見出し画像

お前のピアノは、雑だ。

今日は、いつも頼りにしている美容師さんに急遽お願いして、遅い時間にも拘わらず髪を切ってもらった。
しょっちゅう髪型を変えるので、キャラが定まりにくい私だけど、今回はウルフを目指すことにする。
20代の頃にずっとしていた髪型で、久しぶりだけど、年齢が変わるとその髪型にする理由も違うワケで、今回はそのころとは違うウルフを目指そうと思う。

・・・・・

最近よく書いているが、ピアノを始めたのは5歳の頃だ。
最初は近所の地区で自宅教室へ通い、家では古いオルガンで練習した。
しばらくたって、私がわりと本気だと分かったようで、教室はその地域では一番大きいところへ移り、その教室は、1階フロアにはたくさんの楽器が並べられていて、2階はすべて練習フロア、個室の練習室が5つも6つもあった。
家での練習は、オルガンから新品のアトラス製ワインカラーのピアノに変わった。

素直に練習していた頃、担当の先生が本格的な先生に変わり、いくつもある練習室の中で私は、グランドピアノのある一番大きな部屋へと移動になった。
「素質がある」と期待されたからだ。

でも、スパルタタイプだったその先生との相性が良くなく、私はピアノをやめた。


ピアノが弾けると、学校の音楽の時間に、伴奏者になることが多かった。
みんなが歌っているときに、私がピアノを弾く。私のピアノの歌に合わせて、みんなが歌う。
それも嫌いではなかったけど、実際には、歌う方が好きだった。

中学2年生のときだっただろうか、文化祭での課題曲が「大地讃頌」だった。
大地讃頌の伴奏は、指を3~4本使う和音ばかりでできていて、ピアノをやめてしまい、かつ、身長が高いわりには親指と小指の距離があまり出せず、片手で1オクターブの音を出すのが苦手だった私にとって、その曲を完璧に弾きこなすのは難しかった。
本来は4本の指で弾く和音(4つの音でできている和音)の内の1つの音を抜いて、指3本(3つの音)で弾いたりしていた。
それでも、一生懸命に弾いているつもりだったが、ある日、当時の音楽の先生に言われた。

「お前の音は、雑だもんな。」

音楽にとても熱心で教えるのも上手、クラスに何人かいたヤンキーの扱いも上手だったその先生は、私の部活の顧問でもあった。

「お前の音は、雑だもんな。」

私には意味が分からなかった。
「もうピアノ辞めたから基本的な練習もしてないんだし、しょうがないじゃん、弾けてるし」と思っていた。

そして、文化祭当日の、各クラスのステージを録音か録画した、映像か音源があったはずだ。
それを自分で聴いたときの衝撃が今でも忘れられない。
私の伴奏は、ほかのクラスの伴奏者の音に比べて、自分が思っていたより何倍も貧相で酷かった。
緊張で音が飛んでいるのは見逃したとして、和音の音を抜いていることや、音の出方、そこに感情がのっていない感じが、怖いくらいに伝わってきて恥ずかしくなった瞬間のことを、私は今でも鮮明に思い出せる。


その後、中学を卒業するまでだったか、あるいは卒業してからだったか、自分で気が付いた。
私には、ピアノへの愛情がなかった。
ただ、音を鳴らす。それだけだったこと。
楽しかった記憶はあるけれど、愛情を持って弾いた記憶はない。
小さなこどもに「愛情」と教えてもわからなかったかもしれないけれど、それだけじゃないと思う。
中学1年のときにピアノの教室を辞めて、それ以降、私は自由にピアノが弾けた。
好きな時に、好きなように、好きな曲だけを弾くことができた。
嫌いな曲、弾きたくないフレーズは、一切弾かなくていい。自由だった。
それはそれで全然構わないのだけれど、その、好きな曲を弾くその時の自分のことは良く覚えていて、今思い出すと明らかに愛情がない。

鍵盤を叩く、音を出す、それが繋がって曲になっていることは確かだけど、そこに愛情があったかというと、なかったと思うのだ。
それは、ピアノに対してだけではなかったと思う。
まだまだ未熟な中学生だから、それは当然ではあるのだけれど、我儘勝手だった私の性格が、ピアノの音にも表れていて、それを先生は見抜いたのだということに、私は気が付いた。

そう思えば、今は当時よりも、指の力が落ちているだとか、ときどき音を間違えるだとか、音が落ちるとか、そういうことはあると思うけれど、今の私には少なくとも、ピアノや音への愛情がある。

ピアノを弾く技術やスキルは大切だと思うし、楽譜通りに弾くことは確かに大事だと思うけれど、でもそこに、愛情がなければ、そしてそれを表現することのできる表現力がなければ、結局マニュアル通りでしかなく、ただ、音が連なって音楽に聴こえるだけで、誰かを喜ばせたり、しあわせにしたりすることはできないのだと思う。

それは、ピアノだけでなくて、ものごと何でもそうで、目の前の事象に愛情が抱けなければ、ただただモノがやりとりされ、そこで人の心を動かすことはできない。

人は、結局は、『愛』だ。


その音楽の先生には、卒業してからもずっと、年賀状を出していて、返事が返って来ていた気がする。
今これを書きながらふと思ったけれど、先生は私が中学生の頃に40代だったはず。
ということは、今、もう80歳とかなのかな。
いつだったか、先生が体調を崩したと誰かから聞いたけれど、ご健在なのかな。

今だったら、少しは愛情込めて弾いてみせるのだけど。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?