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幼小中高といじめの対象に在った僕のお話。

ども蓮々でーす!
前回、自分を勇気を出して曝け出したら
意外にも好評でしたので
今だから言える僕の“過去”を
お話ししたいと思います。
今つらい状況にある人は
是非最後まで読んでください。

一応、返金受け付けてるので

読んでみてつまんねぇ!て思った方は遠慮なくご返金ください

幼稚園時代

幼稚園の時
今思えば正直大したことはないのですが、
周りの感覚についていけない自分と
それを察してか
僕に近寄ってこない周りの同級生との間に
硬く厚い壁がありました。

具体的に言うと
みんなは「デジモン」にハマっていたのに
僕は、アンパンマンに惚れていました。
ハンカチもお弁当を食べる
お箸もアンパンマンでした。
だから周りの話に入れないのです。

そんなある日、
母親に「みんなが話してくれない」と
相談しました。
そしたら
「自分から話しかけた?」と聞かれたので
「ううん。」と答えると
「一回話しかけてみー」と
さらっと言われました。

そして、翌日近くに居た子に
「あ…あそぼ?」と
勇気を振り絞って言ってみました。
そしたら、
「いーよ!なにする?ブロック?」
とノリノリで返事をしてくれました。
すぐに2人でブロックを取り出し、
銃を作って撃ち合いをしました(笑)

その日はその子のおかげで
ものすごく楽しかったのを覚えています。
迎えに来た母を見るなりすぐに
「ちゃちゃん!今日こんなことしたよ!」と
伝えました。母は凄く嬉しそうでした。
#ちゃちゃん

その日から数日後、
働く親御さんのためにあるシステムで
本来の時間よりも遅くまで園に居られる
預かり保育?のようなものがあるのですが、
母はそこに行ってみたら?と
言ってくれました。
その当時は分かりませんでしたが
今思うとあれは母なりの
思いやりだったのだと思います。

僕は先日の「仲良くなれた経験」が
あったので行ってみたい!と答えました。
いざ行ってみると
凄く楽しくて、いつもなら
あまり話せない女の子とも話せたり
話したことのない先生と話せたり
良い思い出が出来ました。
母は安心したのか
それ以来、たまにそこに行かせてくれました。

小学校時代

小学校に上がると
すぐに近くの子と仲良くなれました。
多分、幼稚園のときに勇気を出して
話しかけられた
「成功体験」のおかげだと思います。

しかし、僕は調子に乗りやすい性格で
それはときどき人に
不快な思いをさせてしまうんです。
最初のうちは楽しく
何事も問題はなかったのですが
だんだんと
敵が増えていきます。
なぜか高学年に目をつけられたり
友達が悪いのに先生に怒鳴られることが
あったり…

そんなこともあってか
ヤンキー映画の見過ぎか
ちょっとずつグレ始めます。
とは言っても家族は大好きなので
学校内でイキったり
外で調子に乗ったりと
一番中途半端なヤツになってました。

まぁそんな中途半端なヤツでも
ケンカを売られたりすることはあるわけで
同じ学校のやつと殴りあったりもしました。
ただ、僕にはスイッチがあるらしく
普段は弱虫なので売られた喧嘩は買う!なんてこともなく、それで舐められたりもよくありました。
ただ、そんな日々を過ごしていると
やっぱり似た類の奴らが
周りについてくるわけですが
自称“学年で一番強いヤツ”とつるむことに
なりました。
最高潮にイキっていた僕でしたが
だんだんと
あれ…自分パシリなのでは?
と思うことが増えて来ました。
駄菓子屋で何故か
自分が全部出すことになったり
鍵渡すから俺の家に荷物取って来て。と頼まれたり、荷物持てよ。と鞄持たされたり

で、それと同時に自信もだんだん無くなり
また内気な自分に戻りそうになっていました。

ただ、そうは言っても一度自信を持ってしまえば強いもので、卒業までの間
なんとか周りにいるノリのいいヤツらの
おかげで楽しく過ごせていました。

それでも、中学に上がるとき
例の“強いヤツ”が他の中学に行くと知った時は凄く気が楽になりました。
やっぱりかなりの負担になっていたようです。

中学時代

ここから僕の暗黒期に入り始めます。
とはいえ、最初の頃はめっちゃ調子に乗っているので隣の人にちょっかいをかけたり
小学校や幼稚園が一緒だったヤツとの
再会に歓喜したりしていました。
つるむグループも
ヤンキー目指してます!みたいな連中ばかりで
毎日しょうもないことで笑っていました。

ただ、僕は当時 ( #今も
超ピュアな心を持つ少年なので
ヤンキーに成る際に必ず通る道と言っても
過言ではない
ケンカや万引き、窃盗などという
ヤンチャなことに手を染めたり
そういう奴らを見て見ぬふりしたりという
ことができなかったんです。

まぁ言い換えたら、へタレだったわけですが
やっぱりそんな奴は瞬く間に
迫害され仲間外れにされました。

そして、付き合うグループを変えるわけですが
そうなれば「落ちこぼれ」
「インキャ」という扱いにされ、
分かりやすく
いじめのターゲットにされました。

なぜかは知りませんが
廊下を通るたびその場で殴られ蹴られ
休み時間になると違う教室から
走って殴りに来る、
ほんの少し前まで2人で遊ぶほど
仲の良かった奴ら。
中々にしつこかったので一度はブチ切れて
殴り返したこともありました。
そこらへんだけ記憶が途切れていて
なにがどうなったのかはわかりませんが
相手の首には、
キスマークのような傷がついてました。
#どさくさに紛れて襲ったのかも

一応、小中高と
空手や日本拳法を習ってましたが
やっぱりケンカには自信がないので
あまりしたくないのが本音です。

学力もサルほどしかないので、
#割り算が苦手
勉で見返すなんてことも
到底できそうにありません。

しばらくするとまた
例の奴が殴りに来たり
「この前はよくやってくれたな」的な感じで
グループ数人で襲ってきたりと
嫌なことが多すぎたので
卒業数ヶ月前という
大事な時期に僕は不登校になりました。
#不登校

卒業まであと1ヶ月ぐらいだったでしょうか
このまま逃げていても仕方がないので
諦めて行くことにしました。

すると、例の奴が何故か謝って来たんです。
これに関しては、
今でも何故謝ってきたのかわかりません。
おちょくっているのか
あまりに来ないことに焦ったのか
まぁ理由はどうあれ
最後は平和に暮らせたわけですが
やっぱり今でも「見返してやる」という
気持ちはずっとあります。

そして高校生へ

僕はどこの高校に行くか
卒業寸前まで決まっていませんでした。
そして、ある日
当時仲の良かった友達が
「長吉いこうや」
と誘ってきたのです。
どこ?それ?
地元からはかけ離れている
#ど田舎高校 です。

調べてみると
単位制という珍しい制度の学校で
大学のように(行ったことないけど)
自分で受ける授業を決め、
行く日程を決められるのだそう。
「なんか面白そう」という軽い気持ちで
そこに行くことに決めました。

受験は無事合格
余裕で入学できました。

しかし、入って早々に
絡まれたり、ヤンキー同士の喧嘩に
巻き込まれたりとまさに
映画クローズのような感じでした(笑)
そんな波乱の日々にびびっていると
またしてもなめられてしまい、
どう考えても勝てそうにない体格の良い奴から
パシリのような扱いを受けました。
#今に見とけ

記憶が曖昧なので
かなり省きますが、
しばらく学校へ行かないようにして
またしても #不登校
なんとかその系統の奴らとは
良い感じの距離を取ることができて
再び学校を楽しめるようになりました。

卒業も近づきはじめると
だんだんと周りの雰囲気は二極化しました。
「焦って勉強を始める奴」
「もう今更どうにもなんねぇ。と腹を括り、仕事先を見つける奴」

僕はそのどちらでもなく
フラフラしていました。
#甘えん坊将軍

とりあえず、その当時やっていた
ブライダルのアルバイトで生計を立てながら
社員でも目指すかーと思っていました。
ちなみに当時はホテルマンやサービスマンになりたい。とそこそこ本気で思っていました。
理由は
「スーツが似合う自分なら絶対モテる。」
と思ったからです。

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#不純な動機
#謎の自信

なのであまり焦ることもなく
過ごしていました。
けれども、僕はあまりそういうのを
表に出さずアホなフリをするのが
好きでしたので
友達や先生からは
「お前マジで今やらんと知らんぞ!」
とか言われていました。

内心「俺は天才やから大丈夫。」
なんて思ってましたから正真正銘のアホです。

そんなこんなで、
アホな僕はどこにも就職することなく
進学することなく、社会に放たれたわけです。

放流から1年後

そんなこんなで
ふらふらしていた僕に転機が訪れました。
高校時代から習っていた
日本拳法の試合の帰り
とあるショッピングモールで
今の僕と同じように
イベントをしている
書家さんと出会ったのです。

これだ!!と思いました。
今までやりたいことは特になく
一応ホテルマンにはなりたかったものの
なんかしっくり来ないなと思っていた
自分も居ました。

そのときに出会ってしまったのです。

とにもかくにも、
自分はこれをやりたいと強く思い、
そこにいたスタッフらしき人に
話しかけました。
すると、事務所の電話番号を
教えてくれました。

次の日すぐに電話をかけ
アポを取り、事務所に向かいました。
ガッツリスーツを着て
ビシッと決めていきました。
理由は“似合うから”です。

すると、意外にも
ちっさい事務所でした。 #失礼か
おや?と思いましたが
まぁいい。と腹を括り
扉を開けて入りました。

ぱっと見は町工場のような雰囲気でした
ザ・手づくりショップみたいな感じの。(笑)

そこにいた
中年の女性が面接をしてくれました。
まぁこのへんは過去の記事に
書いてあると思いますので省きますが
なんやかんやで無事話を聞いてもらい、
一緒にやりましょうとなって
その日から丸1年間、作品づくりというよりは
商品づくりの練習的なことを
ひたすらしました。

で、またまた省きますが
なんやかんやを経まして
1年後に無事書家としての活動を
スタートさせるわけです。

フリーター、書家になる。

スタートはそこそこ順調でした。
フォロワーをそれなりに付けてから
活動を開始したので
「会いたいと思ってる人」や
「買いたいと思ってる人」が結構いたのです。

なので生々しい話
それなりに収入も得ることができて
活動の幅も広がりつつありました。

会いに来る昔のトモダチ

この辺りから
僕の活動を見ていたある人たちから
SNSで絡まれることが増えました。
それは、当時僕を貶し、殴り、
パシリ扱いしていた人たちです。
そりゃもう、何も覚えてないような感じです。
僕もやっぱり人間ですから、
腹は立ちました。
「なんやねん今更掌返しすなよ。」と。

ただ、そこで
無視をしたり、冷たくあしらったりするのは
絶対に違うなと思いました。

そんなちっさいアーティストに
なりたかったわけがありません。
「昔のことだから」と
笑って流しながら、結果を出し続ける
そんなアーティストで在りたい。と
強く思いました。

まぁでっかいアーティストで在りたいというのも
嘘ではありませんが、
本音は、自分が逆の立場ならと考えたとき、
昔いじめてた奴とばったり会って、
話しかけて無視されるよりも
ニコニコと話される方が
なんか悔しいなと思ったからです(笑)

過去を引きずってると思われるより
現在を楽しんでると思われたいじゃないですか。

なので、とにかく僕は
昔嫌いだった人や
苦手だった人と会うときは
超元気でハッピーな自分を
見せ付けるようにしてます。

僕の物語はここから

そんなこんなで
中々へタレな青春時代を送ってきた僕ですが
自分的には今ここに落ち着くことが
できてよかったなと感じています。

まぁ締め方がイマイチなのは
ご愛敬ということでこんな感じで
記事を終わりたいと思います。

最後に

そんな僕からのお願いです。
今、コロナにやられて
どこのイベント会場も
イベント開催を延期、中止となっています。
僕の主な収入源であるイベントが
ないのでかなり困っております。

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