに言ってんのか、さっぱり分からない。

え、こんな感じで書くの?無理だ‥

ちなみに僕が書こうとしていた感想は‥

「色彩がきれい」

もう頭弱いやつの感想である。
「色」ではなく 「色彩」と書いてあるところが、僕の必死の背伸びポイントだ。しかもその背伸びも足がつりそう。

と、言っててもしょうがない。
ぼくの意見も一応ある。
作品というのは面白いもんで、その画家の人柄がなんとなく伝わるものだ。この人優しそうとか、さみしがり屋かな?とかさまざま。
ちなみにピーター・ドイグの作品はこちら。

そうは言っても画家の人柄というものは写真では伝わらない。生で見ないと分からないものである。
なので、生で見たことない方のために、作品から伝わる画家の人柄をお伝えしよう。

今回は作品から見たピーター・ドイグの人柄をクラスの同級生に例えてみる。

同級生のピーターくんはヒエラルキーが高いけど、ヒエラルキーの低いやつとも分け隔てないクラスの人気者。

だが23、24歳くらいでやるプチ同窓会で、
俺が「実はクラスのみゆきちゃん好きだったんだ。ホントかわいかったよな。今何してんのかな〜」
するとピーターが、
「でもあいつ意外と束縛激しくて疲れんだよ」
と、付き合ってた事実を悪気なくしれっと伝えてくる。
「おお、そうなんだ」
とは言いつつも、帰ってからすげえモヤモヤする。後日、ピーター以外の同級生でまた呑んだら、
「あいつ、言ってなかったけど、◯◯会社の受付嬢と付き合ってるらしいよ」
「へー‥」
さらにモヤモヤする。


ピーター・ドイグとはそんなやつである。
知らないけど‥

だが作品を見るとそう感じるのである。
つまり品のいい、センスのいいチャラさがあるのだ。

「え‥ずっと何言ってんの?」
という方、間違いではない。僕も途中からよく分かってない。

つまり、生で体感してほしいのだ。落語も絵画も生が一番。絵画は写真のように平面ではないので印象が違うのだ。また見る距離によっても印象は変わる。

だから美術館で体感すれば、昇りんが言ってたことが分かるはずだ。

たぶん。

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