『この割れきった世界の片隅で』を読んで

 私は共感性が高すぎて、赤の他人すら自分の一部のように感じてしまうところがある。 人の痛みが分かりすぎるというか、人が責められていると自分が言われているぐらい苦しくなってしまうのだ。 ドラえもんではのび太が可哀想でスネ夫に殺意を抱いたし、家政夫のミタゾノでは話の最後に人が責め立てられているのを見て数日具合が悪くなってしまったこともあった。 ペルソナシリーズもきっと面白いんだろうな、と思いつつセルフ拷問になるのが目に見えているので遊べない。

 そんな非常にめんどくさい性質をもった私はある日、その時たまたまTwitterでハネていた鈴さんの『この割れきった世界の片隅で』を見かけ、興味本位でリンクをタップした。 みんながそんなに話題にするなんてどんな面白い文章だろう、と期待しながら。 読み物は好きだったから。

 結果、非常に嫌な気持ちになった。 生々しくこの世の不公平とか分断について書かれ、訴えられていたからだ。 共感性の高さが私の中で猛威を振るった。 筆者さんの苦悩だったり悔しさだったりが、自分のことのように辛かった。

 それだけでもしんどかったが、そこで噴出した負の感情がそれに拍車をかけた。 なんだこいつは。 つまり、特に不満もなく何でもなるようになるさの精神で日々楽しく生活している自分は間抜けだということか。 日々頑張って生きているけれど、そういう問題に何かしようとはしてない私の周りの大好きな人たちは間違っていると言いたいのか。 あなたが言う『東京の人間』たちだって多岐にわたる。 皆それぞれ悩みや葛藤もあろうに守りたい何かのために一所懸命生きる人も多いだろうに、それを一律に特権階級でふんぞり返っているように言うだなんて。 本当になんだこの女。 何が線香花火だよ。 将来汚職でもやって捕まればいいのに。 こんな思いが炸裂した。 黒板を爪で引っかく音をエコーかけて延々と聞かされているような酷い気分だった。

 それから少しして、荒かった鼻息がおさまってきて、後悔と羞恥が襲いきた。 我ながら酷いことを考えた。 筆者さんが自分を責めるために書いたわけではないことぐらい、いくらすっからかんのこの頭でもすぐ分かることだ。 すべては自分が勝手に受け取り、曲解したことじゃないか。 ただ単に、何となく大学に行って何となく大学生活を送り、鬱病でドロップして療養中なのをいいことに遊んで生活し、なんの努力もしていない自分の痛いところをつかれてムキになっただけじゃないか。 周囲の人間にも金銭にもある程度恵まれた人間の、傲慢な思いを振り回しているだけに過ぎないのではないか。

 私には国際社会で活躍する気は特にない。 欲しいものが買えるぐらいのお金をどうにか稼ぎ、気の合う人と楽しく遊び、そしていつか文章でお金をいただけるようになりたい、というのが夢だ。 そんな所謂『意識が低い』私はこれからも世界についてあんまり考えないだろうし、世界を劇的に変えもしないだろう。 そんな奴だが、他の人の苦しみを見たくないという利己的な理由で人に手を差し伸べてみせることは得意だ。 優しくされた人が他者にもそうするリレーの果てに、少しだけみんなが優しい世界を期待して生きる、まずはそれだけやってみたいと思い、この駄文を締めくくらせていただく。

この割れきった世界の片隅で↓

https://note.com/__carpediem___/n/nba61eb70085a

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