そば饅頭「布膳堂」

老主人

耶馬溪からの帰り道 筑後川ぞいに「布膳」の名を見つけた
日田の「布膳」はそば饅頭の老舗
そば饅頭は 日田出身の親父の好物
美味そうに饅頭をほうばる親父の顔が浮かぶ
今は仏壇のお供にする
国道沿い空き地に車をよせ店内に入った

店内に人の気配はない
陳列ケースの菓子箱は どれも色褪せている
鴨居には埃をかぶった菊紋の金杯と 色あせた賞状
明治神宮献上菓子とある

奥に進むと左手に作業場がみえた
「こんにちは!」奥へむけて二度声を張った
「はーぃ…」と返事
白衣にエプロン姿の老爺が奥から現れた

「十個ください…」
「はぃ…お待ちください」

老爺はゆっくりと廊下に腰をおろし
両手をついて注意深く土間に降りる
手を貸そうかと迷ったが思いとどまった

布膳堂

パック詰餡子

店内に目を移した
缶ジュースの冷蔵庫がある
Meitoか…懐かしいブランドだ
缶の横には 真空パックの餡子がふたつ
餡は既製品か…
今どき当たり前の話かもしれない
1パックで…饅頭何個分だろう

そうこうしてるうちに
饅頭の箱を手に主人が作業場から出てきた
箱の上に饅頭がひとつのっている
「はい…ひとつお上がりください」と
その饅頭を手渡してくれた
まだ温かい

ほっこり温かい

勘違い

礼を言って饅頭をひとくち…
薄皮の蕎麦の香りと
餡の上品な甘さが懐かしい

「おじさん 日田から毎日運んでるのですか」
「表の看板見てごらん」

言われるがままに店を出て看 板を見た…
そば饅頭 製造販売 「布膳堂」

あっ…店の名前から違う
うかつだった
…が面白くなってきた。

勘違いを詫び、ご主人に、改めて話しを聞いた
御とし88才…米寿
ここに店を出して60年

勝手な妄想…黒あざ

ご主人は日田布膳で10年ばかり修行をしたあと
28才で独立
日田から筑後川を少し下った杷木に出店
屋号は 布膳の許しを受け布膳堂とした

主人の顔には 大小の黒あざがいくつもある
餡をねる際 煮えたぎる餡が顔に跳ねた
袖で拭うのが精一杯 流水で冷すひまはない
一度練る手を止めると餡が焦げ ひと鍋ぶんの餡が台無しになる

夏は作業着の腕や胸にも 餡は飛んでくる
煮えたぎる餡が 皮膚に貼りつく熱さは想像を超える
火照る患部は痛さに変わる
練るたびに餡は飛び跳ね
体中に大小いくつもの火ぶくれができた
火ぶくれはやがて黒あざになった

修行10年
店を構えて60年
黒あざの数は老主人の歴史を物語っていた

饅頭職人

親父の話などして店を辞そうとすると
老爺は冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し僕に渡した

「また来てね…」と
礼を言い、店の外に出て戸を閉めようとすると
「また来てね…また来てよ」とくり返した

車を走らせながら
店の冷蔵庫にあった餡のことを思った
饅頭の餡は あの老主人が練ったものにちがいなく
それがあの饅頭職人の生き方なのだ

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