最初のころ
僕は生まれは新潟で、高校卒業してすぐに上京しているので、もう東京の方が長い。よくいる田舎者の東京人と言うやつだ。珍しくもないが、上京して最初のころの色々を書いておこうと思う。
高校時代は、部活(弓道部)に勤しんでいたのでバイトの類は冬休みの郵便局のバイトしかやったことが無かった。当時確か時給で500円前後だったと思う。
そんな高校時代を送っていたので、金銭感覚はほぼほぼなかったように思う。
就職(高等職業訓練校)と言う名の、勉強しつつお給料もらえる会社に就職し、最初の給料、訓練校なんてものに通っているので、気持ちは高校生の延長みたいなもので初任給は10万かそこいらだった気がするが、前述のようにほぼ金銭感覚が学生だったので無限に使える気がしたものだ。うちはさほど裕福な家庭ではなかったので、冷蔵庫の中にジュースなんかは常備されてなかったが、初めてもらった給料で、自分でペットボトル(1.5L)を買えたのはうれしかった。のちに体をぶっ壊す原因にもなるので何とも言えないが(苦笑)
初めての給料で、ディスカウントストアーに行って、展示品の14インチのテレビを値切って買って自分一人のテレビがあることに感動していたのも懐かしい思い出である。
前述の職業訓練校は1年の予定だったが、成績が芳しくなったので3か月で追い出され、職場に配属になった。当時はお金もなく、ダイエットもしていたので、今よりも15Kg程やせていた。いや、子供のころはデブとは無縁だったんだけどなw
配属され、社会のなんたるかを色々とおぼえつつ、最初の同期の女の子とぼちぼち仲良くなれたのもこのころ、実はバキバキの童貞wだったので当たり前のように最初の恋はうまくいかなかったのだが、そもそも論で女心など理解できてはいなかったので、当時はデートするたびに地雷を踏みまくっていた。
ほんと、タイムマシーンがあるなら、当時の自分をぶっ飛ばしてこんこんと説教がしたいくらいだ。
まちがいなく人生が変わったであろう最初のターニングポイントだったと思う。
初めて行った映画デートで、彼女は「プリティウーマン」が見たいと言ったのに、僕のチョイスは「ベストガイ」だwどんだけ童貞だったかわかる。今なら笑えるかもしれないが、当時はがっかり小僧だったのがよーくわかる。恥ずかしすぎる。
結局、友達以上恋人未満なんていう、口に出すのも恥ずかしい関係から、僕が地方の会社に出向(半年)しているうちに、彼女は体調の関係で会社を辞めてしまった。当時は恐ろしくショックを受けたのを憶えている。まぁ、今考えれば待ってるわけないのになんだか期待していたようだ。それも含めてまさにバキ童極まれりである。
その後、前述のいろいろの不摂生のせいで、長く患うことになる持病を抱えることになり、その入院の際に、あまりに心細くて当時行方が判明した彼女に連絡をしたことがある。当たり前のように彼女はすでに結婚していたが、見舞いには来てくれた。
その時、今でも忘れられない一言を頂いた。
「もしかしたら、あのころ何かあったら、今頃〇〇君と結婚していたかもしれないね、、、」
当時の僕は、そのころも気持ちがなかったわけではなかったので、今更そんなこと言われても何もできないじゃないか!と心で叫んでいたw悪い気はしなかったが、結ばれない運命だったのだなぁ、さすがに卒業のダスティン・ホフマンを決める勇気はなかったのを憶えている。そうだねと言うのが精一杯だった。
まぁ今考えると頑張れば何とかなった気もするが、無理だろうな。そんな勇気は今も昔も持ちあわせていない(苦笑)
その後、僕は生粋の馬鹿なので、よせばいいのに彼女の家にお邪魔することになる。さすがに手を出す出さないなんて次元ではないので安心してほしいがw会いたいのは彼女、でも旦那さんもついてきた。まぁ別に奪いたいわけではなかったので、会えさえすればそれでよかったんだけど、彼女の旦那さんはプロの漫画家さんだった。名前も僕は知っていた人だった。しかも幸か不幸か僕とおんなじ趣味を持つ同好の士だった。
どのくらいかと言うと
セイントフォーの解散ライブのレーザーディスクをベータでダビングして持っていた人。というのを知っている人が見れば、どのくらいマニアックだかわかると思うww
もう嫌いにはなれない。嫌いになる理由もほぼないのだけど。
その後、彼女にも、彼女の旦那さんにも会うことはなく。僕の思いも浄化されたようでw
他のカルチャーにかまけているうちにこの年になってしまった。
風のうわさでは二人はもう離婚したようだけど、
僕になにか回ってくることはきっともうない。
あまずっぱい思い出であーる。