里  歩  記  - さとあるき

  越 生 (1)  生 (1)

 大河ドラマでの壮絶な自刃シーンが渋沢平九郎ブームに火をつけたか、一躍脚光が当たっている最近の越生・黒山である。全洞院の平九郎墓所にも自刃岩にも花が供えられお参りの老若男女が引きも切らない。
 黒山三滝の入り口近く、熊野神社が鎮座する。もとは将門宮と称する修験の拠点だったらしい。室町の頃、本山派修験の関東での組織、山本坊の本拠地で、三滝は熊野三山にみたてられたという。17世紀初頭に本拠は西戸(現・毛呂山町)に移ったが修験霊場として、さらに江戸庶民の観光地として、黒山三滝は広く知られた。

 県をまたいだ移動が憚られる猛暑の昨夏、一服の涼を求め黒山三滝を訪ねた。
 東上閣の湯は確か「千葉実母散」だったな、源泉が枯渇して薬湯になった、が今は閉鎖されている。黒山鉱泉館も廃業したが、こちらは「くろやま文学館」として生まれ変わっていた。カフェでくつろぐ人の姿もちらほら、そこそこ賑わっているようだ。思えば幾度となく訪ねてきた場所ではある。東上閣にも黒山鉱泉館にも宿泊したことさえあるのだ(蛇足だが、鎌北湖のいのぶた料理で有名だった山水荘に泊まった経験すら持ち合わせている。鎌北湖YHには何度
も泊まった)。
 滝の入り口にお土産屋さんが健在なことはうれしい。店を通らないと滝には行けないぞ、という昭和っぽい立地。並んでいる品物も昭和のまま。胸が熱くなってくる。
 さて滝である。コロナの夏、同じ発想か、なかなかに賑わっている。若い人の姿も多い。さすが「21世紀に残したい・埼玉ふるさと自慢100選」に選ばれただけのことはある。それのみならず、町教委建立の真新しい解説板に目をとられた。江戸・新吉原で「寒菊尾張」なる芸妓屋を経営した新井宗秀が紹介されているのである。故郷越生のために江戸市中に黒山三滝を宣伝し、江戸市民が大勢滝見物に訪れたらしい。 滝、としてしか認識してこなかったが、何度となく訪ねてきたはずの黒山三滝、女滝から男滝へ金鎖に沿って上ってみて、さらにその上に不動堂があること不動堂の前に祭壇があること、不動堂の脇からなお石段を上がると宝剣が聳え立ち見慣れぬ色彩鮮やかな尊像があること等々、ご多分に漏れずここも祈りの場であることが明白である。そもそも滝行は修験のもの、裏山を登れば役行者の石像もあるわけで、ここはまさに修験の行場だ。しかもカラフルな装飾の施された極太の蝋燭の中で炎が揺らめいている。かつて修験の行場だった、のではなくて、現に今なお信仰の聖地として生きていると思わねばなるまい。以前、滝開きの神事に出くわしたこともあったが、それは山伏や天狗や、異形の隊列であった。
 そういえば、ここまで来る途中の釣り堀「お休み処」でも盛んに炭火で山魚を焼いていて、お客で賑わっていたが、朽ち崩れた祈祷場の跡も見た。記憶のなかではかつて寺院様の建物があり、門をくぐると小さな鉄橋がかかり、対岸に無数に蝋燭の炎が見えていたような気がする。今検索すると「大善寺」というものだったらしい。黒山三滝、畏るべし。

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