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番町・麹町の街並みができるまで(途中ですが)

現在の番町・麹町地域の街並みができるまで、時代は大きく4つの出来事を経て変貌を遂げています。

学校の多い所以

現在の番町・麹町地域の街並みができるまで、時代は大きく4つの出来事を経て変貌を遂げていると考えます。1つ目は、江戸から明治に代わる大きな出来事「大政奉還」です。人の入れ替わりが起こり、土地の利用形態がこれまでとは異なりました。2つ目が耐火建築物建設の促進となった関東大震災。3つ目が東京大空襲で焼け野原となり、4つ目は近代化が効率化と理解される出来事、東京オリンピックです。

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それぞれ、変貌する意味は異なりましたが、番町・麹町では、それぞれの異なった出来事を垣間見ることができます。中でも東京大空襲という時期を経て、フィジカルに体感しにくい中、江戸期から明治に代わる意味をまちに象徴するのが「学校」です。
旗本屋敷であった番町の主は、三河や駿府へ帰ってしまい、その生活を支える麹町も衰退します。そこで薩長が主軸となる明治政府や時の実力者達は、近代国家に重要な拠点として、江戸城周辺には明日の未来を創造する教育施設を数多く創ります。それが、学校の多い所以です。
社会の女性進出を目的とした明治女学校をはじめとして、和洋報歳女学院(和洋九段)、大妻女子大学、三輪田学園、東京家政大学。極端な近代化に警笛を鳴らすためにできた漢学塾である二松学舎大学。
江戸期の宗教的弾圧から解放され、宗教法人が学校を創ったのも特色でしょう。上智大学や白百合女学園、女子学院、雙葉、暁星高校などは進学校としても有名です。

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千代田区花が「桜」となったそもそも

千鳥ヶ淵周辺には1000本、千代田区全体で3300本の桜が多くの人を楽しませており、千代田区では区の花として大事にされております。
さて、その桜の中でも代表的品種ソメイヨシノは、現在の豊島区駒込あたりを染井村と言い、江戸の植木職人が多く住んでいたところで有名でした。そこに明治維新の改革に大きく貢献した木戸孝允の別宅があり、木戸が東京招魂社(明治2年創建、現在の靖国神社)を創るにあたり、その染井村の植木屋さんと植えたという逸話を残しています。

明治10年の沽券図

現在の千代田区立中等教育学校の場所が木戸孝允のお屋敷。その面前に多く植えていったというのは、まんざら嘘ではなさそうです。

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東京招魂社から靖国神社
江戸城が大政奉還によって「皇城」と呼ばれ、その周囲を兵部省(陸軍省)がかためる。江戸の鎮守として寛永寺があるが、その寛永寺1万石を意識して、1万石を敷地で創られたのが東京招魂社(靖国神社)である。

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学校や病院、宗教施設だ。

によって大きく変貌を遂げるまちの筆頭が番町・麹町と言っても過言ではないであろう。しかしながら、その移り変わりは永く続いた封建社会を民主主義国家に移行させ、近代国家へ脱皮するうえでの道のりは、大分時間がかかったようです。
江戸期は、不動産という言葉も生まれていないころだ。


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