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ものをこそ思へ 〜待賢門院堀川と會津八一の歌

〜長からむ 心もしらず 
  黒髪の みだれてけさは 物をこそ思へ〜

百人一首にも見える、侍賢門院堀川の歌。

この和歌に関しては、現代語訳で解釈することが
野暮に思えます。
このままの言葉で、味わうべき一首。

王朝絵巻のような光景

私は、黒髪を歌う和歌が昔から好きで、日本女性の長い黒髪に、絶えぬ憧れを抱いてきました。

恋知らぬ私などでも、櫛けずりながら髪に触れていると、たくさんの歌がおりてきて、
一時期は、腰の下くらいまで髪を伸ばし、
自分が黒髪の女人に生まれてきた幸せを思ったものでした。

与謝野晶子の『みだれ髪』の歌も、好んで愛唱しましたっけ。
〜くろ髪の 千すじの髪の みだれ髪 
  かつおもひみだれ おもひみだるる〜

おのれの髪に櫛を流す夜は、恋しい人の心を手繰り寄せる、まじないのような時。

待賢門院堀川の歌は、想いと共に、海原のように乱れる、長い艶なす朝寝髪の美しい描写と同時に、
末句の「ものをこそ思へ」という言葉にも、深く惹かれます。

物思いを強調する表現なのですけれど、
この歌の場合は、逢瀬のあとの、きぬぎぬの朝の余韻の物思いなのか、
恋しい相手が訪れぬまま、待ちわびて迎えた朝の、思い乱れ身悶えた物思いなのか、

夢の名残を残す朝の気だるさ、思い乱れる情趣そのままを表すように、
寝乱れた敷きたえの寝床に、波のように広がる黒髪の情景が美しくて、いつまでも胸に余韻を残す一首です。

〜ものをこそ思へ〜
完結せぬ、余韻を残すつぶやきのような内観を想像させる、印象的な言葉。

また、私が薫陶を受けた近代歌人に、會津八一がおられますが、
このかたの一首にも、同じ言葉が歌われています。

〜おほてらの まろきはしらの つきかげを
  つちにふみつつ ものをこそおもへ〜

唐招提寺 天平の三尊のいます金堂の柱

鑑真和上で有名な、奈良の唐招提寺の観月会の光景を読んだ歌。

このお堂の屋根には、井上靖著『天平の甍』のままに鴟尾が置かれ、
建物はエンタシス式と呼ばれる、ローマ建築のような丸みを帯びた柱で支えられています。

唐招提寺に限らず、私には、古柱を眺めるたびに浮かぶ、會津八一の一首なのですけれど、

この歌の「ものをこそおもへ」は、
み仏たちの前に立つ柱に、古代、寧楽の時代に思いを馳せる、言葉にならぬ感慨...と、私などは鑑賞します。

ことに、この寺を建てた鑑真和上は、長年の苦難の末に日本を目指し、その途上で盲目となったため、
当時の大和の様子も、この寺の柱を映す月影も、心のうちに思い描くのみでした。

今、時を超えて和上の夢のような想いとも共鳴しつつ、言葉にならぬ感慨が歌となる……その心情が「ものをこそ思へ」のひとことにこめられていることを感じます。

普通に参拝するかたがたは、みな数分で拝観して去ってしまいますが、
私はいつも、小さな古寺でも、物言わぬ歴史と共振するように、ほぼ一日立ち去ることができず、立ち尽くし留まるのが常です。
ひとり、語らう者もない旅…だからこそ、物言わぬすべてと共鳴することができる。
「ものをこそ思」う…物言わぬ者たちと物思う時を過ごすことで、言葉にして言い得ぬながらも、永遠に語り続けるような、その場の記憶に身をひたす…それこそが、歴史探訪の愉しみ。

〜ものをこそ思へ〜
こう歌われている以上、これらの和歌短歌は、
人それぞれ、自身の思いと共鳴すればよく、
具体的に何を思うかなどを追及するのは野暮というもの。

なんともいい得ない思いを表すと同時に、自由に共感を導くのにも都合のよい、
それでいて感慨を覚える、ある意味便利な言葉。
末の句を「ものをこそ思へ」で〆れば、どんな歌の心も託すことができそうです。
(それだけに、安易に用いると、安直になりがちな言葉でもあります)

余談ながら、會津八一は、独特の字体で、ひらがなの短歌を多く読み、
奈良では、万葉集の歌と並んで、歌碑によく見られる歌人です。
私は、このかたが愛した奈良の旅籠の晩年期に、定宿として足繁く通い、滞在し、
この宿のおかげで、古き良き真の大和の姿や、人知れぬ史跡を知る機会を得、ここにこもって短歌同人としての自己修練をしました。
奈良と、万葉歌と、會津八一に憧れて。
生前の八一師をよく知る、今は亡き宿の女将によれば、とても優しい風情の歌を読まれる八一師ですが、
実際のお姿は、弟子や生徒が、たとえではなく心底裸足で逃げるような、恐ろしく厳しく、時に暴力的な、凄まじい剣幕の先生だったそうです。
短歌でその人本来の人となりは知り得ない。心のうちは知れるとしても…という、見本をみたような心持ちがしました。

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