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【創作大賞2024】遅れてきた青春の日々6

 マレクがやって来る日の朝、二人は夜明け前から起き出して出迎える準備を始めていた。玄関に板を張り合わせたアーチを作り、それに絵を描いていく。『ようこそマレク!』と大きく描いた周りにはガリューが猫の絵を描いた。

「どうして猫なんだ?」

「だって子供は猫が好きだろう?」

 その偏見には納得できなかったが、描き直す時間もアイディアもなかったので聞き流すことにした。


 エグバード男爵の屋敷から帰った二人は三日三晩掃除と片付けに忙殺された。最初は引き続き文句を垂らしていたジェレミーも「何か男爵に報告されるような失礼があったら全て弟子である君のせいにする」という脅し文句に渋々手伝いを始め、最終的には自ら率先して掃除をするようになっていた。

 ジェレミーがガリューの正体を知るきっかけとなった古い絵や、彼の故郷にしかない不思議な道具は鍵のかかった部屋にまとめて押し込み、ジェレミーが鍵を隠した。


 準備を万端にした二人が完成したばかりのアーチをデッサンしていると森の小径から馬の蹄の音が聞こえた。

「マレク様がお世話になります」

 頭を下げるカタリンの後ろに隠れていたマレクは男爵の屋敷で会った時よりも子供らしく見えた。ガリューは挨拶もそこそこにマレクの手を引いて館の前に引っ張ってきた。嬉々としてアーチを見せるとマレクの表情が少しだけ明るくなった。

「これからよろしくな、マレク」

 ガリューと握手を交わし、続いて「ジェレミーだ。よろしく」と右手を出すも、マレクがそれを握ることはなかった。彼はただ不思議なものを見るように、ジェレミーの顔をまじまじと見つめていた。「あのときの……」と呟いたように聞こえた。

「ん? なんだ?」

 マレクの様子に違和感を抱きつつ、そっと差し出した右手を戻す。それに気付いたガリューは指をさして笑った。

「君たち、弟子同士なんだから仲良くやりなよ」

 ジェレミーはバツが悪そうに頭を掻く。それを見たマレクが笑みをこぼした。

「この調子なら心配はなさそうだな」

 心底安堵した表情でカタリンが言った。おそらくマレクを親元から離すのはこれが初めてなのだろう。人見知りの気があり、あまり他人に慣れていなそうなマレクが馴染めるのか、長年マレクの世話係をしていたという彼が心配するのも無理はない。マレクの荷物を手分けして馬車から運ぶ。二階の角部屋をマレクの為に必死に掃除したが、部屋に入った途端彼はあからさまに顔をしかめた。

「き、汚いですか?」

 なぜか敬語のガリューに対してマレクは無言で頷いた。普段全く掃除をしない二人のその場しのぎは彼には通用しなかったらしい。マレクが顔をしかめながらベッドを叩くと舞い上がった埃が窓からの光に照らされた。

「ここは私にお任せください」と部屋の掃除に名乗りを上げたカタリンは上着を脱ぎ掃除道具を手にしていた。ここは彼に任せて一ヶ月分とは思えない大量の荷物を三人で運んだ。


 全てが片付いたときにはすでに陽が高くなっていて、遅めの昼食を取ったあと、カタリンを見送ることになった。

「それでは私はこれで失礼します」

 深々と礼をするカタリンに三人が会釈を返す。

「また、何かありましたら私は街道に停めた馬車の中で待機しておりますので、なんなりとお申し付けください」

 胸の辺りをドンと叩く。ガリューとジェレミーは同時に目を瞬いた。

「一ヶ月間ずっと、ですか?」

 カタリンは当然、と言わんばかりに頷いた。

「マレク様に何かあったら私は男爵様に顔向けできません」

 初めてあった時の威圧感はすっかり失われ、去り際にマレクに向かって手を振る姿はただの好々爺にしか見えなかった。

 ジェレミーがそう評したように、マレクは実に賢い子供だった。屋敷の中で、特にあのカタリンに相当甘やかされて過ごしたのだろう、始めのうちこそ自分で食事の準備をしたり、片付けや着替えまでも満足にできなかったのだが、ジェレミーが教えるとそれらをみるみる吸収していった。

 それは描画についても同様で、ガリューの教えを忠実にこなす器用さを見せた。デッサンに始まり、筆の使い方、色の使い方と作り方、予定していたよりも早く習得していき、半月経った頃には三人で湖に向かってキャンバスを並べるようになっていた。


 蒸し暑い日が毎日のように続いた。夕方になっても汗がじんわりと滲む。その日ガリューが夕立の気配を感じ、三人は絵を描くのを早めに切り上げて館に戻ることにした。

 今日の食事係はガリューだった。マレクにはおかしなものを食べさせないでやってほしいと一流の食材を預かり、時にはカタリンが館まで持ってきてくれるおかげで、最近は普段見ないような凝った料理が食卓に並ぶ。その間ジェレミーとマレクはガリューの分まで絵筆を洗い、ソファでくつろいでいた。

「ねえ、ジェレミー」

 マレクの方からジェレミーに話しかけるのは珍しいことだった。うたた寝していたジェレミーが目を覚ますと、マレクは二日前に描いたガリューの絵を見ていた。体を起こしマレクの横に並ぶと彼は「青が違う」そう一言だけ言った。

 これまで何枚もガリューの作品を目にしてきたであろうマレクだ。彼が見てきた湖畔の絵には全てあの特別な青が使われていたのだろう。この絵には使われていない。その違いが分かることにジェレミーは感心していた。

「ああ、お前が見たがっている青は特別な色なんだってよ。だから今日みたいな練習用の絵には使わないんだ。俺にも作り方を教えてくれないんだぞ。ケチ臭いだろ?」

「ガリュー、ケチ臭い」

 マレクがそれを繰り返し、二人で笑い合った。そんな悪口を言われているとも知らず、料理を運んできたガリューは楽しそうにしている二人を見て「なんだ、今日は仲良いね」と微笑む。それがおかしくて二人は吹き出してしまったが、なんのことだかわからないガリューは不思議そうに首を傾げるだけだった。


 翌日、朝食を食べ終え、食器を洗っていたマレクの元にジェレミーがこっそりとやってきた。

「お前もあの青の作り方知りたいだろ?」

「うん」

 出掛ける準備をしているガリューに悟られないようにひそひそ声で話すジェレミーにつられてマレクも小声になる。

「あの青を使ったところを見たいってお前からお願いするんだ。大丈夫、俺がフォローするから。そうすれば多分調合室で作業に入る。そこを樽に隠れて盗み見るって作戦だ」

 一年前に自分で決行しようとした作戦だった。体が入りきらず断念したが、マレクなら充分隠れられるだろう。

「うん、わかった」

 小声ではあったものの、マレクの返事は興奮を帯びていた。おそらくこんな悪戯めいたことも今までしたことがなかったのだろう。

「上手くいったらどうやって作ったのか俺にも教えてくれ」

 共犯者らしく目と目で合図をし、ジェレミーはガリューとともにキャンバスを湖畔へと運び出した。

「ねえ、ガリュー。僕が持ってる絵みたいな青い色使わないの?」

 打ち合わせた通り、マレクが着色を始めようとしたガリューの手を止めた。ガリューは一瞬なんのことかわからなかったのか顔を曇らせたが、すぐに晴れた表情になった。

「ああ、あの青のことだね。あれはね、特別なんだよ」

「いいじゃないか。マレクは今お前の一番のファンだぞ。秘密にしたいのは作り方だろ? 使うところは見せたって構わないだろう」

 案の定、渋るガリューに平静を装ったジェレミーが言うと、なにか思い出したようにガリューが笑い出した。

「マレク、いくら色の作り方を知りたいといってもあの森の中に入るのは駄目だよ。あの森には底なし沼があるからね。どっかの誰かさんみたいに死にかけたら大変だか……」

 ジェレミーは楽しそうに話すガリューの口を後ろから押さえ込んだ。息ができなくなり苦しそうなガリューはジェレミーの腕を叩く。

「離して欲しければ青を使え」

 苦しさと、口を塞がれていることもあってガリューは頷くことしかできなかった。ようやく解放された彼は大きく息を吸い込み、ジェレミーを責めるかのように大袈裟に吐き出した。

「とは言っても今ストックがないからこれから調合しなきゃいけないんだけど」

「心配するな。昼の食事当番を代わってやる。その間にやればいい」

 その申し出にガリューは不信感をあらわにした。

「君がそんなに協力的だと、なにか企んでるんじゃないかと疑いたくなるんだけど」

「なにも企んでなんかない。この目を見てみろ」

 目が泳いでしまわないように必死にガリューの目を見つめる。しばらくその目をじっくりと見つめ返すと、

「まあいいや。じゃあお昼ご飯よろしく。マレク、今度その沼の近くにデッサンに行こうか。彼が死にかけた場所も案内するよ」

 まだ言うか、とジェレミーが拳を振り上げると逃げるように館へ走り出した。

「待て! メニューはなにがいいのか言ってからにしろ」

「なんでもいいよ」

「なんでもいいが一番困るんだ」

「いつもそんなの聞かないで自分の好きなものを作るじゃないか」

「今日はお前のリクエストを聞く気分なんだよ」

「なんか、怪しいなぁ。本当に何にも企んでない?」

「あんまりしつこいと昼抜きにするぞ」

「わかったわかった。じゃあ、こないだの朝に君が作ってくれたパンを卵とミルクで浸したやつでいいよ」

「あれか、面倒くさいがまあいい。わかった。もう行っていい」

 二人が話している隙にマレクが館に戻るのを確認して、ジェレミーは話を終わらせた。ガリューはまだ疑念が晴れないようで、首をひねりながら館の扉を開けていた。

 この館で唯一施錠されているのが二階の調合室だ。こんなところに強盗が入るとは思えないがもし盗賊が入ったとすれば盗んで利になるものは調合室の宝石と貴石くらいのものだった。その鍵も朝マレクに渡してあった。あとはこの計画が上手く運ぶのを祈り、マレクの報告を待つだけだった。

 ガリューにリクエストされた通りパンを浸しながら、ジェレミーの心は踊っていた。ようやくあの青の秘密が解ける。正当なやり方とは言えないがここへやってきた最大の目的がとうとう果たされるのだ。目を閉じ、脳裏に鮮明に焼きついた洞窟の光景を思い浮かべる。あの青を手に入れたら一度洞窟を訪れてみよう。ガリューを誘ったら一緒に来てくれるだろうか。そんなことを考えていると気持ちは高まるばかりだった。

 と同時に、やはりガリューに対しての後ろめたさもあった。さっきまで訝しんでいたものの、基本的に彼はジェレミーを信頼してくれている。彼の最大の秘密まで打ち明けられているのだ。そんな彼を裏切るようなことをする罪悪感が暗い波のように満ち引きを繰り返す。

 そんなせいで三つの内二つ、パンを焦がしてしまった。

 食事の用意ができたことを大声で告げると、しばらくしてガリューが二階から降りてきた。テーブルに並べられた焦げたパンを見て悪態をつく。焦げてない一つはもちろんマレクのものだ。本来なら反論の一つもするところだが、罪悪感からいつものように言い返せない。少し遅れてマレクもテーブルにやってきた。心なしか曇った表情のマレクはジェレミーと目を合わさない。その様子にどうやら上手くいかなかったであろうことを悟った。

 残念な反面少しほっとしていた。仮にこれで作り方が判明したところでガリューになんと言えばいいのか。今更ながらこんな卑怯なことをしたことを彼に知られたくはなかった。出会った頃には考えもしなかった感情に戸惑いながら、一番焦げたパンを大口を開けてかじった。

 昼食の後もマレクは元気がないように見えた。少なくとも今朝ジェレミーと作戦会議をしていたときのような子供らしい無邪気さは消えていた。そんなに落ち込まなくていいと励まそうと、ジェレミーは一日中マレクと二人きりになれる機会を伺っていた。

 ようやく二人になれたのは夕食のあと、ジェレミーが翌日使う色を確認するために調合室へ行ってからだった。

「どうした? 失敗したのがそんなにショックだったのか?」

 意気消沈したマレクはそんなジェレミーの声も届かないかのようにソファの上で一点を見つめている。ため息つき、マレクの隣に座った。

「気にすることはない。そもそもこんな姑息な方法を使おうとした俺が悪かったんだ。失敗したのは俺への天罰だ。お前はなにも悪くない」

「……そうじゃない」

 絞り出すような小さな声だった。

「そうじゃなくて……」

 ジェレミーがそれを聞き逃さんとして体ごと耳を近づけたタイミングで、ガリューが二階から降りてくる。心なしかその足音はいつもよりも大きく聞こえた。

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