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自分は他人に何をしてあげられるのか

「価値とは」

人が他人に与える価値とはなんでしょうか。
まずは時代をさかのぼって考えました。言葉の意味を考えるときはその起源辿るのが自分の中の通例です。
調べてみると狩猟時代、人々は物々交換で提供していました。
例えば「マンモスの肉と木の実交換しようぜ!」的なものです。
そのうち人によって得意のものがでてきます。マンモス狩りがうまい人、みるだけで木の実の熟し度合いが分かる・・・など。こうして人々は得意なことに特化するようになり、不得意なことは物々交換、後に硬貨という共通の価値変換ツールを使って交換するようになりました。自分の得意なことを交換によって相手に享受することが相手に何らかの価値を与えることにつながってきたのではないでしょうか。
つまり、価値を与える=自分の得意なことを他人にモノやコトを提供する ということだと思います。

「モノ」や「コト」の価値

その「価値」は絶対的なものではなく、社会のあり方によって変わっていきます。例えば現在の日本では「マンモスの肉を納品する」ではビジネスになりません。(モンハンかな)
ここで考えなければならないのが、現在の世界において「何が過剰で何が希少なのか」という論点です。
普通は、「過剰になったモノ」の価値は下がるし、「希少になったモノ」の価値は上がるということです。過剰か希少かどうか判断するには需要と供給のバランスによります。
需要が大きければ希少、供給が大きければ過剰に傾いていきます。

人が価値を欲しがるときはいつか

それでは供給について目を向けます。
人が「○○が欲しい!」と価値を欲しがる思うのはいつでしょうか。人間の心理の問題なので心理学の出番です。
価値を欲しがるということはなんらかの欲求があるということなので「マズロー欲求5段階説」が有名です。
マズローの欲求5段階説は「生理的欲求」から始まって「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「承認の欲求」「自己実現の欲求」と上昇していきます。

昔は「1段階目」の「生理的欲求」を満たすことに躍起になりますが、現代では、「生理的欲求」、「安全の欲求」が十分に満たされる状況にあります。
例えば昔は高級だった寿司とかも今は庶民でも食べられます。
こうして数少ない問題についてみんなが論理的に正しい答えを追い求めた結果、この「何が欲しいかわかりにくくなっている」という問題が起きているなと思います。
現代においては、「人が欠乏感を抱くのはどんなときなのか」、いまの時代において「何が価値になるのか?」を考える必要があると思います。

便利すぎると「不便であること」が価値に

あらゆる物事が便利になったため、便利であることのありがたみがないし、欲しくもない。供給が過多な状況です。
そこである種の不便さが求められてきていると感じます。
例えばビンテージカーの値段が上がっています。1970年代のポルシェの中古車価格はすでに新車のポルシェの数倍になっています。

何が価値になるのか見極める時代

不便さが価値になるように、現代は何が価値になるのか見極める必要があります。自分の得意なことと需要と供給のバランスをを常に見張っておく必要がありますね。また情報の伝達も早いがために需要が多いものに対してはあっという間に供給の仕組みがあらゆるところで作られます。
自分にしかできないことに主軸をおいて他の人が真似できない、自分が持っているブランドを作り上げることが先決かもしれません。

(作成時間35分)

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