神とは何か

神って何だろう。

宗教に触れた時、違う人種と出会った時、芸術の中で描かれる存在を観た時、ふとそんな疑問が過る。
最も顕著なのが、精神的に不安定な時に何かすがるものが有ればと思った時だ。

人間の歴史上、その存在に求められてきたものは、責任に他ならない。狩猟生活に於ける神は山の神、海の神、時にはその獲物に姿を変えて祀られてきた。また、農耕民族にとってはそれが定住地固有の神であったり、神話を基に創造されたものである場合がある。それらの神々に求められたのが、不猟不作の責任である。信仰と儀式によって理由を作り、責任を持たせる。少なくとも自然を相手にした交渉に利益の保証はない。それ故の保証や安心を責任という形で神に託す。人間は元来、他に責任を押し付けたい生き物なのかも知れない。

自己責任という言葉があるが、本当の意味での自己責任を実現するには、自らを神格化しなければならない。責任を押し付ける最終地点を自己とし、自然的格率で変動する結果全ての責任を負うことでそれが成し得る。民主主義至高を騙る民族の資格を得るには政治を代表とした他者に責任を置かないことである。他者に全てを委ねたいのであれば、金槌と草刈り鎌を掲げれば全てが解決する。

政治的話は置いて本題に戻るとするならば、神という格は単なるロールであり、偶像に託すこともできる。しかし、自我を認める以上は無意識で神という立場で一個人をロールプレイしている状態であり、他に神を認めるとすれば、他人の中に精神の存在を見出すことである。

つまり、私は神だ。


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