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「肯定する歌」は、果たして本当に「甘いだけ」なのか

最近、歌ものの音楽を聴いていると、人の生き方や価値観、性格を肯定して、受け入れる歌が増えてきたと感じます。ここ6〜7年くらいが顕著な所でしょうか。最初に書いておくと、私はこの傾向を、とても良いと思っています。お世辞や嫌味を含まずです。

一方で、そうした歌を甘言のように感じ、嫌いという人たちもけっこういます。甘い道へ誘う言葉、怠けの始まりという印象なのかもしれません。これは私にも、わかる瞬間があります。

ありのままでいいよ、あなたの生き方と価値観を大切にね、という言葉を受けた時、嬉しくなると同時に自己嫌悪がやってきて、「でもこういう所は気をつけないとな」と自分を省みる瞬間は、誰にでもあると私は考えます。

そして実際に、自分のありのままの性格をさらけ出して生きていると、やっぱり誰かから注意を受けたり、ひとり反省会が始まってしまう事も多い。

今の歌の傾向に対して私は、この「やっぱり実際は違うのかも」を見越したものだと思っています。やっぱり違うじゃないかという気付きがあり、そんな歌は嫌いだという感性がある。

気付きがあった瞬間に、ありのままではいられなくなり、その歌を誰と共有するかも、選ばないといけなくなる。肯定する歌をきっかけに、自分の生き方を見直す時がある。

でも肯定する歌は、そんな状況すら受け入れるのです。

悩み、行き場を探す人たちを受け入れたくて、提案するように世に出たであろう「肯定する歌」は今、一周まわって、聴き手のもっと内側に受け皿として存在していると思います。

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