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クロスバイクで帰省の旅

進路が確定し、卒論に追われながらも特にすることのない4回生秋。私は一つの決断をした。約100kmある地元までの道のりを、クロスバイクで帰ろうとするものである。

最初の難関

スタートは京都府京都市。そこから岐阜県の大垣まで帰る。予想時間は10時間程度。正直余裕だと思っていた。そんな中最初に立ちはだかったのは、山科大津間の山道。傾斜はそこまで無いが、終わりが見えない上り坂に、心が折れかける。やっとの思いで山を越え、滋賀県へ突入した。

景色が変わらぬ守山米原間

滋賀県へ突入し、しばらくすると琵琶湖沿いを走るルートにたどり着いた。開放的な琵琶湖沿いは、絶好のサイクリングルートだ。しかしそんなルートは一瞬にして終わり、田んぼや民家が立ち並ぶ田舎道に突入した。守山から米原までの約43km。途中近江八幡で昼食休憩をとるも、永遠と景色の変わらない田舎道はメンタル的にくるものがあった。お気に入りのプレイリストを流しながら、無心で自転車を漕ぎ続けること4時間。やっと米原駅に到着した。

車しか通らない山道

米原に到着し、ゴールも見え始めたかに思えたが、ここからが難関だった。米原から関ヶ原への道。今まであったファミレスやコンビニが忽然と姿を消し、車が通り抜けるだけに使うような山道に入った。休憩がてらのコンビニもほとんど無く、緩やかなアップダウン、急なアップダウンがごちゃ混ぜに続く道である。米原に到着した時点で、8割型の体力を使い果たしてしまっていた私にとって、この道は地獄に等しかった。足はパンパンで、重い荷物で肩はバキバキ。しかしここで諦めてもどうにもならない事は目に見えており、残りの体力でひたすら足を前に動かし続けた。

ゴールへの光

やっとの思いで関ヶ原を越え、垂井に到着。ここら辺になると見慣れた景色となり、ゴールが自分の中で見え始めた。緩やかな下り坂を駆け下り(帰り道のことを考えると恐ろしかったが)、大垣市へ到着した。不思議なものだが、ゴールが見えると人間はやる気になってくる。今までよりも足が軽くなったような気がして、スイスイと前へ進んだ。

無事帰省

18:40頃。無事実家に到着した。家に帰ると父親と犬が出迎えてくれた。家に着いた時、今まで以上に家が暖かくて素晴らしい場所に感じた。こうして、わたしは約11時間にも及ぶ旅を終えた。

この挑戦から学んだこと

この挑戦から学んだことは二つである。一つは、山道でも走り続けること。なだらかだがゴールが見えない坂道と、急だがゴールが見える坂道と、どちらが自身にとって困難な道となるだろうか?私は今回の経験から、前者の方が圧倒的に困難だと感じた。坂が緩やかであるため、自転車で登りきろうと努力する。しかしじわじわと体力が削られる一方で、なかなか終わりが見えない。これは大学受験や就職活動にも似ているだろう。目標とする大学や企業に進むため、何ヶ月、何年も前から準備する。長い期間をかけてゆっくりじっくり勉強や準備を積み重ねる。途中で思うように行かなかったり、成績が伸び悩んだりして挫折しそうになる。しかしそんな困難を乗り越えながらも、メンタル的にしんどくなりながらも合格、内定に向けて歩みを止めずに走り続ける。そしてその先に合格という喜びと達成感を感じることができる。そして山道を登り切った時の達成感は今までには無いものであった。この経験から、なだらかでゴールが見えない坂道であろうと、自分を信じながら着実に歩みを進めることの大切さを学んだ。二つ目は、一度自分の限界を突破すれば、二度目はその困難がそこまで困難だと感じなくなることである。京都から実家までの行き道は、今まで挑戦したことの無い、言わば自分の限界を試すような挑戦であった。そのため、途中で何度もリタイアを考えた。そして、弱音を吐いた。しかし、一度自分の限界を突破してしまうと、不思議と同じ距離の帰京は怖くなかった。自分の中で要領を掴んだからなのか、自信を持ってペダルを漕ぐことができ、帰りは9時間弱で帰ることができた。今まで挑戦したことの無いようなことに対して、最初は何度も限界突破への壁にぶつかる。しかし、一度その壁を越えてしまえば、二度目、三度目はそれが自分の中で"できること"の一つになり、困難が困難ではなくなる。人生において、様々な困難にぶち当たると思うが、一度、自分の限界に挑戦してみて、新たな視点を、世界を自分で切り開いてはどうだろうか。
 

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