個人的な体験に基づく、男性の性欲への警鐘


いつからだろう。私は女性だが、女性も好きだと思うようになったのは。それは何故だろう。もちろん女性が、その人が、魅力的だから。しかし、その裏側にも理由がある。それは男性に不信の念を抱くようになってしまったから。

彼女でなくとも、好きでなくとも、それなりに女性として見ることが出来たら誰とでも性行為をする男性。
性行為をする為なら、平気で「好き」だの「可愛い」だの思ってもいないことを言う男性。
コンドームをつけないのが当たり前の男性。
中で出したいからと、女性にピルを飲ませる男性。

ここから先は具体的に個人的な憎しみを込めさせてもらう。
高校卒業後の専門学校に入学したての頃、通学の満員電車で尻を触るだの痴漢してきた男達。私は痴漢の事を家族にも友人にも誰にも相談出来ず、やがて通学が怖くなり、高校時代から患っている精神障害故の体調不良も酷くなり、学校をたったの2ヶ月程で休学。結局翌年の1月に退学届を出した。
20歳の時。とある晴れた日の昼過ぎ、出かける為におめかしをして、当時お気に入りだったピンクのフレアのミニワンピースを着て一人で電車に乗り立っていると、そこまで混雑していない車内で私を隅に追いやり、ひたすら股間を押し付けてきた男。私は声を上げられず、顔なんて見たくもなく、必死に下を向き我慢して、やっと電車から降り、名古屋駅の金時計の側のエスカレーターを上ったところでへなへなと体育座りをし呆然としていると、にやにやしながら近付いてきて「パンツ見えてるよ。誘ってる?とりあえずお茶でもどう?」と声をかけてきた男。私は弱々しく「すいません……」と断って逃げた。
同じく20歳の時。某名古屋市内のライブハウス。そこの男女兼用トイレで用を済ませドアを開けると、ドアのすぐ外で私の事を待ち伏せ、勢いよくトイレに入ってきて、私を再びトイレの個室の奥に押し入りレイプしてきた男。その時も私は声を上げることが出来なかった。最初は何が起こっているのか分からなかった。だんだんと状況を把握していった。最中、私は諦めたようにひたすら下を見ていた。男はVANSのブロックチェックのスリッポンを履いていた。今でも鮮明に覚えているのはそれだけ。そんな当時の私でも、自分なりに勇気を出してそのライブのイベントの主催者に報告をした。「え〜 麗ちゃんも乗り気だったんじゃないの〜?」と言われた。ああ、私が悪いのか、そうか、私が悪いんだ、と思った。その主催者は男だった。
21歳の時。自動車学校に通っていた。実技教習で私は何度か担当してもらった中年の男性の指導員の優しい、柔らかい雰囲気で進む教習が自分に合っていると感じ、その指導員を指名するようになった。何度か指名したある日の実技教習中のこと。もちろん車内で二人きり。車を停車中、指導員は私を見つめ始め、やがて手を握ってきた。ねっとりとした声で何か言ってきたが、その先の事は覚えていない。この事も誰にも相談出来なかった。それでも両親が運転免許くらいは取っておきなさいと、教習代の全額30万円以上を負担してくれたので、それを無駄にはさせたくないという思いで、日数をかけ教習が受けられる期間のギリギリにはなってしまったが、学科も実技も受ける試験は全て一発で合格し、運転免許は取得することが出来た。今はもう車も持っておらず、所謂ペーパーゴールドになってしまったが。

そんなこんなで幾つかの性被害を経験した私は一人で思い悩み、その結果、悪いのは全て愛想が良く、ガードが甘い自分なのだと結論付けた。

そしてやがて「性行為なんて大したものではない」と思いたくて、性に奔放な女性になろうとした。
それが自分を保つ唯一の手段だと思った。

この頃は精神的な不調で鬱も酷かった。バイトも出来ず、実家に住んでいたが、家庭内の問題も山積みだった。早く家を出たかった。一人暮らしをしたかった。しかし専門学校を中退し、他に履歴書に書くような事も、お金も、安定して働く体調も持ち合わせていなかった私は、寮あり・自由出勤という条件だけに惹かれて風俗の面接を受けることにした。別に大金を稼ぎたい訳じゃなかった。週5で安定して働けなくても、体を売れば人並みの収入が得られるのならそれでよかった。
今思えば自暴自棄だった。様々な性被害を受けた反動なのか、当初は仕事内容に抵抗は無かった。何より寮を借りて、今すぐにでも実家を出たかった。
しかし、私はここでも弱かった。デリヘル嬢として2ヶ月程働いたが、精神的にも肉体的にも、私にはとてもじゃないが続けられなかった。
結局また実家に戻ることになった。情けなかった。辛かった。寂しかった。しばらくして、インターネットを通じて知り合った男性と付き合うことになった。久しぶりに恋人としての性行為をした。それなのに気持ち悪いと感じてしまった。それでも彼に悟られないよう努めた。
彼はコンドームをつけない人だった。つけて欲しいと私は言い出せなかった。元々生理不順で生理周期が長い方ではあるのだが、1ヶ月経っても生理が来ないと毎回、妊娠したのではないかと不安になった。生理予定日から1週間以上経っても来なければひとりで薬局に行き、500円程度の最も安い妊娠検査薬を購入し、家族にバレないように家のトイレで検査薬を使った。スティックに尿をかけ、検査結果が出てくるのを待つあの1分はいつも長く感じた。それでも陰性のサインが出れば安心出来た。安心がワンコインで買えるなら安いものだった。
この不安を男性は知らないのだろうか。いやでも、ゴムをつけて欲しいと言い出せない私が悪い。けれどゴムをつけたとしても避妊出来る確率は100%ではないのに。もし妊娠したとして、それを報告したら彼と連絡が取れなくなる可能性だってある。私に子どもを育てることなど到底無理だ。中絶するしかない。費用が掛かる。私には貯金など勿論無い。家族に相談することも出来ない。消費者金融にでも行こうか。私には度胸が無いから今まで借金はしてこなかったのだけれど。せいぜい家族に借りる程度。中絶をしたとして、ひとつの命を無下にしてしまったと責任を感じるだろう。またひとりで抱え込み病んでいくのか。こんな不安を伝えたところで、きっと考え過ぎだとか言われるのだろう。私は男性の性欲というものに嫌悪感を抱くようになった。




それから10年近く経った現在。
性行為に対するトラウマはもう薄れていったと思う。私だって気持ちのいいことは好きだし、好きな人とならそりゃしたいと思う。それでも嫌悪感を完全には拭うことが出来ない。私は恋愛対象に性別の区別を組み込まない。今だって好きになる人が男性だということは勿論ある。それなのに性行為に直面した時にどうしてもまだ少しもやもやしてしまう。好きなのにどうして。
そんなジレンマと今は戦っているところ。


男性諸君、貴方はこれを読んでどう思いましたか。


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