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「家族」という縁は。

母の他界と、自分の生き方を変えようと思ったタイミングが偶然同じだった。
3月31日を終えたら、私はこれまで大切だと思い込んできたものを思い切って手放すと決めたのは、3月に入ったころだったと思う。
いよいよその3月31日が来て、私はその日、お寺にいた。
そこにいらっしゃる女僧の先生と出逢ったのが、3月30日。
初めてあまりに「ただいま」感が強かった私は、その日夜遅くまでお寺にいて、翌日もそのお寺に、というよりも、先生とそのご主人に会いに行った。
その日もまた、晩ご飯をご馳走になって、夜まで話し込んでいた。
21時ごろ、末期がんの母が緩和ケアのために入院していた病院から電話がかかり、そろそろだと言われた。
私はお寺を出て、母の元へ向かった。

病室に入ると、意識がなくなった母が呼吸器をつけて眠っていた。

その数日前、私はもうきっと母には読んでもらないと思いながらも、手紙を書いて看護師さんに預けた。
一人娘として愛されたはずの私は、母と折り合いが悪かった。
そのために、私は母に、何もしてあげられなかった。
それを謝りたくて、ほんとうは大好きで愛していることを書いて、私がまだおすわりができるようになったころに母と写った写真を添えた。

後から看護師さんから聞いたけれど、母はその手紙を読んだという。
実際には、その文面を読めたかどうかはわからないが、母と私が写った写真を、真ん丸な目をして眺めたいたという。

その写真は、私が幼いころ、A4サイズに引き延ばされて額縁に入れられて、部屋に飾ってあったものだ。

「愛している」、抱きしめたかったのに、それができなかった自分を、今でも後悔している。
もうきっと会えないとわかっていた。
自ら緩和ケアを受けるために、車いすに乗せられた母が病室へと運ばれていく後ろ姿を、私は今でもはっきりと覚えている。
「頑張ってねー」、それしか言えなかった自分を、今でも後悔している。


緩和ケアに入った翌日、繋がった電話口の母の声は、すでに母の声ではなかった。
治療が効いているおかげで痛みに苦しむことはない様子だったけれど、かすれて、弱弱しくて、そのとき私は、あぁ、母はほんとうに死ぬんだと思った。
電話口で「母さん、私を生んでくれてありがとう」と私の言う言葉に母は、「生まれてくれてありがとう」と言ってくれた。
「愛していますよ」と言ったら、「まぁ、ありがとう」と言ってくれた。

でも、あの日、車いすに乗った母を、抱きしめて、伝えたかった、「愛している」って。

母は、私の中では面倒で大嫌いな存在だったはずなのに、直前になって、ほんとうは一番わかり合いたかった相手だったことに気が付いた。
きっと母も、そうだったんじゃないか。

今だったら、素直に、「ごめんね」って言えるのに。

・・・・・

人との縁は、確かに不思議だ。
誰かと誰かが繋がって、また新しい誰かに出会う。

でも、家族は違うと思ってきた。
一般的な「縁」とは似ても似つかない、親は選べないからだ。

でも、母が他界してから分かったことがある。
母は母なりに大切にしたいものがあって、それを守りたかったのだということ。それを一生懸命伝えようとしただけだったこと。
そして、私には私なりに大切にしたいものがあって、それを守りたかったのだということ、それを一生懸命伝えようとしただけだったこと。

「親にはわかってもらえなくていい」、ずっとそう思ってきた。
でも、違った。
ほんとうは、一番分かり合いたかった相手が、母だったこと。
ただ、お互い、伝え方がうまくいかなかった。
それは、母が悪かったんじゃない、私が未熟で、母を自分の母だと認められなかっただけだ。
そんな風に思えるようになってから、急に地に足が着いた気がする。
それまで、自分なりに地に足をつけているつもりだったけど、今思い返せば浮足立っていた。
そして、周りを見渡しても同じで、親との関係性が良い人は、地に足が着いているのが分かる。


もう一つ分かったことがある。
父とも、母ほどではないけれど、折り合いは良くなかった。
今思えば、父との折り合いが悪かったのじゃない、あまりに母を嫌う私に父が困惑して、私との間に溝が生まれていたのだということ。


もう一つ、私と母、私と父との間に、そうやって溝や食い違いはあったものの、それ以外の問題はなにもなかった。

例えば、私の両親と私の間には、お金のことで揉めるとか、親戚のことで関係がこじれるとか、健康状態のことで時間を削られるとか、そういうことが一切なかった。
4月に母が他界したあと、父と娘と私の3人で母の故郷を訪ねたとき、親戚中が集まってくれた。
父の兄弟も、母の兄弟も、その親戚も、私たちが故郷へ帰るというだけで、たった数時間のために、みんな集まって笑顔で私や父や娘を迎えてくれた。ご近所だった人も、みんなそうだった。
なぜにみんなこんなにも温かいのかと感じたけれど、それは、私の父や母が、家族や近所の人たちと、良い関係を築いてきてくれたからに他ならないことに、最近気がついた。
そして、誰かが他界したときに揉めがちな、財産やお墓、それらに関しても、一つ一つ整理してから、私にすべてを渡そうと努力してくれたから。

それに、父も母も、それなりに病気を持っているとはいえ、自分自身で健康状態に気を使い、病院通いも自分自身でしてくれた。

私がこんなにも自由に、自分のことにエネルギーや時間やお金を使えるのは、まぎれもなく父と母のおかげだ。

今は、家族こそ縁だと思っている。
「子どもは親を選んで生まれてくる」という、それは本当かどうかわからないけれど、少なくとも、何にも変えることができない縁なのだと思う。
父のことも母のことも、そして、息子や娘のことも。
大切な大切な人たちなんだと、思うようになった。
この家族の縁がしあわせであれば、ほかの人との縁だってしあわせなかたちになる。


父や母が私にこんな風に思わせてくれたように、私も、息子や娘にそうでありたい。
そうであるには、私がもっともっと、地に足を着けて生きる生き方をしないとだねっ(^^)






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