見出し画像

オタク的見解・『魔道祖師』に見る、呼ぶ側を意識したネーミング

  最初にちょっと…

かな〜り前に、たまたまハマったコミック&アニメがあった時に、
研究者のサガで、その魅力を作品分析するのに夢中になり、

他の愛好者が、どんな読みとり方をしているのか知りたくて、
初めてアニメイトとかで、同人誌を、ビニール掛けで中がわからないので適当に選んで買ってみて、読んだことがありました。

実はその頃は、同人誌って、作品分析や深読みを極めた、サイドストーリー的な二次創作の場だとばかり思っていたのです。

それがまさかの、いわゆる“やおい”というものを、生まれて初めて、いきなり見る羽目になり……
即座に、それこそ壁に頭を打ちつけて記憶喪失になりたいほどの衝撃を受けたのでした。

私は昔から、読みものは、かなりリアルにイメージして読むタイプなので、
残酷だったり痛そうだったり、心が重くなりすぎるものが苦手でしたし、
怪談は好きだけどホラーはダメな嗜好。

そのテのものも、同性モノがダメなのではなく、男女の恋愛モノでも、ある種の描写が際立つ成人向け作品が、生々しすぎて苦手なのです。

まぁ、ライトなキス&ハグとか、スキンシップくらいなら、微笑ましいと思えるけれど、
コミックやアニメで、普通にノンケで、単に魅力あるキャラクター達だと思って、ストーリーを見ていることしか知らなかったのに、
そのキャラクター同士が……ていうのは、さすがに思いがけなくて…

いきなり、前知識のないまま見てしまった、思いがけない描写は、初心者にはハードすぎて、そりゃもう、凄まじいショックでした。

しかし、二次創作的なコミケ系同人誌にも、秀逸な作品や、才能を見ることも多いことを知り、
その後、宝探しの気分で、一時期、コミケや即売会を巡った時期があったため、
ソフトなものなら、ある程度は慣れましたが、

それでも、ある程度以上の描写がある作品は、未だにダメです。

  久々にハマった作品

さて。
琴・横笛のモチーフから惹かれ、テーマ曲に憧れて、
ドラマ、アニメ、原作と入っていった、『魔道祖師』『陳情令』。

久々にハマったなぁと思います。

もう何年も前から人気だった作品だそうだし、
今も変わらず根強いのがわかるので、
すでにさまざまな表現を始め、論評や、深読みや作品分析なども、され尽くしているだろうと思います。

でも私は、今年の初夏頃からだから、出遅れすぎてるし、世間一般の情報にも疎いから、
なんの他情報も知らず、同好の語れる友人もないまま、密かにひとり、自分なりの楽しみかたをしているのみ。

これまでの作品は、原作やコミック・アニメの、
二次創作として、BL表現されるのが常でしたが、
この作品は、もともとの原作がBLというのが驚き。

私は、普通にドラマから入ったので、
“唯一無二の盟友”という描かれかたに惹かれましたが、
こんなに綺麗な男性ばかりの作品だから、BL的二次創作で人気になるのは当然だろうとは感じていました。

壮大な背景の作品なので、やはり原作も読みたくて、映像作品を観てかなり経ってから、原作を読みましたが、
BLだからと読まず仕舞いだったら後悔していただろうと思うほどに素晴らしくて。
…ただし最後の方や番外編に、読めなくてとばしたところも、ちょっとありましたが(^^ゞ

原作でここまでやったら、二次創作はどんななのかしら。
難易度があがるのか、むしろやりたい放題に表現できるのか、
同人作家さん達の表現法の粋を探ってみたい気持ちもありますが、今のところ、読むきっかけはありません。

ちなみに私の中では、ドラマ、アニメ、原作は、
それぞれ、同じ人名と舞台背景、同じストーリーながら、
まったく別の主題作品として、認識しています。

  君の名を呼ぶ

オタク的な話をしたくて、ちょっと衝動で書きたくなった本題ですが。

私はドラマから入ったので、映像と音声の印象が最初から強くありました。
もともと音楽に惹かれたためもあったし、字幕だったので、中国語の役者さん達の声が、じかに印象として強かったのだと思います。

字幕を見なければ、何を話しているかわからない。
それでも字幕の言葉と、役者さんの声が、自分の中で同化して響くのが面白かったです。

特に印象的だったのは、主人公ふたりが、お互いを呼ぶ「名前」でした。

(私の解釈は、日本語見解だけであることを、ご了承の上で…中国語の音声学や言語学はまるでわかりません)

最初の頃、ひとりの人の呼び方が多くて混乱したのですが、
中国のお国柄なのか、時代もののためか、
「氏・名」「字(あざな)」「号」「愛称」等など、人により違う呼び方をしている。

主人公の魏无羨(ウェイ・ウーシェン)が、相方の藍忘機(ラン・ワンジー)を呼ぶ時、
「藍湛(ランジャン)」を連呼するのですが、
これは「氏・名」で、たぶん、最も親しみをこめた呼び方のようですね。

藍忘機は、仙家の中でも最も仙人らしい名門の一族の宗家の次男で、
極めて厳格に純粋培養され、模範的に育った反面、
感情表現や表情がほとんどなく、真面目そのものの冷たい印象で、周囲から尊崇されつつ畏怖されているようなキャラクター。
必要最低限でしか話さないし、他者と個人的な関わりを持たず、孤高のイメージで、親しく接せるのはお兄さんだけ。

そんなタイプだから、親しい同輩もいない感じだし、
家族からは「忘機」と字で呼ばれ、他からはほぼ「含光君」の号で呼ばれたり、藍家の次男、みたいな呼び方をされています。

そんなタイプなのを面白がって、
主人公の魏无羨が、若い頃からあれこれちょっかいかけて、からかったり遊んだり、気にかけたりして、反応を楽しみつつ、
わりと最初のほうから「藍湛」呼びで連呼する場面が多く見られます。

魏无羨の性格的にも、いつも笑っていてよくしゃべるので、
この「藍湛」呼びがすごく、らしい感があって、
時々、魏无羨のほうが「ランジャン」の名前かと、勘違いしそうになるくらいでした。

「ランジャン」って、「ラ」も「ジャ」もア行音で、口を開いてはっきり発音する音だし、
間に「ン」が入ることで、弾んだような発声になる。
魏无羨が、笑いながら「藍湛」連呼してるのが、すごく似合っていて、楽しそうに聞こえるし、場が明るくなるような響きがあります。

たぶん、自分に恐れ気もなく屈託なく笑いながら、そんなふうに呼ぶ者がいたら、
藍忘機のほうも、表面上は仏頂面でウザそうでも、内心、新鮮で嬉しかったのじゃないかと、
それが、原作中で、藍忘機が魏无羨を愛するきっかけになったような気がします。

ドラマでは、役者さんの名演も際立っていて、
魏无羨が愛嬌あふれる笑顔で「藍湛」って呼ぶシーンが、視聴者層からも特に好まれていた気がする。

藍忘機の役者さんは、セリフも少なく表情もないながら、ほんのわずかな頬のゆるみや、口もと、特に目線で、状況や感情を表す、微妙な演技が秀逸で、
最初の頃は、私でも「こういう人には怖くて近づきたくないな」と思う感じでしたが、後半では、すごく好感の持てる人の印象に思えました。

アニメの『魔道祖師Q』から、
魏无羨が藍忘機を呼んでいる場面ばかり集めた動画が、YouTubeにありましたので。

対して、魏无羨のほうは、
号「夷陵老祖」をはじめ、親しさや関係により、さまざま呼ばれていますが、

藍忘機には「魏嬰(ウェイイン)」と呼ばれています。
これがまた、呼ばれている本人より、呼んでいる藍忘機のほうに、すごく似合っている感があって、

「ウ」「エ」「イ」は、みなア行内母音の上、
口を大きく開いて発声するような、開口音がなく、
発声練習でアオを抜いた舌の動きのみで、最後に「ン」で口を閉ざす感じになります。

ほとんど口を開かず、つぶやくような、吐息のような、ささやくような声で呼べる。
場面によっては、切なげですらあります。

原作の、関係が成就し始めるあたりから、後日談の事実婚状態になっている話で連想すると、セクシーに聴こえて。

魏无羨の「藍湛」連呼に比べると、
とても控えめに呼ぶことがあるくらいで、
口数が少なく表情筋をあまり動かさない藍忘機には、すごく、呼ぶのに、らしい印象。

これも、『魔道祖師Q』から、藍忘機が魏无羨を呼ぶシーンを集めたYouTubeがありました。

『魔道祖師』の原作者が、作品を書いている時から、映像化や音声化を想定していたかは知りませんが、
この、呼ぶ側の効果のようなものを意識していたのだとすると、
改めて、この作品には、当初から生きて人の心に届くべき、命が入っていたのだと、凄さ壮大さを感じます。

  名づけの妙味

たとえば、創作小説を書く際、登場人物の名前を考えるのも、楽しみのひとつですが、

呼ばれるほうではなく、
呼ぶほうの性格と、呼び方、印象のほうから考えるのも、ひとつの大きな効果だと、教えられた気がしました。

氏名と字、号など、呼び方のパターンが多くあるのも、そうなると効果的ですね。

「藍忘機」だと、清廉潔白で真面目な貴公子の、本人そのままの印象ですが、
「藍湛」で呼ばれると、魏无羨の側の楽しそうな弾んだ印象に変わり、このふたりの関係性がそこに表れて感じられる。

「魏无羨」の呼び方と響きだと、親しみやすい明るい、基本的に自由闊達な印象で、
「魏嬰」は、控えめでささやかな、どこか秘めやかな印象になり、藍忘機が呼ぶことで、耽美的になるように思う。

対照的なふたりが、それぞれに呼ぶ名と、呼ばれる名で、関係性がやがて結実していく過程が、
はじめはギクシャクし、反目し合う展開もあり、それでもやがて、唯一無二の盟友になり、
さらに原作的な展開では、効果的になっている気がします。

ちなみに、魂を揺るがそうとするような、大事な場面では、どなたもフルネーム的な字で呼び合っていますね。

名を呼ぶことが、関係を深めること。

日本でも、古来、名前は特別なものとして、通称と呼称・本名を区別するふうはあり、
本当に大切な相手にしか明かさない眞名や、
お互いのみで呼び合う、誰も知らない秘密の呼び名があったりしていましたけれど、

名前はお互いを結ぶ、最強の言霊。

架空人物にも、命を吹き込む、重要な響きと効果が、名づけには込められていると感じます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?