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シンプルに金がなくて死にたい。

シンプルに金がなくて死にたい。


襤褸を着ても心は錦というのは真っ赤な嘘だ、鮮血もかくやという程の嘘だ。金銭がないというのは人間の約束を破る要因にもなり得るし、金銭を約日までに支払うことに支配された思考は貧しく狭くなり、本来ならば売る必要がなかった物や尊厳を売却する必要さえ出てくる。
私の場合のそれは、人形だった。かつて私は小説に、理想の少年を、この脳味噌で生み出せる最も美しい少年を書き出した。その少年は「美しくあれ」と願われ生まれたのだから当たり前だが、それはそれは美しい少年で、読者以上に作家を魅了した。作家は己が生んだ少年に狂い、オーダーメイドでその少年をモデルにしたドールを仕立ててもらった。ここまではいい。金銭こそ掛かったが良い作家としての経験にもなり、オーダーメイドの経験はその後の作家活動や「花々の寝台」等の作品にも活かされた。

問題は今である。私は4月の下旬までに、とある理由で3.5万円を用立てる必要があった。とある理由というのも、生死に結び付いたものというよりは、美しいもののために皮算用で用意できると算段してのことなのだから救いようがない。しかしながらその約束はもはや今更取り消せぬ程に進んでしまっていた。
私は文字を書くものである。文字を売るものでもある。それ以外に金銭に替えられる己が能力など無いものでもある。私は必死になって文字を書き、或いは書かせてくださいと頼み込んで回った。後者は嘘かもしれない。けれどもあせくせと文字を書いてある程度の金銭を用立てることが出来たのは、事実である。感謝も、ある。
しかしながら3.5万円は今の私にとって大きな金額であり、来月の私にとっては些細な額でも、どうしても今の私にとっては出せぬ額であった。日雇いの仕事も「経験者限定!」しかない。求人というものは自らが社会において如何に無用か、如何に無価値か、はっきりと教えてくれる。ありがとう。無論、先程の依頼もあった。けれどもあと1万円、ほんとうを言うならば交通費等の雑費も含み1.5万円、どうしても、足りない。
私は部屋を血走った目で見遣った。部屋にはそれはそれは美しい少年が球体関節のかたちで座っていた。

私はこの何よりも大切な少年を象った人形を金銭に替えることを思い付いた。

何も、できない。美しいものの替りに美しいものを手放すのだろうか。ずっと愛していた少年を手放すのだろうか。それも目が眩むような札束の山ではなく、1万円、紙幣1枚か、欲張って2枚。
私は普段の怠惰からそのような紙幣を用立てる金銭的信用も人間的信用も持ち合わせてはいなかった。持っているのは筆と、美しい人形。それだけだ。他には何もなかった。何もなかった。何もないんだよ。何も。
私は久方振りに顔を見合せた我が少年の身嗜みを調えてやった。この少年の為ではない。この少年の裸体を撮り、オークションサイトに状態としてアップロードするためである。



涙が出た。

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