11月22日。

11月22日。
お昼間の電話口あの人は、「今日は、いい夫婦の日ですよ。」と切り出したあと当たり前のように、「今日はなにを食べようか」と言った。

隣のおばちゃんに久しぶりに会った。
隣に住んでいるのに、顔を合わせることは滅多にない、私がほとんどの時間を留守にしているせいだ。 

夏が来る前、おばちゃんちの金柑の樹がなくなった。
世話がしきれないからと、お孫さんたちを呼んで抜いてしまったらしい、私が帰宅したときには、金柑の樹は根っこをつけたまま地面に横たわっていて、その隣の地面はいびつに凹んで、命の跡を残していた。

その跡は数日後には整えられなにも植えられないままだったが、「日々草の種を蒔いたのよ」と、久しぶりに私の顔を見たおばちゃんは話してくれた。



あれ以来あの人は私の仕事の終わりを待って、私に会いに来るようになった。
お弁当を2つも3つも買ってきて、「好きなのを食え」と私に言う。
ちょっと豪華めのかき氷やアイスクリームを4つも5つも買ってきて、「好きなのを選べ」と私に言う。
私の作った料理を、うまいヤバいと言って食べる。
小さなちゃぶ台に座布団を2枚並べて、私はしあわせだ。

食べ終わるとすぐにあの人は、初めてうちに来たときのようにあの人は寝ころんで、うたた寝をしたり、どうやらそのすぐそばにある柱に足を掛けると安心するらしく、そうしながらテレビを観て笑っている、私もあの日と同じように、あの人に並んで寝ころんだ。
しばらくしてあの人は、畳の上に寝転ぶ二人を一枚の写真に収めようとしたが、私は断った、今のところ、その写真を飾れる場所はどこにもない。


「あの畑の端っこに伸びているあれは、イタドリ?」と私が尋ねると、「皇帝ダリアよ」とおばちゃんは教えてくれた。
その数日前、久しぶりに予定がなくゆっくりしていた私は、おばちゃんの畑の隅に見覚えのあるようなものを見つけた。
幼い頃に畦道を歩きながらかじったことのあるイタドリにとても似ているように見えた皇帝ダリアを見て私は、亡くなった母のことや、84歳になった父に想いを馳せた。
両親は共に田舎育ちで、私にイタドリをかじることを教えたのも、父や母だ。 



台所に立っていると、あの人がテレビを観ている音や、テレビを観て笑っているあの人の声が聞こえてくる。
私が模様替えをしたからテレビを観るときのあの人の足は、柱にかかることはなく畳の上に置かれている。

小さなちゃぶ台に、あの人が買って来た天丼、カツ丼、巻き寿司が並べられて、私は天丼を選ぶ。
いつものように私より先に食べ終わったあの人は、初めてうちに来たときのように寝ころんで、うたた寝を始めるのかと思いきや今しがた天丼と巻き寿司2つをペロッとたいらげた私を見て、「今日はよく食べたなぁ」と嬉しそうに笑う。

隣のおばちゃんの家におじゃましたとき、部屋は質素だけれどきちんと整えられていて、玄関には陶器でできた品のいい猫の置物が、奥の部屋には犬のぬいぐるみが大切そうに飾られていた。
飼いたいけれど私が先に死んでしまうから、置物やぬいぐるみで我慢ねと、おばちゃんは話してくれた。
額縁に入れられた白黒の写真は、おばちゃんの旦那さんかと思いきや早くに他界したご兄弟で、おばちゃんは所謂'出戻り'だということを知った。
私もそうだと笑ったら、あなたはまだまだ若いからチャンスがあるわねと、おばちゃんも笑った。


あの人に家庭があることを私は最初から知っている、さらにはもう何年と連絡をとり続けている少し距離のある場所に住むの女性がいると、あの人が初めてうちに上がる日よりも前、あの人は私に話してくれた。
そんな距離の人、すぐに駆けつけて抱きしめてあげられるわけでもないのにあなたは無責任だ、と私は、もっともな正論をぶつけた。
何度も何度も正論をぶつけて堂々巡りになり、この話をどこで終えていいかわからなくなった私に、彼女のことを友達だと言い切った上であの人は、彼女にについてより詳しく話そうとしたが、私は断った、あの人が彼女を心の拠り所にしてきたのか少なくとも彼女はきっとそうで、私がそんな彼女の存在を知らないままがよかったか知らないよりはよかったのかはわからないが、いずれにしても彼女の詳しい話など私には必要もなく聞きたくもなかった。



11月22日。
さすがに来てくれないかもと思っていた私の心なんか知りもせずに、いつものようにあの人は、お弁当を3つ買って会いに来た。

夕方のテレビ番組の音を聴きながらあの人と私は、いつものようにいただきますを言い、いつものようにテレビを観ながら食べ、ご馳走様を言う。
小さなちゃぶ台に座布団を2枚並べて、私は今日もしあわせだ。

嫌だという感情とも脚に纏わりつくスカートの裏地の感触とも違う切なさが、ごく僅かに私を掠めることがあるとするならば、

あの人はあの彼女と、きっと今でも連絡を取り合っている。
あの人の服は時折私のじゃない、あの人の家の柔軟剤の香りがする。
あの人は仕事着の洗濯を、私にたのむことはない。


「側(そば)におれ。それがすべてや。」
私は只々、ある日のあの人の言葉を信じた。









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