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未知の異国の横笛

きっかけは、「横笛」で検索をかけたことでした。


  コラボ奏者を求めて

私は、創作弦楽器の琴を、即興で弾き、和歌を歌う活動をしていますが、
常はひとりだけれど、ご縁があると、他楽器などとコラボレーションしています。

これまでコラボしたのは、クリスタルボウル、シンギング・リン、ピアノ、舞踏など。
一度、エレキギターと合奏したこともありますが、意外に合っていて驚きました。

即興コラボは、相手との息を、無意識領域で合わせるような感覚でおこなうため、
予測もつかない響き合いになり、やるたびに想定外の喜びがあります。

コラボは、単に楽器の種類や音の感覚ではなく、やはり人との相性が重要。

面白いのは、たとえば普段から友好的な相手でも、なぜか音の響きあいでは、まるで波長が合わないこともあるし、
逆に、会話も噛み合わず感性も違う、友達になれないかも…と思う相手でも、合奏の上では、心地よくてたまらない、この人でなければという至高の響き合いができることもある。
この感覚が、楽しく嬉しいのです。

かねてから、やってみたいなぁと切望していたのは、笛との合奏でした。
既存の曲ではなく、即興で、アドリブで自由奏ができる、笛の奏者と出会いたい。

自分も横笛が好きで、吹きますが、
琴を弾きながら、笛は吹けません。
それにひとりで多楽器は限界もあり、無理もあります。

息を合わせて即興ができる人と出会いたい。

それと同時に、
最近、改めて横笛を自分なりにやってみたくて、
独習と、奏者を模索するために、手がかりはないかと、
適当に浮かぶワードで、検索をかけてみたのでした。

  不思議に惹かれた笛との出会い

そんな中、今となっては、どこの記事で見かけたのかも思い出せず、もう一度見つけることもできないのですけれど、
検索するうち、日本の横笛だけでなく、海外の民族楽器の名前も出てきて、

その中に
“チベットの横笛”
という言葉が出てきたのです。

笛と弦楽器と打楽器は、形や性質は違えど、世界のどこの国でも、古今東西、存在していて、
たいてい、現地の思想や祭祀、祭典や、神話伝承など、その国の民俗に関わることも多いので、それ自体が興味深い。

チベットの横笛…このワードに、不思議なほどビビッと来て、すぐに調べましたが、
意外と検索に引っかからず、少しずつ言葉を変えて調べて、やがて、
チベッタンフルート
にたどりつきました。

扱っている業者さんも見つけ、写真もありました。
とても立派な外見の笛。 
日本の篠笛、中国の笛子や、インドのバンスリなどとは、外観の印象が違い、装飾性が高い。
おまけに、レートの関係で、けっこう安価なのです。

業者さんに問い合わせると、奏者だけでなく、
アジアン雑貨や飲食店の装飾に使う人もいて、そこそこ売れているとのこと。
でも、さらに検索しても、吹いている人の話が、海外も含め、ほぼ出てきません。

You Tubeで検索すると、
“チベッタンフルート”“チベットのフルート”“チベットヒーリングフルート”
など、瞑想音楽として、いくつか出てくるのですけれど、
吹いているシーンは出てこず、イメージ写真は縦笛ばかり。

この笛に関する詳細が、まったく見つからないし、
業者さんも、笛本体以外は扱っておらず、詳しくはわからないとのこと。

運指も音階もわからない。

たとえば日本の能管は、当然、フルートやリコーダーのように、ドレミファ順の運指になっていないし、そもそもドレミファ音階ではなく、
「オヒャ〜ラ〜イ ホウホウヒ」のような唱歌を覚え、それに合わせた音を出すのですが、
運指が独特で、順番に穴を開けたり塞いだりするものではありません。

チベッタンフルートも、民族楽器ゆえに、運指に独特の法則があったら、資料がないままでは、音すら出せないかもしれない。
使いたくても使えないものを持っているのは、寂しいものです。

不安はありましたが……名前を聞いた時から、不思議なほど惹かれてならない。
数日迷い、親身な業者さんとのやりとりの末、
思い切って発注しました。

それが一ヶ月ほど前のこと。

  届いた横笛

発注から届くまで、とても早く配慮していただき、いよいよご対面です。
開封時に撮った写真。

材質はシャームウッド(紫檀) 42cm 六穴
能管と 七本篠笛と 並べてみる

やや太く、まろやかな形状をしていて、存在感があり、
贅沢な派手さはありませんが、丁寧な塗りと装飾がしてあります。

届いてしばらくは、新品のため、塗りのニオイがかなりキツく、
長時間、唇の下にあてていると、カブレそうでした。
天然うるしかしら。
肌の弱い、敏感な人だと、この時点でダメかも。

数日は風にさらしながら、なるべく毎日持って指を慣らし、少しずつ音を出してみるように努めました。

笛としては、私には馴染みやすい感覚で安堵。

太い笛は、初心でも第一声を出しやすいけれど、音を安定させたり、高く響く音を出すのには力が要ります。
私は能をやっていた恩恵で、肺活量と腹からの呼吸はそこそこ強く、細い篠笛よりも、女性には厳しいとされる能管のほうが馴染みやすかったのですが、

吹き心地は、能管よりは楽ながら、
感触として、唄口も音穴も大きいので、

ひとつの音に対して、尺八のような微妙な音域の変化や、ゆらぎなどが出しやすい反面、
指の押さえや、息の具合をしっかりさせないと、音が安定しません。

その微妙さに慣れるには、修練が必要ですが、
時を要しても、吹きこなせるようになれたら、
かなり味のある、独創的な音色を醸し出せる笛になると思いました。

未知であるぶん、アドリブ的な自由奏ができる。
私はこれをこそ、求めていました。

見た目が珍しいものの、篠笛や笛子など、別の横笛が吹きこなせる人は、
コレクションの一環で持っていても、わざわざ主流で使うことはない笛に思えます。
でも私は、用途が違うから。

もとから、曲を吹くつもりはなく、
かねてから愛用している、創作琴と同様、
即興演奏に向いているのではという、直感通り。

この笛を偶然にも知り得、手元に来てくれたのは、本当に運命的だったのかもと、
日々、嬉しさと愛着が増しています。

  わかってきたこと

音出しをするうち、音階もわかってきました。
既存の曲も、吹こうと思えば吹けます。

ただし、音が安定するよう慣れないうちは、すごく下手な音痴に聴こえてしまう。

その後も折に触れて、笛について、検索ワードを変えてリサーチを続けたところ、

私は“チベッタンフルート”として見つけ、その名で入手したのですが、

どうもこれは、ネパール・カトマンズの楽器らしいとわかってきました。

ネパールには102の民族があり、カトマンズ盆地に古くから住む、最大の民族・ネワール族。
そのネワール族の横笛らしいです。

こんなふうに、街かどで、フルート売りのおじさんが売っているそうです。

おじさんがバッグに突っ込んでるのは、インドの竹笛・バンスリらしいけれど、吹いているのは私のと同じ笛。
向きが逆ですが。

祭典で、たくさんの人がパレードで吹いている様子も見かけました。

装飾は、昔の刀剣や、他の楽器にも使われている伝統のものらしい。

カトマンズといえば、生き神様の少女・クマリの国。神秘の天空の民族ですよね。
そんな国の横笛なんて、ステキすぎる!!

改めて“ネパールの笛”で検索すると、
今度は、You Tubeにも、多くはないながら、吹いている人が出てきました。

正式名称はないようですが、これからこの笛、
ネワールフルート
と呼ぶことにしようと思います。

ちなみに私は、愛用する愛着ある愛器には、自分でつけた名前がありますが、
琴にも、もちろんつけていますし、
この笛にも、私の固有の名前をつけました。
ここでは書きませんが。

今後、自分の話の中では、この笛を「ネワールフルート」と呼びます。

  ネワールフルートと共に

入手したものの、吹きこなせないと恥ずかしいので、これまでこの笛のことは、親しい人にも話したことはありませんでした。

でも、日々、少しずつ馴染んできて、愛着も増してきましたし、可能性もみえてきたので、
まだまだ下手だけれど、次のご奉納時に、初お目見えさせることにしました。

即興のほかに、音に馴染む練習として、
吹いてみたい曲に、自分で音を探して笛譜を作り、毎日吹いています。
まだヘタすぎて、ご近所に恥ずかしい!
でも最初から上手な人はいない、そのために練習するのだから。

たぶん年内は、ひとつ覚えのように、同じ曲を、自分の音になるまで、吹き続けることになると思います。

笛譜は、最初のうちは目安として見ながら吹きますが、
完全に暗譜しきってからでないと、音出し以上に、自分の表現を表す段階には行き着きません。

これは、他の演奏の場合でも、
型が決まっている舞踊でも、
同じことが言えます。

譜や型をなぞるうちは、ただ音を出しているだけ、動いているだけにすぎない。
個性や感情が入るのは、その先。
完全に体が、型を覚えて染み込んでから、
心にいき、魂に届くようになります。

即興だと、その場(神社や史跡など)の氣と、自分の内側にのみシフトしているから、他を意識する何もありません。

相方がいる場合は、場と同時に、自分の内側から相手ともリンクして、一体となる響きを和すようシフトします。
事前打ち合わせも相談もないのが常です。

ある意味、行き当たりばったり、出たとこ勝負。
それでも、不思議なほどにひとつの響きとして調和するのが、
即興コラボの醍醐味であり、喜びでもあります。

私がこれまでご一緒したかたがたは、
私にとって幸せなことに、私自身がまだ活動初心の頃から、
その道ですでに第一線に立たれていたり、プロとして世界的な活動をなさっているような、
畏れ多い、卓越したかたばかりで、

そういうかたほど、自分の自我表現を主張したり、こちらを場馴れしてない素人だと見下げて誘導したりせず、
「己のできることを、対等に、共に楽しもうではないか」
という、柔らかな波動で、
自分の宇宙を、こちらの宇宙と、無理なく同化させつつ、自分の技を場に溶け込ませて、意識せずとも調和する心得を、自然と会得しておられる。

人に合わせるのではなく、場の波長に同化することで、ひとつの響きに溶け合うのが、即興コラボの極意。

そのおかげで、私は自分を卑下したり、自分を控えて相手に合わせようと努めることなく、
最初から自分の音、自分の響きを最大限にでき、
その心構えを実感で学びつつ、喜び楽しさを知り、経験を得ることができてきました。

演奏できてきたご奉納場所も、それまでのご縁の恩恵で、初心のうちから、本来なら叶うべくもない名所で叶ってきています。

そのご恩恵と果報に、かなうような自分でありたい。

今回、新たな相棒たる笛を得て、
さらに、琴と、和歌を歌う心に、拍車がかかりました。

これからさらに、さまざまな場と、
心を共にできる人との出会いに、
恵まれていきますように。

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