原初的有職琴に惹かれる
さる伝統の神道講座をきっかけに、出会えた先生は、一絃琴をものされるかたでした。
一年前、そのかたのお招きにて、墨絵の展覧会場での琴弾き演奏に、奏者としてご一緒させていただいたことがあります。
私は、現代創作琴を和楽器の音色で奏で、和歌を歌う活動をしていますが、
声で古典性を表せる人は、世代的にすでにほぼいないため、その声がいい…と、光栄にも評していただいてのことでした。
かつて京都の門跡尼寺で、催事のお手伝いさせていただいた際、雅でしなやかな、女性の一絃琴のお師匠様にお目にかかったことがありましたが、
このような形で再び、一絃琴と間近くご縁があったことが、とても嬉しく光栄でした。
一絃琴・絃のある琴
一絃琴は、須磨琴ともいい、平安初期の在原行平が須磨に隠棲の際に、
板に絃を張り、浜の波音と松風のさやぎにのせて、侘住いの慰めとして奏でた由来を、一説として伝えていますが、
記録の上では、天竺の者が弾いた記録が、延暦年間にあるのが最古だそうです。
琴のねを、松風にたとえる和歌がありますが、
この、須磨の行平、そして『源氏物語』「須磨」の巻で、光源氏が琴(きん)を奏でた故事を、彷彿とさせ、
浜風にたとえるというのは、爪弾くというより、弦に指をすべらせる奏法なのかと想像します。
一絃琴は名の通り、一絃のみで琴柱はなく、
琴(きん)の琴・中国の古琴(七弦琴)のように、左手で調子を変えつつ右手で爪弾く、
広い意味ではギターやバイオリン・マンドリンなどのような、ツィター型と呼ばれる弦楽器。
一弦のみなので、他の弦楽器のような複音演奏はできないけれど、むしろそれゆえに、耳に聴こえる以上の感性の響きが、無限に、一音に招き寄せられるように、倍音を響かせます。
ちなみに、二弦琴は出雲琴といい、かつて奈良の飛鳥寺のご住職が奏でられていたという話を、学生の頃に訪れた際に聞いていて、ずっと印象に残っていました。
今は、明日香村で会があるそうで、折に触れて素朴な琴の演奏会がなされていると聞きます。
印象ですけれど、このスタイルの琴には、思想的宗教的効果の意味合いが濃いように感じられます。
実は、特に東洋的に、琴の起源自体が、そこに関わるのです。
琴の歴史と役割り
弦の琴とは別に、
古代出雲には、弦のない板琴の伝承があり、
板を叩いて響きを発する神具と解釈されています。
梓弓で神言をおろす託宣巫女が、箱状板にのせた弓を叩いて、弦響のリズムで神がかりをする、
それに近いのではと思われます。
琴の歴史は、日本では琴弾き埴輪に表現されるような“倭琴”が見られ、発掘例も少なくはなく、
板状・箱状に五弦ほどを張り、
爪弾くというより、はじく奏法だったとされています。
水辺の神事において、水音に感応するように響きを発し、祭祀が済むと、水に流していたとみられ、それゆえに埋もれた後、ほどよい湿気により保存され、後の世に発掘されて現存しています。
埴輪の顔が笑っているのは、神がかり状態にあることを表しています。
この頃の琴は、反響板はあったものの、今の私達が想像するような美音ではなく、
弓の弦をはじくような“響き”を発する装置で、
水音や磐座、神木などのような、神なる“波動”と共鳴するための神具だったと思われます。
もとは爪弾くのではなく、弦を板に打ちつけ反響音を響かせるものだったのかもしれません。
須佐之男命が持つ三種の神器のうちの「天の詔琴」は、大國主命が逃げる際に、ものに触れて大音響を発したために、須佐之男命に気づかれたと記されています。
耳に聞こえる音というより、神を目覚めさせる反響がすさまじいことを意味し、それが琴が神器である由縁であり、古代琴の働きを示唆する物語と思われます。
古代の琴は、愉楽遊芸のために奏でられることはなく、奏者も、最高祭祀者や大王など高貴で強力な霊力を有する者に限られていました。
『古事記』『日本書紀』に、天皇が琴を弾く、神事や神婚の場面が多く見られます。
その後、大陸から、仏教や文字などの文化と共に、「楽」としての楽器が到来、その中でも琴は別格だったと思われます。
大陸では、琴は古来、世に認められた聖人君子のみに許され、この世の全てを正しく整え導くためのものとして尊重されてきました。
これが現在、古琴と呼ばれる、琴(きん)の琴・七弦琴で、
日本でも寧楽朝には、尊い貴人に愛好された様子が、『萬葉集』に歌われています。
大陸の琴学思想が、日本の神具としての古式倭琴と合致して融合したのか、大陸文化の影響により神格化を増したかは定かではありませんが、
『源氏物語』などでも、琴(きん)の琴は、正統な尊い血筋の限られた者にしか許されない琴として描かれています。
雅楽器に残る、美麗な響きを発する、琴(きん)の琴、箏の琴、和琴は、貴族や有識者の嗜みとして普及しますが、
すでに『源氏物語』の頃には琴(きん)の琴は、次第に弾かれることがなくなり、やがて廃れます。
中国でも、古琴は廃れた時代があり、一時期、奏者も演奏も、かなり稀少で聴き得ないものと言われていたようです。
(昨今の『陳情令』の影響で、奏者希望が特に日華で急増したらしいのは、ある意味、功績と思います)
日本では箏の琴が一般的に「琴」として普及しますが、
古琴たる琴(きん)の琴の様式は、一絃琴・二絃琴として、復興された形になっています。
琴の本来の働き
以上から推察されるのは、
現在、世界的認識として、「琴」とは、
楽器の分類では弦楽器であることが常識ではありますが、
日本の古代においては、出雲の板琴のように、
必ずしも弦が必要なものではなく、
また弦も、必ずしもはじいて音を発するためのものではなく、響きを反響させる効果を増強させるもので、
元来、楽器として、美麗な音色で演奏する、愉楽のためのものでもないのが原初。
つまりは「琴」は、もともと、神の意志である「言」をおろすための、響きを発する神具であり、
弦はその効果を増幅させるために付随するものだったと思われ、
大陸から綺麗な音の演奏楽器が伝来する以前の、神事琴の原初は、
弦楽器ではなく打楽器的な性質のもので、
主要なのは「響き」と「リズム」だったといえます。
私の経験に即すと、勾玉型の創作琴・眞琴を弾くようになり、最初は演奏する調べを意識していましたが、
和歌をおろし歌うようになってからは、特に歌う時には、いつしか一定リズムでの、はじくような爪弾きしかできなくなり、
その中で無心夢想となり、音色を意識しなくなっていました。
いわゆる“歌の伴奏”としての琴の調べではなく、歌を導く響きとしての機能に変化したわけです。
意図して意識的にそうしたのではなく、
自然にそうなっていました。
まるで琴の働きが、先祖返りしたかのように。
私の眞琴は、ハープ型で、調律以外で弦の音を演奏内で変えることができない、一弦一音のもの。
私が歌や調べをおろせるのは、それゆえ演奏内に音を変えることに意識を向けずに済むためで、
かつてマンドリンを弾いていたことかあるのですが、その頃は、
音を探り、ピックで絶え間なくトレモロし、途切れなく誤りなく曲を奏でることに集中するため、息を詰めていたので、
自在に歌うことまで、とてもできませんでした。(フォークソング系でできる人はやっていましたが)
ハープ型琴ゆえに、演奏内で音の変化を意識せずに自在に音色を発せるのが、眞琴の特質で、
それゆえに、琴の響きを媒介に、和歌と調べを即興して歌うことに意識を向けることが叶うのです。
でも、実は私も最近、曲を意識するのではなく、
即興自由奏で爪弾きながら、弦をすべらせて自在に音を変えながら導き出せる、
古琴様式にも、少し心が傾いています。
ドレミファ音階に縛られぬ音階ゆえに、流儀に属さず、自分流で弾けるなら、
眞琴のように、でも眞琴とはまた違う、両手の指紡ぎにより、調べと歌を導けるような気がして。いずれなんらかの形で、試みてみたく思います。
それはさておき、
ここで言いたいことは、かつて「琴」とは、
祭祀における神がかりの、神託としての神ことをおろすために、使われる神具で、
高波動に共鳴する響きと、リズムを発するのが、
「古代倭琴」の役割りの本来であって、
弦楽器として美しい調べを発する楽器とは、別の性質のものだった。
それが弦を張り美しい調べを響かせる、外来の琴と融合して、弦楽器として定着したのではないか。
思想的神聖視の神具という観念は、古琴・琴(きん)の琴の上に残り続け、楽器として廃れたあとも、一絃琴・二絃琴の上に復元されて今に至るように思う…という、
あくまで、私のこれまで知り得たことと経験に基づく、推察です。
ある意味、話は違いますが、古代における櫛の役割は、近世以降の結髪文化のそれとは、別次元の意味合いがあったことと、
琴のそれは、理論相違観点が似通っているかもしれません。
形状と形態は同じでも、いわゆる働きと次元性は深遠的に異なるということです。
近年、シュタイナー思想に基づくライアーが、スピリチュアル界を中心に、さまざまに製作され普及していますが、
この上にも、形は違えど、琴による神聖思想が息づいているように感じます。
琴の響きの活性力
琴は、華やかに見えて、孤高の神聖音響具。
合奏も素晴らしいけれど、ひとりで弾く時、おのれの心に響き寄せる“何か”が存在します。
かつては聖人の証であり、後に隠者の発露のよすがともなり、
人知れず世を整える波動ともなる。
もとより、人に聞かせるのではなく、おのれの心に響かせ、内なる自我・神仏と対話するにふさわしい音具です。
在原行平が須磨に隠遁していた際の故事を持つ、一絃琴。
一絃の単音ながら、それがゆえに響きの深みが味わい深く、まさに孤高。
物哀しいようで、力強い。
人からは世をはかなみ、孤独に無常を悲しむように見えても、
琴を爪弾くことで、その響きと音色に、生きる力と希望を増幅させていたのでしょう。
朽ち木とならずに、響きを発する琴板のように。
『源氏物語』で、光源氏が、須磨で、王者の証である琴(きん)の琴を弾き、やがて返り咲いて、位人臣を極め栄耀栄華を手にしたように。
能楽『敦盛』では、他の伝承と異なり、
源氏に攻め込まれる前の夜、平家の公達が、一の谷で、行平と源氏の須磨の故事に倣い、管弦にて都の栄華を偲ぶ描写が、ことさらに描き出されています。
いつか再び……を祈り、念じる、命の管弦。
琴のねは、
ギリギリの孤独と共に、おのれを見返し、
生きてここにある力の炎をかき立てようとする、かそけくも強い、祈りの音色の象徴です。
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