爪弾きなき琴の響き
このXの記事、風に触れて、琴が響きを発している、貴重な記録を公開してくださっています。
ちょっと違うかもしれませんが、
「かの緒は人もひかざるに
自ら鳴るやうにきこゆる也
これを境にいるといふ也」
(『胡琴教録』琵琶)
という記事を思い出しました。
また、それらとは違うかもしれませんが、
誰も触れていないのに、琴が鳴っている感覚は、私も経験があります。
自分が弾く場でなくても、氣がよい場所や、演奏会に、愛器の眞琴を連れて行くと、
バッグの中にありながら、弦が鳴っている、共に歌っていると感じることがよくあります。
よい響きには、心ある名器は共鳴して、音なき響きを発するのだと感じられ、
それほど魂を、この眞琴にこめられているのは、実際の爪弾きの上手下手に関わらず、
共にある琴弾きとして、誇らしい思いがあります。
ちなみに“無弦琴”という話があって、
陶淵明は、琴が弾けないながら、弦を張らない琴板を持ち、酒が入ると弾く真似をして、音なき響きを楽しんだそうで、
『菜根譚』には、
“世の人は、文字を読むことで書物を読んだ気になるが、文字には書き表せないものを読む…ということを知らぬ。
また、弦のある琴を弾いて奏でた気になるが、無弦の響きを奏でる精神を知らない。
形あるものだけにとらわれて、見えぬ聴こえぬ、真理や音律を理解しようとしないで、どうして琴書を会得することができようか”
というような言葉が記されています。
巧みに歌を読んだり、綺麗に歌ったり、
楽器を所有し、綺麗な音色を放つことだけにとらわれては、本当に表したい心は空虚である。
たとえ書がなく、楽器を持たなかったとしても、表せないものを感じ、表せる心こそ、真実。
そのことは、常に心に銘じておきたく思います。
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