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「スタートアップの成長痛」では片付けられないもの。

スタートアップは成長する。
「成長が前提」なのがスタートアップである。

プロダクトがマーケットフィットしたら、あとはしばらく、
マネタイズは横に置いておいて、外部資金をテコに爆発的な採用と暴力的なマーケティングでサービスをグロースさせる。

組織は成長に合わせて様変わりする。
創業期のメンバーは「古参」と称され、組織の成長フェーズに合わせてより職能の細分化された専門能力の高い人材がニューカマーとして増殖する。
会社の成長スピードについていけない人材は淘汰され、残った古参も慣性に逆らう変化に抗いながら「カオス」の源泉となって組織問題は拡大する。

いわゆる
「スタートアップの成長痛」
として説明されるフェーズ論、組織構造論は概ねこんな感じで、成功したスタートアップ経営者の事後的な成長美談として語られることも多い。
そしてこの手の話は抽象化されサイエンスで解き明かされつつあるスタートアップの成長テンプレートに一般化され始めていると言ってもいい。

実際、海を渡ったシリコンバレーのテクノロジースタートアップの豊富なノウハウとして輸入されるものの多くにこの手の話は散見され、あたかもその「スタートアップの成長痛」を肯定的な既視感として乗り越えようとする場合が多いのではないかと思う。

個人的にこの「一般解」を真っ向から否定するつもりは無い。
膨大なスタートアップサンプルの成長フェーズにおける組織のメディカルチェックの結果は、最も確からしいこの現象を「成長痛」と名付けてスタートアップが急激な成長フェーズを乗り越えるためには必要な痛みとして肯定すること自体は、教科書的に言うと一定の助けとなる。

ただし、多くのスタートアップが成長する過程で向き合う組織上の「カオス」に対して、どのように向き合うかがその会社のカルチャーだ。
組織が持つカルチャーとは、その組織が何を信じて、何を心の拠り所にして歩んでいるかという志であり、道筋であり、想いである。

それは100社あれば100社異なり、「成長痛」という一般解を当てはめて画一的に解を導けば良いと言うものでは無いと思うのだ。

ひとつやるべきことはシンプルで、どんなに辛い組織上の成長痛も、その痛みから目をそらさず、蓋をせず、しっかり刻んてできた「想い」に寄り添うことだ。時に論理的に不合理な内容であったとしても、それが人間というもので、人間は論理の動物ではなく感情の動物であることに向き合わなければならない。

そうでなければ、人々の「想い」を束ねて、向かうべき方向に対して「生き物」である組織を統べることなど一生かかってもできないのではないか。事業やプロダクトの構造的な成長の賞味期限がますます短くなっていく中で、本質的に"カイシャ"をゴーイングコンサーンしたいのであれば、常に向き合い続けるべきは組織でありカルチャーであり、人々の情緒的な「想い」だ。

特に日本は「専門性」と「流動性」を前提とした健全な新陳代謝がフォーマット化された欧米とは、それこそ異なるカルチャーを良くも悪くも内包していることに疑いの余地は無い。この事実から目をそらして、輸入品のベストプラクティスをインストールしたところでそもそも体質が異なるのであれは拒絶反応を起こすだけだ。

当然これも日本的組織か、欧米的組織かの二元論で語り捨てるものではないし、だからこそ目の前の「想い」から目をそらさず、その唯一無二の組織成長フェーズにおける「特殊解」を求める努力を怠ってはいけないと思うに至る。

そろそろ成功者の美談だけを唯一の解のように崇めるのは辞めよう。

そろそろ過去の「いつか見た景色」を再現性のある経験として新しい環境にもノールックで適応するのは辞めよう。そしてそれはそもそも元カレの話を聞かされているようで今カレにとっては感情的に受け入れがたい。頭では分かっていても、身体が拒絶反応を起こすのだ。

時代は巡り、社会の価値観や文化も変わる。

内外で全てに変化が大きい時だからこそ、本来目指すべきビジョンとミッション、そして組織にしっかり目を凝らして、心を研ぎ澄まして、過去の経験を過大評価せず、他社の成功事例を鵜呑みにせず、目の前に起きている事に自分の目と心で向き合うことことそが、「スタートアップの成長痛」における真の処方箋となることを信じてやまない。

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