繫辭上伝(けいじじょうでん)【易経】~十翼~
このNOTEは原文(漢文)と書き下し文を確認したい時などに参考にしてもらえたらと思います。
修正&更新(2022/02/16)
十翼のなかのひとつ繫辭上伝(けいじじょうでん)の原文(漢文)と書き下し文です。
【第一章】
「天尊地卑。乾坤定矣。卑高以陳。貴賤位矣。動靜有常。剛柔斷矣。方以類聚。物以羣分。吉凶生矣。在天成象。在地成形。變化見矣。
是故剛柔相摩。八卦相盪。
鼓之以雷霆。潤之以風雨。日月運行。一寒一暑。乾道成男。坤道成女。
乾知大始。坤作成物。乾以易知。坤以簡能。
易則易知。簡則易從。易知則有親。易從則有功。有親則可久。有功則可大。可久則賢人之徳。可大則賢人之業。
易簡而天下之理得矣。天下之理得。而成位乎其中矣。」
「天(てん)は尊(とおと)く地(ち)は卑(ひく)くして、乾坤(けんこん)定(さだ)まる。卑高(ひこう)もって陳(つら)なりて、貴賤(きせん)位(くらい)す。動静(どうせい)常(つね)ありて、剛柔(ごうじゅう)断(わか)る。方(ほう)は類(るい)をもって聚(あつ)まり、物(もの)は羣(むれ)をもって分(わか)れて、吉凶(きっきょう)生(しょう)ず。天(てん)に在(あ)りては象(しょう)を成(な)し、地(ち)に在(あ)りては形(かたち)を成(な)して、変化(へんか)見(あら)わる。
この故(ゆえ)に剛柔(ごうじゅう)相(あ)い摩(ま)し、八卦(はっか)相(あ)い盪(うご)く。
これを鼓(こ)するに雷霆(らいてい)をもってし、これを潤(うるお)うに風雨(ふうう)をもってし、日月(ひつき)運行(うんこう)して、一(ひ)とたびは寒(さむ)く、一(ひ)とたびは暑(あつ)し。乾道(けんどう)は男(おとこ)を成(な)し、坤道(こんどう)は女(おんな)を成(な)す。
乾(けん)は大始(だいし)を知(つかさ)どり、坤(こん)は成物(せいぶつ)を作(な)す。乾(けん)は易(い)をもって知(つかさ)どり、坤(こん)は簡(かん)をもって能(よ)くす。
易(い)なれば知(し)り易(やす)く、簡(かん)なれば従(したが)い易(やす)し。知(し)り易(やす)ければ親(した)しみあり、従(したが)い易(やす)ければ功(こう)あり。親(した)しみあれば久(ひさ)しかるべく、功(こう)あれば大(だい)なるべし。久(ひさ)しかるべきは賢人(けんじん)の徳(とく)、大(だい)なるべきは賢人(けんじん)の業(ぎょう)なり。
易簡(いかん)にして天下(てんか)の理(り)得(え)たり。天下(てんか)の理(り)得(え)て位(くらい)をその中(なか)に成(な)す。」
(てんはとおとくちはひくくして、けんこんさだまる。ひこうもってつらなりて、きせんくらいす。どうせいつねありて、ごうじゅうわかる。ほうはるいをもってあつまり、ものはむれをもってわかれて、きっきょうしょうず。てんにありてはしょうをなし、ちにありてはかたちをなして、へんかあらわる。
このゆえにごうじゅうあいまし、はっかあいうごく。
これをこするにらいていをもってし、これをうるおうにふううをもってし、ひつきうんこうして、ひとたびはさむく、ひとたびはあつし。けんどうはおとこをなし、こんどうはおんなをなす。
けんはだいしをつかさどり、こんはせいぶつをなす。けんはいをもってつかさどり、こんはかんをもってよくす。
いなればしりやすく、かんなればしたがいやすし。しりやすければしたしみあり、したがいやすければこうあり。したしみあればひさしかるべく、こうあればだいなるべし。ひさしかるべきはけんじんのとく、だいなるべきはけんじんのぎょうなり。
いかんにしててんかのりえたり。てんかのりえてくらいをそのなかになす。)
【第二章】
「聖人設卦觀象。繋辭焉而明吉凶。剛柔相推而生變化。
是故吉凶者。失得之象也。悔吝者。憂虞之象也。變化者。進退之象也。剛柔者。晝夜之象也。六爻之動。三極之道也。
是故君子所居而安者。易之序也。所樂而玩者。爻之辭也。是故君子居則觀其象而玩其辭。動則觀其變而玩其占。是以自天祐之。吉无不利。」
「聖人(せいじん)は卦(か)を設(もう)けて象(しょう)を観(み)、辞(じ)を繋(か)けて吉凶(きっきょう)を明(あき)らかにす。剛柔(ごうじゅう)は相(あ)い推(お)して変化(へんか)を生(しょう)ず。
この故(ゆえ)に吉凶(きっきょう)とは失得(しっとく)の象(しょう)なり。悔吝(かいりん)とは憂虞(ゆうぐ)の象(しょう)なり。変化(へんか)とは進退(しんたい)の象(しょう)なり。剛柔(ごうじゅう)とは昼夜(ちゅうや)の象(しょう)なり。六爻(ろっこう)の動(うご)きは、三極(さんきょく)の道(みち)なり。
この故(ゆえ)に君子(くんし)の居(お)りて安(やす)んずるところのものは、易(えき)の序(じょ)なり。楽(たの)しんで玩(もてあそ)ぶところのものは、爻(こう)の辞(じ)なり。この故(ゆえ)に君子(くんし)は居(お)ればその象(しょう)を観(み)てその辞(じ)を玩(もてあそ)び、動(うご)けばその変(へん)を観(み)てその占(せん)を玩(もてあそ)ぶ。ここをもって天(てん)よりこれを祐(たす)け、吉(きち)にして利(よ)ろしからざるなし。」
(せいじんはかをもうけてしょうをみ、じをかけてきっきょうをあきらかにす。ごうじゅうはあいおしてへんかをしょうず。
このゆえにきっきょうとはしっとくのしょうなり。かいりんとはゆうぐのしょうなり。へんかとはしんたいのしょうなり。ごうじゅうとはちゅうやのしょうなり。ろっこうのうごきは、さんきょくのみちなり。
このゆえにくんしのおりてやすんずるところのものは、えきのじょなり。たのしんでもてあそぶところのものは、こうのじなり。このゆえにくんしはおればそのしょうをみてそのじをもてあそび、うごけばそのへんをみてそのせんをもてあそぶ。ここをもっててんよりこれをたすけ、きちにしてよろしからざるなし。)
【第三章】
「彖者。言乎象者也。爻者。言乎變者也。吉凶者。言乎其失得也。悔吝者。言乎其小疵也。无咎者。善補過也。
是故列貴賤者存乎位。齊小大者存乎卦。辯吉凶者存乎辭。憂悔吝者存乎介。震无咎者存乎悔。是故卦有小大。辭有險易。辭也者。各指其所之。」
「彖(たん)とは象(しょう)を言(い)うものなり。爻(こう)とは変(へん)を言(い)うものなり。吉凶(きっきょう)とはその失得(しっとく)を言(い)うなり。悔吝(かいりん)とはその小疵(しょうし)を言(い)うなり。咎(とが)なしとは善(よ)く過(あやま)ちを補(おぎな)うなり。
この故(ゆえ)に貴賤(きせん)を列(つら)ぬるものは位(くらい)に存(ぞん)し、小大(しょうだい)を斉(ひと)しくするは卦(か)に存(ぞん)し、吉凶(きっきょう)を弁(べん)ずるものは辞(じ)に存(ぞん)し、悔吝(かいりん)を憂(うれ)うるものは介(かい)に存(ぞん)し、震(うご)きて咎(とが)なきものは悔(くい)に存(ぞん)す。この故(ゆえ)に卦(か)に小大(しょうだい)あり、辞(じ)に険易(けんい)あり。辞(じ)なるものは各々(おのおの)その之(ゆ)くところを指(さ)す。」
(たんとはしょうをいうものなり。こうとはへんをいうものなり。きっきょうとはそのしっとくをいうなり。かいりんとはそのしょうしをいうなり。とがなしとはよくあやまちをおぎなうなり。
このゆえにきせんをつらぬるものはくらいにぞんし、しょうだいをひとしくするはかにぞんし、きっきょうをべんずるものはじにぞんし、かいりんをうれうるものはかいにぞんし、うごきてとがなきものはくいにぞんす。このゆえにかにしょうだいあり、じにけんいあり。じなるものはおのおのそのゆくところをさす。)
【第四章】
「易與天地準。故能彌綸天地之道。仰以觀於天文。俯以察於地理。是故知幽明之故。原始反終。故知死生之説。精氣爲物。遊魂爲變。是故知鬼神之情状。
與天地相似。故不違。知周乎萬物而道濟天下。故不過。旁行而不流。樂天知命。故不憂。安土敦乎仁。故能愛。
範圍天地之化而不過。曲成萬物而不遺。通乎晝夜之道而知。故神无方而易无體。」
「易(えき)は天地(てんち)と準(なぞら)う。故(ゆえ)に能(よ)く天地(てんち)の道(みち)を弥綸(びりん)す。仰(あお)いでもって天文(てんもん)を観(み)、俯(ふ)してもって地理(ちり)を察(さっ)す。この故(ゆえ)に幽明(ゆうめい)の故(こと)を知(し)る。始(はじ)めを原(たず)ね終(おわ)りに反(かえ)る。故(ゆえ)に死生(しせい)の説(せつ)を知(し)る。精気(せいき)は物(もの)を為(な)し、游魂(ゆうこん)は変(へん)を為(な)す。この故(ゆえ)に鬼神(きしん)の情状(じょうじょう)を知(し)る。
天地(てんち)と相(あ)い似(に)たり、故(ゆえ)に違(たが)わず。知(ち)万物(ばんぶつ)に周(あまね)くして道(みち)天下(てんか)を済(すく)う。故(ゆえ)に過(あやま)たず。旁(あまね)く行(い)きて流(なが)れず、天(てん)を楽(たの)しみ命(めい)を知(し)る。故(ゆえ)に憂(うれ)えず。土(つち)に安(やす)んじ仁(じん)に敦(あつ)し。故(ゆえ)に能(よ)く愛(あい)す。
天地(てんち)の化(か)を範囲(はんい)して過(すご)さず。万物(ばんぶつ)を曲成(きょくせい)して遺(のこ)さず。昼夜(ちゅうや)の道(みち)を通(つう)じて知(し)る。故(ゆえ)に神(かみ)は方(ほう)なくして易(えき)は体(たい)なし。」
(えきはてんちとなぞらう。ゆえによくてんちのみちをびりんす。あおいでもっててんもんをみ、ふしてもってちりをさっす。このゆえにゆうめいのことをしる。はじめをたずねおわりにかえる。ゆえにしせいのせつをしる。せいきはものをなし、ゆうこんはへんをなす。このゆえにきしんのじょうじょうをしる。
てんちとあいにたり、ゆえにたがわず。ちばんぶつにあまねくしてみちてんかをすくう。ゆえにあやまたず。あまねくいきてながれず、てんをたのしみめいをしる。ゆえにうれえず。つちにやすんじじんにあつし。ゆえによくあいす。
てんちのかをはんいしてすごさず。ばんぶつをきょくせいしてのこさず。ちゅうやのみちをつうじてしる。ゆえにかみはほうなくしてえきはたいなし。)
【第五章】
「一陰一陽之謂道。繼之者善也、成之者性也。仁者見之謂之仁。知者見之謂之知。百姓日用而不知。故君子之道鮮矣。
顯諸仁。藏諸用。鼓萬物而不與聖人同憂。盛德大業至矣哉。
富有之謂大業。日新之謂盛德。
生生之謂易。成象之謂乾。效法之謂坤。極數知來之謂占。通變之謂事。陰陽不測之謂神。」
「一陰(いちいん)一陽(いちよう)これを道(みち)と謂(い)う。これを継(つ)ぐものは善(ぜん)なり。これを成(な)すものは性(せい)なり。仁者(じんしゃ)はこれを見(み)てこれを仁(じん)と謂(い)う。知者(ちしゃ)はこれを見(み)てこれを知(ち)と謂(い)う。百姓(ひゃくせい)は日(ひ)に用(もち)いて知(し)らず。故(ゆえ)に君子(くんし)の道(みち)は鮮(すくな)し。
これを仁(じん)に顕(あら)わし、これを用(よう)に蔵(ぞう)し、万物(ばんぶつ)を鼓(こ)して聖人(せいじん)と憂(うれ)いを同(おな)じくせず。成徳(せいとく)大業(たいぎょう)至(いた)れるかな。
富有(ふゆう)これを大業(たいぎょう)と謂(い)う。日新(にっしん)これを成徳(せいとく)と謂(い)う。
生生(せいせい)これを易(えき)と謂(い)う。象(しょう)を成(な)すこれを乾(けん)と謂(い)う。法(ほう)を効(いた)すこれを坤(こん)と謂(い)う。数(すう)を極(きわ)め来(らい)を知(し)るこれを占(せん)と謂(い)う。変(へん)に通(つう)ずるこれを事(こと)と謂(い)う。陰陽(いんよう)測(はか)られざるこれを神(しん)と謂(い)う。」
(いちいんいちようこれをみちという。これをつぐものはぜんなり。これをなすものはせいなり。じんしゃはこれをみてこれをじんという。ちしゃはこれをみてこれをちという。ひゃくせいはひにもちいてしらず。ゆえにくんしのみちはすくなし。
これをじんにあらわし、これをようにぞうし、ばんぶつをこしてせいじんとうれいをおなじくせず。せいとくたいぎょういたれるかな。
ふゆうこれをたいぎょうという。にっしんこれをせいとくという。
せいせいこれをえきという。しょうをなすこれをけんという。ほうをいたすこれをこんという。すうをきわめらいをしるこれをせんという。へんにつうずるこれをことという。いんようはかられざるこれをしんという。)
【第六章】
「夫易廣矣大矣。以言乎遠則不禦。以言乎邇則靜而正。以言乎天地之間則備矣。
夫乾其靜也專。其動也直。是以大生焉。夫坤其靜也翕。其動也闢。是以廣生焉。
廣大配天地。變通配四時。陰陽之義配日月。易簡之善配至德。」
「夫(そ)れ易(えき)は広(ひろ)し、大(おお)いなり。もって遠(とお)きを言(い)えば禦(とど)まらず、もって邇(ちか)きを言(い)えば静(しず)かにして正(ただ)しく、もって天地(てんち)の間(あいだ)を言(い)えば備(そな)わる。
夫(そ)れ乾(けん)はその静(しず)かなるや専(もっぱ)らにして、その動(うご)くや直(なお)し。ここをもって大(おお)いに生(しょう)ず。夫(そ)れ坤(こん)はその静(しず)かなるや翕(あ)い、その動(うご)くや闢(ひら)く。ここをもって広(ひろ)く生(しょう)ず。
広大(こうだい)は天地(てんち)に配(はい)し、変通(へんつう)は四時(しじ)に配(はい)し、陰陽(いんよう)の義(ぎ)は日月(ひつき)に配(はい)し、易簡(いかん)の善(ぜん)は至徳(しとく)に配(はい)す。」
(それえきはひろし、おおいなり。もってとおきをいえばとどまらず、もってちかきをいえばしずかにしてただしく、もっててんちのあいだをいえばそなわる。
それけんはそのしずかなるやもっぱらにして、そのうごくやなおし。ここをもっておおいにしょうず。それこんはそのしずかなるやあい、そのうごくやひらく。ここをもってひろくしょうず。
こうだいはてんちにはいし、へんつうはしじにはいし、いんようのぎはひつきにはいし、いかんのぜんはしとくにはいす。)
【第七章】
「子曰。易其至矣乎。夫易。聖人所以崇德而廣業也。知崇禮卑。崇效天。卑法地。天地設位。而易行乎其中矣。成性存存。道義之門。
聖人有以見天下之賾、而擬諸其形容。象其物宜。是故謂之象。聖人有以見天下之動。而觀其會通。以行其典禮。繋辭焉以斷其吉凶。是故謂之爻。
言天下之至賾而不可惡也。言天下之至動而不可亂也。擬之而後言。議之而後動。擬議以成其變化。」
「子(し)曰(いわ)く、易(えき)は其(そ)れ至(いた)れるかな。夫(そ)れ易(えき)は、聖人(せいじん)の徳(とく)を崇(たか)くし業(ぎょう)を広(ひろ)むる所以(ゆえん)なり。知(ち)は崇(たか)く礼(れい)は卑(ひく)し。崇(たか)きは天(てん)に効(なら)い、卑(ひく)きは地(ち)に法(のっと)る。天地(てんち)位(くらい)を設(もう)けて、易(えき)その中(なか)に行(おこ)なわる。性(せい)を成(な)し存(ぞん)すべきを存(ぞん)するは、道義(どうぎ)の門(もん)なり。
聖人(せいじん)もって天下(てんか)の賾(さく)を見(み)ることありて、これをその形容(けいよう)に擬(なぞら)え、その物(もの)宜(よろしき)に象(かたど)る。この故(ゆえ)にこれを象(しょう)と謂(い)う。聖人(せいじん)もって天下(てんか)の動(どう)を見(み)ることありて、その会通(かいつう)を観(み)、もってその典礼(てんれい)を行(おこ)ない、辞(じ)を繋(か)けてもってその吉凶(きっきょう)を断(だん)ず。この故(ゆえ)にこれを爻(こう)と謂(い)う。
天下(てんか)の至賾(しさく)を言(い)えども悪(にく)むべからざるなり。天下(てんか)の至動(しどう)を言(い)えども乱(みだ)るべからざるなり。これを擬(なぞら)えて後(のち)に言(い)い、これを議(はか)りて後(のち)に動(うご)き、擬議(ぎぎ)してもってその変化(へんか)を成(な)す。」
(しいわく、えきはそれいたれるかな。それえきは、せいじんのとくをたかくしぎょうをひろむるゆえんなり。ちはたかくれいはひくし。たかきはてんにならい、ひくきはちにのっとる。てんちくらいをもうけて、えきそのなかにおこなわる。せいをなしぞんすべきをぞんするは、どうぎのもんなり。
せいじんもっててんかのさくをみることありて、これをそのけいようになぞらえ、そのものよろしきにかたどる。このゆえにこれをしょうという。せいじんもっててんかのどうをみることありて、そのかいつうをみ、もってそのてんれいをおこない、じをかけてもってそのきっきょうをだんず。このゆえにこれをこうという。
てんかのしさくをいえどもにくむべからざるなり。てんかのしどうをいえどもみだるべからざるなり。これをなぞらえてのちにいい、これをはかりてのちにうごき、ぎぎしてもってそのへんかをなす。)
【第八章】
「鳴鶴在陰。其子和之。我有好爵。吾與爾靡之。子曰。君子居其室。出其言。善則千里之外應之。況其邇者乎。居其室。出其言。不善則千里之外違之。況其邇者乎。言出乎身。加乎民、行發乎邇。見乎遠。言行君子之樞機。樞機之發、榮辱之主也。言行。君子所以動天地也。可不愼乎。
同人先號咷而後笑。子曰。君子之道。或出或處。或默或語。二人同心。其利斷金。同心之言。其臭如蘭。
初六。藉用白茅。无咎。子曰。苟錯諸地而可矣。藉之用茅。何咎之有。愼之至也。夫茅之爲物薄。而用可重也。愼斯術也以往。其无所失矣。
勞謙君子。有終吉。子曰。勞而不伐。有功而不德。厚之至也。語以其功下人者也。德言盛。禮言恭。謙也者。致恭以存其位者也。
亢龍有悔。子曰。貴而无位。高而无民。賢人在下位而无輔。是以動而有悔也。
不出戸庭。无咎。子曰。亂之所生也。則言語以爲階。君不密則失臣。臣不密則失身。幾事不密則害成。是以君子愼密而不出也。
子曰。作易者其知盜乎。易曰負且乘。致寇至。負也者。小人之事也。乘也者。君子之器也。小人而乘君子之器。盜思奪之矣。上慢下暴。盜思伐之矣。慢藏誨盜、冶容誨淫。易曰負且乘。致寇至。盜之招也。」
「鳴鶴(めいかく)陰(いん)に在(あ)り、その子(こ)これに和(わ)す。我(われ)に好爵(こうしょく)あり、吾(われ)爾(なんじ)とこれを靡(とも)にす。子(し)曰(いわ)く、君子(くんし)その室(むろ)に居(お)りてその言(げん)を出(い)だす。善(よ)ければ千里(せんり)の外(ほか)もこれに応(おう)ず。いわんやその邇(ちか)き者(もの)をや。その室(むろ)に居(お)りてその言(げん)を出(い)だす。善(よ)からざれば千里(せんり)の外(ほか)もこれに違(たご)う。いわんやその邇(ちか)き者(もの)をや。言(げん)は身(み)に出(い)でて民(たみ)に加(くわ)わり、行(おこ)ないは邇(ちか)きに発(はっ)して遠(とお)きに見(あら)わる。言行(げんぎょう)は君子(くんし)の枢機(すうき)なり。枢機(すうき)の発(はつ)は、栄辱(えいじょく)の主(しゅ)なり。言行(げんぎょう)は君子(くんし)の天地(てんち)を動(うご)かす所以(ゆえん)なり。慎(つつし)まざるべけんや。
人(ひと)に同(おな)じうするに先(さき)には号(な)き咷(さけ)び後(のち)には笑(わら)う。子(し)曰(いわ)く、君子(くんし)の道(みち)、あるいは出(い)であるいは処(お)り、あるいは黙(もく)しあるいは語(かた)る。二人(ふたり)心(こころ)を同(おな)じくすれば、その利(するど)きこと金(きん)を断(た)つ。同心(どうしん)の言(げん)は、その香(かおり)蘭(らん)のごとし。
初六(しょりく)。藉(し)くに白茅(はくぼう)を用(もち)う。咎(とが)なし。子(し)曰(いわ)く、苟(いや)しくもこれを地(ち)に錯(お)きて可(か)なり。これを藉(し)くに茅(かや)を用(もち)う。何(なん)の咎(とが)かこれあらん。慎(つつし)むの至(いた)りなり。それ茅(かや)の物(もの)たる薄(うす)けれど、用(よう)は重(おも)かるべきなり。この術(じゅつ)を慎(つつし)みてもって往(ゆ)けば、それ失(しっ)するところなからん。
労謙(ろうけん)君子(くんし)。終(おわ)りて吉(きち)なり。子(し)曰(いわ)く、労(ろう)して伐(ほこ)らず、功(こう)ありて徳(とく)とせず、厚(あつ)きの至(いた)りなり。その功(こう)をもって人(ひと)に下(くだ)る者(もの)を語(い)えるなり。徳(とく)には盛(せい)を言(い)い、礼(れい)には恭(きょう)を言(い)う。謙(けん)とは恭(きょう)を致(いた)してもってその位(くらい)を存(ぞん)する者(もの)なり。
亢竜(こうりょう)悔(くい)あり。子(し)曰(いわ)く、貴(たか)くして位(くらい)なく、高(たか)くして民(たみ)なく、賢人(けんじん)下位(かい)に在(あ)りて輔(たす)くるなし。ここをもって動(うご)きて悔(くい)あるなり。
戸庭(こてい)を出(い)でず。咎(とが)なし。子(し)曰(いわ)く、乱(らん)の生(しょう)ずるところは、則(すなわ)ち言語(げんご)もって階(かい)を為(な)す。君(くん)密(みつ)ならざれば臣(しん)を失(うしな)い、臣(しん)密(みつ)ならざれば身(み)を失(うしな)い、幾事(きじ)密(みつ)ならざれば害(がい)成(な)る。ここをもって君子(くんし)は慎密(しんみつ)にして出(いだ)さざるなり。
子(し)曰(いわ)く、易(えき)を作(つく)る者(もの)は、それ盗(とう)を知(し)れるか。易(えき)に曰(いわ)く、負(お)い且(か)つ乗(の)り、寇(あだ)の至(いた)るを致(いた)すと。負(お)うとは、小人(しょうじん)の事(こと)なり。乗(じょう)とは、君子(くんし)の器(うつわ)なり。小人(しょうじん)にして君子(くんし)の器(うつわ)に乗(の)れば、盗(とう)これを奪(うば)わんことを思(おも)う。上(かみ)慢(まん)にして下(しも)暴(ぼう)なれば、盗(とう)これを伐(う)たんことを思(おも)う。蔵(おさ)むることを慢(おろそ)かにすれば盗(とう)を誨(おし)え、冶容(やよう)は淫(いん)を誨(おし)う。易(えき)に曰(いわ)く、負(お)い且(か)つ乗(の)り、寇(あだ)の至(いた)るを致(いた)すとは、盗(とう)をこれ招(まね)くなり。」
(めいかくいんにあり、そのここれにわす。われにこうしょくあり、われなんじとこれをともにす。しいわく、くんしそのむろにおりてそのげんをいだす。よければせんりのほかもこれにおうず。いわんやそのちかきものをや。そのむろにおりてそのげんをいだす。よからざればせんりのほかもこれにたごう。いわんやそのちかきものをや。げんはみにいでてたみにくわわり、おこないはちかきにはっしてとおきにあらわる。げんぎょうはくんしのすうきなり。すうきのはつは、えいじょくのしゅなり。げんぎょうはくんしのてんちをうごかすゆえんなり。つつしまざるべけんや。
ひとにおなじうするにさきにはなきさけびのちにはわらう。しいわく、くんしのみち、あるいはいであるいはおり、あるいはもくしあるいはかたる。ふたりこころをおなじくすれば、そのするどきこときんをたつ。どうしんのげんは、そのかおりらんのごとし。
しょりく。しくにはくぼうをもちう。とがなし。しいわく、いやしくもこれをちにおきてかなり。これをしくにかやをもちう。なんのとがかこれあらん。つつしむのいたりなり。それかやのものたるうすけれど、ようはおもかるべきなり。このじゅつをつつしみてもってゆけば、それしっするところなからん。
ろうけんくんし。おわりてきちなり。しいわく、ろうしてほこらず、こうありてとくとせず、あつきのいたりなり。そのこうをもってひとにくだるものをいえるなり。とくにはせいをいい、れいにはきょうをいう。けんとはきょうをいたしてもってそのくらいをぞんするものなり。
こうりょうくいあり。しいわく、たかくしてくらいなく、たかくしてたみなく、けんじんかいにありてたすくるなし。ここをもってうごきてくいあるなり。
こていをいでず。とがなし。しいわく、らんのしょうずるところは、すなわちげんごもってかいをなす。くんみつならざればしんをうしない、しんみつならざればみをうしない、きじみつならざればがいなる。ここをもってくんしはしんみつにしていださざるなり。
しいわく、えきをつくるものは、それとうをしれるか。えきにいわく、おいかつのり、あだのいたるをいたすと。おうとは、しょうじんのことなり。じょうとは、くんしのうつわなり。しょうじんにしてくんしのうつわにのれば、とうこれをうばわんことをおもう。かみまんにしてしもぼうなれば、とうこれをうたんことをおもう。おさむることをおろそかにすればとうをおしえ、やようはいんをおしう。えきにいわく、おいかつのり、あだのいたるをいたすとは、とうをこれまねくなり。)
【第九章】
「天一地二。天三地四。天五地六。天七地八。天九地十。天數五。地數五。五位相得而各有合。天數二十有五。地數三十。凡天地之數五十有五。此所以成變化而行鬼神也。
大衍之數五十。其用四十有九。分而爲二以象兩。掛一以象三。揲之以四。以象四時。歸奇於扐以象閏。五歳有再閏。故再扐而後掛。
乾之策二百一十有六。坤之策百四十有四。凡三百有六十。當期之日。二篇之策。萬有一千五百二十。當萬物之數也。
是故四營而成易。十有八變而成卦。八卦而小成。引而伸之。觸類而長之。天下之能事畢矣。
顯道神德行。是故可與酬酢。可與祐神矣。子曰。知變化之道者。其知神之所爲乎。」
「天(てん)一(いち)地(ち)二(に)、天(てん)三(さん)地(ち)四(よん)、天(てん)五(ご)地(ち)六(ろく)、天(てん)七(なな)地(ち)八(はち)、天(てん)九(きゅう)地(ち)十(じゅう)。天(てん)の数(すう)五(ご)、地(ち)の数(すう)五(ご)。五位(ごい)相(あい)得(え)て各々(おのおの)合(あ)うことあり。天(てん)の数(すう)二十有五(にじゅうゆうご)、地(ち)の数(すう)三十(さんじゅう)。およそ天地(てんち)の数(すう)五十有五(ごじゅうゆうご)。これ変化(へんか)を成(な)し鬼神(きしん)を行(おこ)なう所以(ゆえん)なり。
大衍(だいえん)の数(すう)五十(ごじゅう)、その用(よう)四十有九(よんじゅうゆうきゅう)。分(わか)ちて二(に)となしもって両(りょう)に象(かたど)る。一(いち)を掛(か)けてもって三(さん)に象(かたど)る。これを揲(かぞ)うるに四(よん)をもってし、もって四時(しじ)に象(かたど)る。奇(き)を扐(ろく)に帰(き)してもって閏(じゅん)に象(かたど)る。五歳(ごさい)にして再閏(さいじゅん)あり、故(ゆえ)に再扐(さいろく)して後(のち)に掛(か)く。
乾(けん)の策(さく)二百一十有六(にひゃくいちじゅうゆうろく)、坤(こん)の策(さく)百四十有四(ひゃくよんじゅうゆうよん)、およそ三百有六十(さんびゃくゆうろくじゅう)、期(き)の日(ひ)に当(あた)る。二篇(にへん)の策(さく)は万有(ばんゆう)一千五百二十(いっせんごひゃくにじゅう)、万物(ばんぶつ)の数(すう)に当(あた)る。
この故(ゆえ)に四営(しえい)して易(えき)を成(な)し、十有八(じゅうゆうはち)変(へん)にして卦(か)を成(な)す。八卦(はっか)にして小成(しょうせい)し、引(ひ)きてこれを伸(の)べ、類(るい)に触(ふ)れてこれを長(なが)くすれば、天下(てんか)の能事畢(のうじおわ)る。
道(みち)を顕(あきら)かにして徳行(とくぎょう)を神(しん)にす。この故(ゆえ)にともに酬酢(しゅうさく)すべく、神(しん)とともに祐(たす)くべし。子(し)曰(いわ)く、変化(へんか)の道(みち)を知(し)る者(もの)は、それ神(しん)の為(な)すところを知(し)るか。」
(てんいちちに、てんさんちよん、てんごちろく、てんななちはち、てんきゅうちじゅう。てんのすうご、ちのすうご。ごいあいえておのおのあうことあり。てんのすうにじゅうゆうご、ちのすうさんじゅう。およそてんちのすうごじゅうゆうご。これへんかをなしきしんをおこなうゆえんなり。
だいえんのすうごじゅう、そのようよんじゅうゆうきゅう。わかちてにとなしもってりょうにかたどる。いちをかけてもってさんにかたどる。これをかぞうるによんをもってし、もってしじにかたどる。きをろくにきしてもってじゅんにかたどる。ごさいにしてさいじゅんあり、ゆえにさいろくしてのちにかく。
けんのさくにひゃくいちじゅうゆうろく、こんのさくひゃくよんじゅうゆうよん、およそさんびゃくゆうろくじゅう、きのひにあたる。にへんのさくはばんゆういっせんごひゃくにじゅう、ばんぶつのすうにあたる。
このゆえにしえいしてえきをなし、じゅうゆうはちへんにしてかをなす。はっかにしてしょうせいし、ひきてこれをのべ、るいにふれてこれをながくすれば、てんかののうじおわる。
みちをあきらかにしてとくぎょうをしんにす。このゆえにともにしゅうさくすべく、しんとともにたすくべし。しいわく、へんかのみちをしるものは、それしんのなすところをしるか。)
【第十章】
「易有聖人之道四焉。以言者尚其辭。以動者尚其變。以制器者尚其象。以ト筮者尚其占。
是以君子將有爲也。將有行也。問焉以言。其受命也如響。无有遠近幽深。遂知來物。非天下之至精。其敦能與於此。
參伍以變。錯綜其數。通其變。遂成天地之文。極其數、遂定天下之象。非天下之至變。其敦能與於此。
易无思也。无爲也。寂然不動。感而遂通天下之故。非天下之至神。其敦能與於此。
夫易。聖人之所極深而研幾也。唯深也。故能通天下之志。唯幾也。故能成天下之務。唯神也。故不疾而速。不行而至。子曰。易有聖人之道四焉者。此之謂也。」
「易(えき)に聖人(せいじん)の道(みち)四(よっ)つあり。もって言(い)う者(もの)はその辞(じ)を尚(たっと)び、もって動(うご)く者(もの)はその変(へん)を尚(たっと)び、もって器(うつわ)を制(せい)する者(もの)はその象(しょう)を尚(たっと)び、もってト筮(ぼくぜい)する者(もの)はその占(せん)を尚(たっと)ぶ。
ここをもって君子(くんし)のまさに為(な)すあらんとし、まさに行(おこ)なうあらんとするや、焉(これ)に問(と)いてもって言(い)う。その命(めい)を受(う)くるや響(ひびき)のごとし。遠近(えんきん)幽深(ゆうしん)あることなく、遂(つい)に来物(らいぶつ)を知(し)る。天下(てんか)の至精(しせい)にあらざれば、それだれかよくこれに与(あずか)らん。
参伍(さんご)してもって変(へん)じ、その数(すう)を錯綜(さくそう)す。その変(へん)に通(つう)じ、遂(つい)に天地(てんち)の文(あや)を成(な)す。その数(すう)を極(きわ)め、遂(つい)に天下(てんか)の象(しょう)を定(さだ)む。天下(てんか)の至変(しへん)にあらざれば、それたれかよくこれに与(あずか)らん。
易(えき)は思(おも)うことなきなり。為(な)すことなきなり。寂然(せきぜん)として動(うご)かず。感(かん)じて遂(つい)に天下(てんか)の故(こと)に通(つう)ず。天下(てんか)の至神(ししん)にあらざれば、それたれかよくこれに与(あずか)らん。
それ易(えき)は聖人(せいじん)の深(ふか)きを極(きわ)め幾(き)を研(みが)く所以(ゆえん)なり。ただ深(ふか)きなり、故(ゆえ)によく天下(てんか)の志(こころざし)に通(つう)ず。ただ幾(き)なり、故(ゆえ)によく天下(てんか)の務(つと)めを成(な)す。ただ神(しん)なり、故(ゆえ)に疾(と)からずして速(すみや)かに、行(い)かずして至(いた)る。子(し)曰(いわ)く、易(えき)に聖人(せいじん)の道(みち)四(よん)ありとは、これをこれ謂(い)うなり。」
(えきにせいじんのみちよっつあり。もっていうものはそのじをたっとび、もってうごくものはそのへんをたっとび、もってうつわをせいするものはそのしょうをたっとび、もってぼくぜいするものはそのせんをたっとぶ。
ここをもってくんしのまさになすあらんとし、まさにおこなうあらんとするや、これにといてもっていう。そのめいをうくるやひびきのごとし。えんきんゆうしんあることなく、ついにらいぶつをしる。てんかのしせいにあらざれば、それだれかよくこれにあずからん。
さんごしてもってへんじ、そのすうをさくそうす。そのへんにつうじ、ついにてんちのあやをなす。そのすうをきわめ、ついにてんかのしょうをさだむ。てんかのしへんにあらざれば、それたれかよくこれにあずからん。
えきはおもうことなきなり。なすことなきなり。せきぜんとしてうごかず。かんじてついにてんかのことにつうず。てんかのししんにあらざれば、それたれかよくこれにあずからん。
それえきはせいじんのふかきをきわめきをみがくゆえんなり。ただふかきなり、ゆえによくてんかのこころざしにつうず。ただきなり、ゆえによくてんかのつとめをなす。ただしんなり、ゆえにとからずしてすみやかに、いかずしていたる。しいわく、えきにせいじんのみちよんありとは、これをこれいうなり。)
【第十一章】
「子曰。夫易何爲者也。夫易開物成務。冒天下之道。如斯而已者也。是故聖人以通天下之志。以定天下之業。以斷天下之疑。
是故蓍之德。圓而神。卦之德。方以知。六爻之義。易以貢。聖人以此洗心。退藏於密。吉凶與民同患。神以知來。知以藏往。其敦能與此哉。古之聰明叡知。神武而不殺者乎。
是以明於天之道。而察於民之故。是興神物以前民用。聖人以此齊戒。以神明其德夫。
是故闔戸謂之坤。闢戸謂之乾。一闔一闢謂之變。往來不窮謂之通。見乃謂之象。形乃謂之器。制而用之謂之法。利用出入民咸用之謂之神。
是故易有太極。是生兩儀。兩儀生四象。四象生八卦。八卦定吉凶。吉凶生大業。
是故法象莫大乎天地。變通莫大乎四時。縣象著明莫大乎日月。崇高莫大乎富貴。備物致用。立成器以爲天下利。莫大乎聖人。探賾索隱。鉤深致遠。以定天下之吉凶。成天下之亹亹者。莫大乎蓍龜。
是故天生神物。聖人則之。天地變化。聖人效之。天垂象見吉凶。聖人象之。河出圖。洛出書。聖人則之。易有四象。所以示也。繋辭焉。所以告也。定之以吉凶。所以斷也。」
「子(し)曰(いわ)く、それ易(えき)は何(なに)する者(もの)ぞ。それ易(えき)は物(もの)を開(ひら)き務(つと)めを成(な)し、天下(てんか)の道(みち)を冒(おお)う。かくのごときのみなるものなり。この故(ゆえ)に聖人(せいじん)はもって天下(てんか)の志(こころざし)に通(つう)じ、もって天下(てんか)の業(ぎょう)を定(さだ)め、もって天下(てんか)の疑(うたが)いを断(だん)ず。
この故(ゆえ)に蓍(し)の徳(とく)は、円(えん)にして神(しん)なり。卦(か)の徳(とく)は、方(ほう)にしてもって知(ち)なり。六爻(ろっこう)の義(ぎ)は、易(かわ)りてもって貢(つ)ぐ。聖人(せいじん)これをもって心(こころ)を洗(あら)い、退(しりぞ)きて密(みつ)に蔵(かく)れ、吉凶(きっきょう)民(たみ)と患(うれ)いを同(おな)じくす。神(しん)はもって来(らい)を知(し)り、知(ち)はもって往(おう)を蔵(おさ)む。それたれかよくこれに与(あずか)らんや。古(いにしえ)の聡明叡智(そうめいえいち)、神武(じんぶ)にして殺(ころ)さざる者(もの)か。
ここをもって天(てん)の道(みち)を明(あき)らかにして、民(たみ)の故(こと)を察(さっ)し、ここに神物(しんぶつ)を興(おこ)してもって民(たみ)用(よう)に前(さき)だつ。聖人(せいじん)はこれをもって斉戒(さいかい)し、もってその徳(とく)を神明(しんめい)にするか。
この故(ゆえ)に戸(と)を闔(とざ)すこれを坤(こん)と謂(い)い、戸(と)を闢(ひら)くこれを乾(けん)と謂(い)い、一闔一闢(いっこういっぺき)これを変(へん)と謂(い)い、往来(おうらい)窮(きわ)まらざるこれを通(つう)と謂(い)い、見(あら)わるるはすなわちこれを象(しょう)と謂(い)い、形(かたち)あるはすなわちこれを器(うつわ)と謂(い)い、制(せい)してこれを用(もち)うるはこれを法(ほう)と謂(い)い、利用(りよう)出入(しゅつにゅう)して民(たみ)みなこれを用(もち)うるはこれを神(しん)と謂(い)う。
この故(ゆえ)に易(えき)に太極(たいきょく)あり。これ両儀(りょうぎ)を生(しょう)ず。両儀(りょうぎ)は四象(ししょう)を生(しょう)じ、四象(ししょう)は八卦(はっか)を生(しょう)ず。八卦(はっか)は吉凶(きっきょう)を定(さだ)め、吉凶(きっきょう)は大業(たいぎょう)を生(しょう)ず。
この故(ゆえ)に法象(ほうしょう)は天地(てんち)より大(だい)なるはなく、変通(へんつう)は四時(しじ)より大(だい)なるはなく、県象(けんしょう)の著明(ちょめい)なるは日月(ひつき)より大(だい)なるはなく、崇高(すうこう)は富貴(ふうき)より大(だい)なるはなし。物(もの)を備(そな)え用(よう)を致(いた)し、成器(せいき)を立(た)ててもって天下(てんか)の利(り)を為(な)すは、聖人(せいじん)より大(だい)なるはなし。賾(さく)を探(さぐ)り隠(いん)を索(もと)め、深(ふか)きを鉤(と)り遠(とお)きを致(いた)し、もって天下(てんか)の吉凶(きっきょう)を定(さだ)め、天下(てんか)の亹亹(びび)を成(な)す者(もの)は、蓍亀(しき)より大(だい)なるはなし。
この故(ゆえ)に天(てん)、神物(しんぶつ)を生(しょう)じて、聖人(せいじん)これに則(のっと)る。天地(てんち)変化(へんか)して、聖人(せいじん)これに効(なら)う。天象(てんしょう)を垂(た)れ吉凶(きっきょう)を見(しめ)して、聖人(せいじん)これに象(かたど)る。河図(かと)を出(だ)し、洛書(らくしょ)を出(だ)して、聖人(せいじん)これに則(のっと)る。易(えき)に四象(ししょう)あるは、示(しめ)す所以(ゆえん)なり。辞(じ)を繋(か)くるは、告(つ)ぐる所以(ゆえん)なり。これを定(さだ)むるに吉凶(きっきょう)をもってするは、断(だん)ずる所以(ゆえん)なり。」
(しいわく、それえきはなにするものぞ。それえきはものをひらきつとめをなし、てんかのみちをおおう。かくのごときのみなるものなり。このゆえにせいじんはもっててんかのこころざしにつうじ、もっててんかのぎょうをさだめ、もっててんかのうたがいをだんず。
このゆえにしのとくは、えんにしてしんなり。かのとくは、ほうにしてもってちなり。ろっこうのぎは、かわりてもってつぐ。せいじんこれをもってこころをあらい、しりぞきてみつにかくれ、きっきょうたみとうれいをおなじくす。しんはもってらいをしり、ちはもっておうをおさむ。それたれかよくこれにあずからんや。いにしえのそうめいえいち、じんぶにしてころさざるものか。
ここをもっててんのみちをあきらかにして、たみのことをさっし、ここにしんぶつをおこしてもってたみようにさきだつ。せいじんはこれをもってさいかいし、もってそのとくをしんめいにするか。
このゆえにとをとざすこれをこんといい、とをひらくこれをけんといい、いっこういっぺきこれをへんといい、おうらいきわまらざるこれをつうといい、あらわるるはすなわちこれをしょうといい、かたちあるはすなわちこれをうつわといい、せいしてこれをもちうるはこれをほうといい、りようしゅつにゅうしてたみみなこれをもちうるはこれをしんという。
このゆえにえきにたいきょくあり。これりょうぎをしょうず。りょうぎはししょうをしょうじ、ししょうははっかをしょうず。はっかはきっきょうをさだめ、きっきょうはたいぎょうをしょうず。
このゆえにほうしょうはてんちよりだいなるはなく、へんつうはしじよりだいなるはなく、けんしょうのちょめいなるはひつきよりだいなるはなく、すうこうはふうきよりだいなるはなし。ものをそなえようをいたし、せいきをたててもっててんかのりをなすは、せいじんよりだいなるはなし。さくをさぐりいんをもとめ、ふかきをとりとおきをいたし、もっててんかのきっきょうをさだめ、てんかのびびをなすものは、しきよりだいなるはなし。
このゆえにてん、しんぶつをしょうじて、せいじんこれにのっとる。てんちへんかして、せいじんこれにならう。てんしょうをたれきっきょうをしめして、せいじんこれにかたどる。かとをだし、らくしょをだして、せいじんこれにのっとる。えきにししょうあるは、しめすゆえんなり。じをかくるは、つぐるゆえんなり。これをさだむるにきっきょうをもってするは、だんずるゆえんなり。)
【第十二章】
「易曰。自天祐之。吉无不利。子曰。祐者助也。天之所助者順也。人之所助者信也。履信思乎順。又以尚賢也。是以自天祐之。吉无不利也。
子曰。書不盡言。言不盡意。然則聖人之意。其不可見乎。子曰。聖人立象以盡意。設卦以盡情僞。繋辭焉以盡其言。變而通之以盡利。鼓之舞之以盡神。
乾坤其易之縕邪。乾坤成列。而易立乎其中矣。乾坤毀。則无以見易。易不可見。則乾坤或幾乎息矣。
是故形而上者。謂之道。形而下者。謂之器。化而栽之。謂之變。推而行之。謂之通。舉而錯之天下之民。謂之事業。
是故夫象。聖人有以見天下之賾。而擬諸其形容。象其物宜。是故謂之象。聖人有以見天下之動。而觀其會通。以行其典禮。繋辭焉以斷其吉凶。是故謂之爻。
極天下之賾者存乎卦。鼓天下之動者存乎辭。化而栽之存乎變。推而行之存乎通。神而明之。存乎其人。黙而成之。不言而信、存乎德行。」
「易(えき)に曰(いわ)く、天(てん)よりこれを祐(たす)く、吉(きち)にして利(よ)ろしからざるなし、と。子(し)曰(いわ)く、祐(ゆう)とは助(じょ)なり。天(てん)の助(たす)くるところのものは順(じゅん)なり。人(ひと)の助(たす)くるところのものは信(しん)なり。信(しん)を履(ふ)み順(じゅん)を思(おも)い、またもって賢(けん)を尚(とうと)ぶなり。ここをもって天(てん)よりこれを祐(たす)く、吉(きち)にして利(よ)ろしからざるなきなり。
子(し)曰(いわ)く、書(しょ)は言(げん)を尽(つ)くさず、言(げん)は意(い)を尽(つ)くさず。然(しか)らば聖人(せいじん)の意(い)は、それ見(み)るべからざるか、と。子(し)曰(いわ)く、聖人(せいじん)は象(しょう)を立(た)ててもって意(い)を尽(つ)くし、卦(か)を設(もう)けてもって情偽(じょうぎ)を尽(つ)くし、辞(じ)を繋(か)けてもってその言(げん)を尽(つ)くし、変(へん)じてこれを通(つう)じもって利(り)を尽(つ)くし、これを鼓(こ)しこれを舞(ぶ)しもって神(しん)を尽(つ)くす、と。
乾坤(けんこん)はそれ易(えき)の縕(うん)か。乾坤(けんこん)列(れつ)を成(な)して、易(えき)その中(なか)に立(た)つ。乾坤(けんこん)毀(やぶ)るれば、もって易(えき)を見(み)ることなし。易(えき)見(み)るべからざれば、乾坤(けんこん)あるいは息(や)むに幾(ちか)し。
この故(ゆえ)に形而上(けいじじょう)なる者(もの)、これを道(みち)と謂(い)い、形而下(けいじか)なる者(もの)、これを器(き)と謂(い)う。化(か)してこれを栽(さい)するこれを変(へん)と謂(い)い、推(お)してこれを行(おこ)なう、これを通(つう)と謂(い)い、挙(あ)げてこれを天下(てんか)の民(たみ)に錯(お)く、これを事業(じぎょう)と謂(い)う。
この故(ゆえ)にそれ象(しょう)は、聖人(せいじん)もって天下(てんか)の賾(さく)を見(み)ることありて、これをその形容(けいよう)に擬(なぞ)らえ、その物宜(ぶつぎ)に象(かたど)る。この故(ゆえ)にこれを象(しょう)と謂(い)う。聖人(せいじん)もって天下(てんか)の動(どう)を見(み)ることありて、その会通(かいつう)を観(み)、もってその典礼(てんれい)を行(おこ)ない、辞(じ)を繋(か)けてもってその吉凶(きっきょう)を断(だん)ず。この故(ゆえ)にこれを爻(こう)と謂(い)う。
天下(てんか)の賾(さく)を極(きわ)むるものは卦(か)に存(ぞん)し、天下(てんか)の動(どう)を鼓(こ)するものは辞(じ)に存(ぞん)す。化(か)してこれを栽(さい)するは変(へん)に存(ぞん)し、推(お)してこれを行(おこ)なうは通(つう)に存(ぞん)す。神(しん)にしてこれを明(あき)らかにするは、その人(ひと)に存(ぞん)す。黙(もく)してこれを成(な)し、言(い)わずして信(まこと)あるは、徳行(とくぎょう)に存(ぞん)す。」
(えきにいわく、てんよりこれをたすく、きちにしてよろしからざるなし、と。しいわく、ゆうとはじょなり。てんのたすくるところのものはじゅんなり。ひとのたすくるところのものはしんなり。しんをふみじゅんをおもい、またもってけんをとうとぶなり。ここをもっててんよりこれをたすく、きちにしてよろしからざるなきなり。
しいわく、しょはげんをつくさず、げんはいをつくさず。しからばせいじんのいは、それみるべからざるか、と。しいわく、せいじんはしょうをたててもっていをつくし、かをもうけてもってじょうぎをつくし、じをかけてもってそのげんをつくし、へんじてこれをつうじもってりをつくし、これをこしこれをぶしもってしんをつくす、と。
けんこんはそれえきのうんか。けんこんれつをなして、えきそのなかにたつ。けんこんやぶるれば、もってえきをみることなし。えきみるべからざれば、けんこんあるいはやむにちかし。
このゆえにけいじじょうなるもの、これをみちといい、けいじかなるもの、これをきという。かしてこれをさいするこれをへんといい、おしてこれをおこなう、これをつうといい、あげてこれをてんかのたみにおく、これをじぎょうという。
このゆえにそれしょうは、せいじんもっててんかのさくをみることありて、これをそのけいようになぞらえ、そのぶつぎにかたどる。このゆえにこれをしょうという。せいじんもっててんかのどうをみることありて、そのかいつうをみ、もってそのてんれいをおこない、じをかけてもってそのきっきょうをだんず。このゆえにこれをこうという。
てんかのさくをきわむるものはかにぞんし、てんかのどうをこするものはじにぞんす。かしてこれをさいするはへんにぞんし、おしてこれをおこなうはつうにぞんす。しんにしてこれをあきらかにするは、そのひとにぞんす。もくしてこれをなし、いわずしてまことあるは、とくぎょうにぞんす。)