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おはなし 赤ずきん

 『赤ずきん』のテキストってのは何種類もあるし、それを本、ことに絵本にしたものとなるともう数えきれないぐらいあるんですが・・・・・。みんながよく知っているのはやっぱりグリム版のストーリーなのかしら?オオカミのお腹を切り開く、というところが、非常に印象的。あの行為が小さい子供にはとてもウケる、大変カタルシスのある場面であるらしい、というのは、子育てをしたことがある人は知っているかもしれません。我が家のお子は3歳ぐらいの時にごっこ遊びであの場面ばっかりやってましたっけ。

 グリムより古いペローの赤ずきんでは、女の子が食べられてしまって、それでThe END という、大変あっさりしたものになっています。助けに来る猟師もお腹開いて丸のみにされたおばあさんと赤ずきんがそこから出てくる・・・・なんてのもありません。開いたお腹に石を詰めて懲らしめるのもない。要するに女の子は気を付けないとこんなことになるよ、という、箴言(お説教?)なのですね。取り返しはつかないよ(処女は失ったらそれまでなのよ、的に)、というお話なのです。そこでは赤ずきんは、単に女の子であるっていうだけのことで被害者となります。こうしたジェンダーの付加は、ペローがこの本を良家の子女が読むものとして執筆したという事情にもよるでしょう。

 赤いずきん、という魅惑の演出をしたのもペローです。もとになったお話は伝承の昔話でしょうが、ペローはそれをテキストにするときに、この決定的な色を彼女に与え、オオカミのターゲットになる魅力的な女の子、という象徴を強調しました。それ以降、もうだーれもこれを脱がすことができないんですね。だからグリムのお話も赤いお帽子になっている。つくづくペローって人の演出力、象徴に対する本能的な理解はすごいな、とあたしは思います。あたしも自分の絵の中で、性的に危なっかしい女の子に赤い被り物を着せかけることをやめることができません。

 これらのテキストのもとになった昔話では、赤いずきんも帽子もないし、女の子は自分の機転でオオカミ(いわゆる人狼。村社会からの外れ者という意味かと思います)から逃げおおせます。なかなかしたたかです。でも、先回りしたオオカミに、(それとは知らずに)おばあさんの肉を食べさせられ、おばあさんの血を(ワインだと騙されて)飲むことになります。(『かちかち山』のおじいさんが狸に騙されて自分の奥さんを料理した〝婆鍋”を食べさせられるのとかぶりますね)食べることは一体化するってことでもあり女の子はおばあちゃんの血肉によって「知恵がつく」から自分で逃げることができるのかもしれません。いずれにしても犠牲は払われています。

 有名なあの一連のやりとり「なんて大きなお口でしょう」「それはお前をたべるためさ」、はあります。あれもなかなかドキドキするものですが、元祖赤ずきん(そんなにわざわざ目立つ赤い衣服なんか着ていない小さい女の子)はちゃんと人狼の魂胆に気が付くんですね。オオカミは家にやってきた女の子に「暑いからその服は脱ぎなさい」などと言って、一枚一枚衣服を脱がせたりして、あやしさ満載ですしね。そうやって脱がせて、ベッドにおはいり、と命令するのです。

 だからこれが性的誘惑のお話だってことは間違いがありませんが、ちゃんと逃げるか、一度は食われて腹の中から再生するか、あるいは食われて人生が終わるかは、大変大きな違いと思います。人狼から逃げおおせた女の子は、これを教訓として、誰になら心を許すのでしょう?あるいは懲りて男を遠ざける生活をするのでしょうか?

 昔話はいかようにも読み替えることができます。その隙間と水気とを象徴の中にたっぷりと持っているからです。『赤ずきん』へのオマージュとでもいうべきお話、赤ずきんを読み替えたお話もたんまりあります。ストー夫人の『かしこいポリーとまぬけなおおかみ』のシリーズや、ジェンダーを皮肉るかのようなダークなアンジェラ・カーターのお話は面白いと思います。

 あたしの赤ずきんは、森の中でオオカミのかわいい子供を拾って飼いたいと駄々をこねたり、そのオオカミの仔が三つ子であったり、寄り道の末にいつもの森とは限らない四次元の裂け目に迷い込んだり、魔法でカエルの姿にさせられて、True loveを探してキスしてもらわなきゃ元に戻れない運命だったりします。展覧会をしますが、2014年の個展はそれらのお話のかけらが画面にランダムに出てくるようなものになる予定です。今鋭意準備中です。情報下記。

https://note.mu/syndi/n/ncbef9283a450?magazine_key=m85fb22d77030 これらの赤ずきんに会いに来てください。コラボしてくれる朗読の集団も、それぞれ違う赤ずきんを読んでくれるはず。


おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。