母の最期。

✴︎この記事は、2022年3月25日のものです。

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3月初旬に74歳の誕生日を迎えた母。
娘の提案で、誕生日の翌日、娘と私と二人手作りケーキをつくり、両親のもとへ持っていき、4人で祝った。
3月4日だった。

全身転移性の骨がんでありながら無症状のまま過ごしてきた母。
私はといえば、母が全身転移性骨がんであることをほぼ忘れ去っていて(ごめん、診断が下って以降もあまりにそれまでと変わらない様子だったから)、娘の「ケーキ作る」にのっかった程度だったけど。
手作りケーキは、「次の誕生日は祝えないかもしれない。」、そんな、娘の優しくて暖かい想いのこもった提案だった。

過去の記事に書いているように、私は母の誕生日を祝ったことがなかった。
今回だって、娘が企画してくれたから、それに紛れて「おめでとー!」なんて言えたけど、そんな機会でもなければ絶対にできなかった。


そんな母に体調に変化があったと父から連絡が入ったのが、その誕生日お祝いから1週間後の3月10日。
母がもうおそらく10年以上続けてきたウォーキング。
そのウォーキングをすると息が切れ、検査にて肺と腹部に水が溜まりかけているとの診断を受けた。
ほかに、足の浮腫みと、食欲の低下。食べたとして何を食べても渋い味がすると訴えたそうなので、食欲が落ちたのが先か、味覚がなくなったのが先か、今となってはよくわからない。

病院からは「足を高くして寝るように」などのアドバイスを受け、自宅へ戻ったけれど、足の浮腫みが強いために痛くて歩けないのと、食欲がないのと、呼吸が苦しいのとで、横になっている時間が増えたと父から聞いた。
それが3月11日。

3月18日。病院までおそらく自分で運転していったのだと思う。
検査の結果、急遽輸血をすることになった’らしい’。2時間ほどかかる’らしい’と父から連絡があった。
その後父からも母からも連絡がなく、こちらからの問いかけにも返事がなく、母が自宅へ帰ったのかも父が病院へかけつけたのかもわからないまま一晩が過ぎた。

3月19日、父から、母は自宅へ戻っていると連絡があった。
うどんを食べたものの、胃が重くてベッドで横になっていると聞いた。

自分で歩くのが難しい、食べられない。
「病院に行きたい」と母が自分で言ったそうだ。
「今から会いに来れるか?入院になった。入院してしまったら会えないかも」と父から連絡が入ったのが、3月20日15時前。
病院で会った母は車いすに乗り、声はかすれていた。
足が浮腫んで足首が不明(笑)、私と娘に足をマッサージされながら、いろいろな承諾書にサインをする母。
どんな気持ちだったのだろう。

もう会えないかもしれないと、私もわかっていたのに、ただ、私たちは「いってらっしゃい」と言い、車いすを看護師さんにおされる母は私たちに「いってきます」と手を振り合って、なんとなく分かれてしまった。
その時に「母さん、愛してるよ。生んでくれてありがとう」と、少なくとも目を見て、できれば抱きしめて言えたならという想いが私の心に走ったのに、できなかった。
母の姿が見えなくなると同時に、くだらない恥じらいなんか捨てたらよかったと、正直、後悔した。
それが3月20日の17時ごろ。
その後19時半すぎには、京都から息子が帰省したけれど、母に会うことはできなかった。

翌日、3月22日。朝7時という早い時間に、母から父宛に電話があったと聞いた。
目が開けられない(理由は聞いていない様子)、嘔吐、喋りにくいなど。でも頑張ると訴えたとのこと。
父からの希望で、息子から母宛電話をして声を聞かせた。
その後、あらためて母以外の父・私・息子・娘の4人で、母が欠かさなかったお彼岸のお墓参りを。
お寺にいた午前10時半ごろ、母自ら父宛に電話をかけてきた。
音声をスピーカーモードに切り替えた父のスマホから聞こえた母の声はさらに擦れ、明らかに口が動いていない喋り方。
一晩にして別人だった。
ほんの18時間前に会った母は、車いすに座りしんどそうだったものの、会話も普通にでき、「確かにしんどそうだよね」という母だったから。
ただ、何が言いたいのか、私は母の言葉すべてを聞き取ることができた。
衝撃でありつつ、それを受け入れられるフラットな感情。
おそらく、私以外の、父・息子・娘もそうだったと思う。
その後、4人で喫茶店へ。その駐車場に着くなり、私は母に電話をかけた。
「産んでくれてありがとう」を伝えなければ、一生後悔すると思った。
1度の電話で3回伝えた。そのうち母の耳に届いたのはおそらく2回。
「生まれてくれてありがとう」と言ってくれた。

母が持ってきてほしいと必死で伝えてくれたものを買い揃え、父が代表して病院へ預け、随分前に亡くなった祖母が使っていた車いすを、いつか自宅へ戻るであろう母が使えるよう用意したと言っていた。
息子は、母に会うこと、もし急変があっても死に目に会えないことを受け入れた上で京都へ戻った。
息子から「家に着いた」との連絡が入ると同時に、父からの連絡が入った。
母の呼吸数が激減し、血圧が乱れているとのこと。
深夜にでも命を終える可能性がなくはないと病院から連絡があったと聞いた。
確かこの日に気が付いた、私は今の母の文字を知っているけれど、母は今の私がどんな文字を書くか知らない。
そして、もう2つ、伝えるべき言葉があった。
『母さん』と呼ぶこと。
『愛しているよ』と伝えること。
母が死んでしまう。
間に合わないかもしれない母に、手紙を書こうと思った。
ちょうどデスクの引き出しに、もう2年も前に買った今の時期にぴったりの黄色いミモザが描かれた活版印刷の便箋があった。
これまで、一緒に買い物に行ったり、恋人の話をしたり、たくさん一緒に笑ったり・・・一人娘なのに何もかなえてあげられなかったこと、ごめんねと書いた。
そして、『母さん、愛しています』と書いた。
そして、私が一番好きな、母との写真をコピーして、写真サイズにカットして同封した。
少しでも寝ておこう、12時ごろに布団に入った。

3月22日。
結局深夜に病院からは連絡がなく、いつも通りの朝が来た。
ダメ元で母に電話してみたら、出た!
何かを一生懸命伝える母。声の擦れと口の動きがよくないせいで半分くらいは聞き取れない。
「そうかね」「そうかね」と聞き取れない話も聞こえたふりをした。
同じ話を2回させるのがかわいそうな気がして。
でも、話が終わりそうもないので(笑)、私は「あのね」と切り出した。
「母さん、愛していますよ」と伝えた。
「いますよ」が照れ隠しだったけれど、それでも堂々と伝えた。
本当は顔を見て、抱きしめながら言いたかったけど、しかたがないね。
その後もあれこれ話す母。
「今から病院に連れて行ってもらう」と言う。病院にいることを把握できていない。
自ら希望して病院に入り、自ら希望して入院したのはたった1日半前。
1日半で、こんなに変わるんだ。また、衝撃だけどフラットな感情。
複雑な気持ちだった。

3月23日。
午前中、私は私で、父は父で出かけていた。お互いの用事が終わったのが同じ時間で、一緒にお昼を食べることにした。
父は、もしかしたら母が家に帰ってこれると思っている。
もしかしたら歩けるとも思っている。
正直、現実的に難しいと私は思っている。
食事もとれず、ベッドに横になったままの74歳。3日もすれば、歩けなくなる。
父とあれこれ話したあと、夕方と夜に母宛に電話をしてみたが、出なかった。
電話が遠くにあるのか、そばにあるけれど起きられないのか、寝たままの耳元にあるスマホを取る力がないのか、手に取れたとて画面を押す力さえないのか、それともほかの理由なのか、一切わからないまま。


3月24日。
母の声を聴けば少し状況がわかるかと、何度か電話してみたが、出なかった。
代わりに、父が母と電話できたらしい。
半分くらいは何を言っているか聞き取れなかったけれど、機嫌はよかったような気がする…と。ほかに、その時に看護師さんとも少し話したようで、その内容や様子をあれこれ聞かせてくれた。
ただ、父の情報は正直、ちょっと宛にならないなと感じた。
曖昧な点が多すぎた。


そして今日。3月25日。
病院のお昼ご飯の時間ならもしかしたら出てくれるかもしれないと期待して、何度か電話をしてみたが、繋がらなかった。
荷物を持っていくていで看護師さんから直接状況を聴こうと、荷物を持ち込む予約をナースセンターに約束。
娘と二人で病院へ行って、担当の看護師さんから状況を聴いた。
薬が効いているのか、テンションが高めでよくしゃべるらしい。
「上野さん」と呼ぶと「なぜそんな呼び方するのー?笑」と言い、「じゃぁ、○○さん」と下の名前で呼ぶと「そう呼んでくれないとね♪」みたいな反応らしい(笑)のと合わせて、辻褄の合わない話をするらしい。
薬によってだろうけれど、まぁ客観的に、そんなおかしなテンションの母を想像できてしまう。
基本、寝たきり状態、自分で起き上がったり、当然トイレに行くこともなく、管を着けているとのこと。
3月21日の夜に書いて渡さないままの、封筒に入れた手紙と写真のコピーを、きっともう文字を読むことは難しいとわかって看護師さんに預けた。
「もし本人に読めなさそうなら、読み上げていただいても(笑)」と言いながら。
しばらくして母の部屋から戻ってきた看護師さんから、手紙に添えた写真を母が真ん丸な目をして見ていたと聞いた。
その写真は、母も知っている。
真ん丸な目をしたその理由が、その写真に見覚えがあるからか、あるいは初めて見た感覚だからなのか、そもそもその写真に写っているのが母自身と娘である私であることを理解できているのかどうかもわからないけれど。
とにかく、真ん丸な目をして見ていたとのこと。
手紙は、さすがに読めなかったかもね。
『お母さん』って、書いたんだけどな。笑
照れ隠しの『愛してますよ』じゃなくて、ちゃんと本気で『愛しています』って書いたんだけどな。笑



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