見出し画像

取りとめない話。

母が他界して1年。
あっという間だった。
棺に眠る母は、私の娘にメイクしてもらい、お気に入りだったピンクの服を着て、たくさんのピンクの花に囲まれて、とても美しかった。
やっぱり心残りなのは、母が元気である間に「母さん、これまで冷たくしてごめんね。」「母さん、私のお母さんでいてくれてありがとう。」「母さん、愛してるよ。」というたったこの3つが言えなかったことだ。
一緒に買い物にも行こうとしなかったし、ろくに目を見て会話をした記憶もない。
何度も入院したのに一度もお見舞いに行かなかった、でも、この3つの言葉で、少しはそれが許される気がしたのに。

昨日、久しぶりに散歩に出た。
なんだかすごく疲れていて、朝から何もせず、昼寝して、夕方目が覚めて、「花を摘みに行こう」って思った。
花を摘んだり、苗木を買ってきたりするたびに思うのは、「母は、花が好きだったの’かもしれない’。」ということ。
だとしたら、私も母に似たのかもしれない。
ただ母は、確かに花壇をやっていたけど、花が好きで花壇をやっていたのか、花壇が好きで花壇をやっていたのか、私はそんなことも知らないままだ。


『人は、少々のことで死なないから。笑』
例えば誰かが何かにチャレンジしようとして、不安を漏らした時によく使われる言い回しだ。
私もよく使っていた。


ある日、クライアントの男性が久しぶりにいらした。
釣り好きの60代で、父の代からずっと当院を信頼してくださっていた、父から私へと代が変わって離れていくクライアントさんもたくさんいた中で、それでも私を信頼して、何かあれば来てくださった方の一人だった。

何かのきっかけで話が盛り上がり、ふとしたタイミングで私が「ま、少々のことで人は死にませんので。いいかなと思って。」というようなことを言った、その時にその方から返ってきた言葉が「そうでもないよ」だった。
「どんなに頑張って生きたくても、生きられない人もいるんだ」「うちの嫁さんは、頑張ったけど、死んだよ」って。

その方の奥様は、その少し前に癌でお亡くなりになっていた。
その方が奥様を大切になさっているのは前から知っていたし、体調が良くないのもそういえば少し聞いていた気がする。


別の人は、それこそずっと当院を信頼してくださっている女性のクライアントさんからのご紹介でいらした、広島県の男性だった。
「私が若い頃に、すごくお世話になった上司なんです。お願いできますか?」とのご依頼で、その上司である男性は、毎月一度、九州の病院で強い抗がん治療を受けているとのこと。
そのお世話になった上司にしてあげられることとして、私をご紹介くださった。
実際、奥様の運転でその方がうちにいらしたのは、抗がん治療の帰りだった。
施術をしながらいろんなことを話してくれた。
お孫さんが生まれて、早く、少しでも早くその孫と遊びたいんだ、先生(私)に体をみてもらうとすごく楽になるんだ、早く元気になれる気がするから、毎回頑張って来るから、先生お願いね」と、切実に話してくれた。
強い抗がん治療の後、長距離車に乗って帰るだけでも相当キツかったはず。
その途中に私のところへ寄るのは、相当相当キツかったはずだ。
3度目のご来院のときか、明らかにいつもと肌の感じが違って、私は嫌な予感がした。
その数日後、電話があって、お亡くなりになられたとのことだった。
お葬式が済んだ後、その方の奥様と息子さんが、わざわざ広島からご来院くださった。
亡くなられたお父様が生前、どんな人からどんな施術を受けていたのか、自分も施術を受けてみたいとのことで、帰り際には「大変お世話になりました」と頭を下げてお帰りになった。


別の女性は、60代でとても元気な方だった。
車で30分ほどかけて月に一度必ず来てくださるその方は、次の予約をその日に取って帰る方だった。
私も、今週どなたがいらっしゃるかというのは事前に頭に入れているので、その女性も今週だなと思っていた。
ご予約の前日になって、お嬢さん(この方も私のクライアントさん)からお電話があって、「母が予約していたと思いますが・・・・」と言われた。
言い終わるまでに泣き崩れてしまったお嬢さんと電話を変わって説明してくれたのは、もう一人のお嬢さん(この方も私のクライアントさん)だった。
「母が、亡くなりました。」
「え・・・?事故・・・ですか?」
なんだったか忘れてしまったけれど、急性で、病院に入り一旦持ち直したかという矢先、そのままお亡くなりになったそうだ。
「明後日会える」と思っていたその方が、何の予告もなく。
「こんにちはー!」って、約束の時間になったら、いつも通り、普通にドアが開くものと思っていたのに。

そして、奥様を癌で亡くされた男性も、昨年、癌で亡くなられたと聞いた。
会社員時代に同僚だったという、今も私のところに3か月に一度来てくださる方から聞いた話。
今頃奥様に会えたかしら。

女性のお嬢さんは、今も時々来てくださって、その度に少しだけ、お母さんの話になる。



人は、当たり前のように、当たり前でないタイミングで命を終えてしまうことがあるみたい。
それが、自分の体に起こる変化であることもあれば、外的要素であることもあるし、予感がすることもあればしないこともあるみたい。

自分もあの人も、明日も明後日も、来年も5年後も10年後も普通に生きていられる・・・・私たちはそんなふうに無意識に思ってる。

愛し合って抱きしめあった人と、また次も会えると思っている。

面倒な家族に、素直に「愛してるよ」っていうことだって、まあそのうち言えたらいいよね・・・って思ってる。

好きだなと思う人に「好きだ」って伝えるのだって躊躇するし、

マズかったなってことの埋め合わせも「次都合が合う時に」とか思うし、

奢ってもらったら「次はこっちがご馳走するよ」って言う。

取り止めのない話だけど。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?