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大帝国の凋落をアナロジーに企業衰退・組織崩壊の基本原理を学ぶ

コテンラジオの「ケマル・アタテュルク」シリーズ、珍しく「アナロジーとしての学び」を推奨しており、実際「オスマン帝国の凋落」のプロセスが、アナロジーとして企業衰退、並びに組織崩壊への基本原理として普遍性と学びが深かったので、備忘録的にメモしておく。

「歴史」を安易にアナロジーとして援用する危険性

念の為こちらに最初に触れておく。実際コテンラジオの本シリーズ冒頭でもその点に触れているが、歴史からの学びは安易に目の前の社会やビジネスにおける「ソリューション」として援用されがちであるが、実際の歴史や現実が内包する個別性や複雑性を正確に把握することは困難であり、故に援用元と援用先の「前提条件」が違う限り、安易に歴史のアナロジーを現実社会やビジネスのソリューションとして活用することには危険性が伴う

これは歴史のみならず、構造的には「他社の事例」を参考に自社のソリューションに安易に転用する危険性と同義であり、特にビジネス領域における西洋崇拝がいまだに拍車をかけている。

例えば人事戦略一つとっても、このような「誤用」が散見されるので、自戒も込めてご留意頂きたい。

オスマン帝国とは

14~20世紀初頭まで存在した、現在のトルコ共和国アナトリア地方に建国されたイスラム教の大帝国。
アナトリアからバルカン半島、地中海にも進出し、領土を拡大。15世紀中頃にはビザンツ帝国(東ローマ帝国)を滅亡させ、第10代皇帝スレイマンが治める16世紀に最盛期を迎える。帝国の躍進は「オスマンの衝撃」と呼ばれ、西欧キリスト教世界に大きな脅威を与えた。
しかし、17世紀末からヨーロッパ諸国の侵攻、アラブ諸民族の自立などによって領土を縮小させ、次第に衰退。19世紀に近代化をめざす改革に失敗すると、挽回を図った第一次世界大戦では同盟国側に加わって敗北。1922年、トルコ革命によって600年あまり続いたオスマン帝国は滅亡した。

さて、それでは本題に。

オスマン帝国の凋落をアナロジーに学ぶ、企業衰退・組織崩壊における7つのボキャブラリー

以下、7つのボキャブラリーを軸にまとめたい。ここで言う「ボキャブラリー」とは、下記投稿のコンテキストで用いている。

"強みはやがて弱みになる"

《オスマン帝国における現象》
騎兵スタイルが強みだった故に、火砲の発達が遅れた。
強み・成功体験に固執する間に、競合国における火砲スタイル発達のキャッチアップが遅れ、オスマン帝国は致命的な技術革新への周回遅れとなった。

"モジュールレイヤーとOSレイヤー"

《オスマン帝国における現象》
火砲の発達は単なるモジュールレイヤーの技術革新ではなく、OSレイヤーでの大規模アップデートとなった。騎兵から火砲スタイルの移行は、自律分散型から近代的な中央集権型の組織マネジメントへの移行を促し、戦闘におけるカルチャーや組織・社会マネジメントスタイルレイヤーをも変革した。

このOSレイヤーのアップデートは同時多発的、かつ水面下でじわじわと進むため、客観的に認知がしずらく、気がついた頃には簡単に遅れを取り戻すことは不可能。当然、急いで火砲の導入というモジュールだけ適応しても、本質はOSレイヤーのアップデートなので戦闘力向上は限定的となる。

"ゲームルールのチェンジ"

《オスマン帝国における現象》
造船技術の発達により、陸路が中心だった移動や戦闘が海路や海戦に移行し「大航海時代」が到来。火砲の発達という一つの技術革新をトリガーとしたOSレイヤーのアップデートと同様に、陸路から海路への移行はゲームルールを劇的に変化させるに至った。
オスマン帝国は「タンジマート」によって近代西洋化を試みるが、以上の理由により失敗に終わる。水面下で進行するルールチェンジに気づけず、今まで強かった理由が全て弱みになる。

"内的均衡"

《オスマン帝国における現象》
多くの独裁国家・独裁スタイルはその極端な内的パワーバランスのアンバランスにより歴史的にみると長続きしない。長期的な安定する国家や組織は大抵場合、分散的に内的均衡している。つまり、中央集権と権力分散のバランスが絶妙に取れている時、組織や国家は安定する。

"革命のジレンマ"

《オスマン帝国における現象》
オスマン帝国は内的均衡をバランス良く保っていたため長期的に繁栄した。一方で、ゲームルールのチェンジが起きると内的均衡が「改革」を阻害する。これは内的に権力が均衡しているが故に、その均衡を崩すような極端な改革が「構造的に悪」になるから。この均衡状態においては、新しい勢力が強い改革のモチベーションを持たない限り切り崩せない。
長期政権とその衰退から革命が起きるときは内部からの新勢力台頭と突き上げが必要となる。オスマン帝国の例に漏れず、長期政権の江戸幕府を討伐した明治維新の武士革命、イギリスの議会政治、フランス革命時のブルジョワジーの勃興等は同じ構造となっている。

"外部ストーリーからの疎外"

《オスマン帝国における現象》
内部均衡のバランスを優先したり、内向きな政治行動が増えれば増えるほど外部ストーリーから疎外される。ゲームルールチェンジの兆候に鈍感になり、その間に競合はOSレイヤーでアップデートを進行し、今まで強みだったものは全て弱みとなり、場当たり的なモジュールのインストールでは太刀打ちできない致命的な遅れとなる。

つまり、内部のストーリーで完結しない「外部ストーリーを含めた内部ストーリー」を構築しないと滅びる兆候となる。

"発言権による萌芽"

《オスマン帝国における現象》
内政や改革が停滞し、かつ外部勢力が台頭している状況下で、中央権力が外部勢力に「意見を求める」動きが外部勢力を覚醒させる。中途半端に与えた発言権がトリガーとなり、外部勢力はさらに強く権益を自覚し、自覚に伴う権益や改革が起こらないフラストレーションがさらに外部からの改革圧力につながるという構造。
オスマン帝国のタンジマート、明治維新やフランス革命も「発言権による萌芽」があ改革のトリガーとなり、中央権力は自らの動きによって、打倒される新勢力に発言権を与え、改革の機運と実益を与えてしまう。

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